第60話:神話の究極固有スキル《創世解体》発動~
厄獣『エントロピー・ウロボロス』の頭頂部、天を衝く漆黒の頭蓋の頂。
吹き荒れる死の突風の中、ロイドは直径三十メートルにおよぶ『虚無の心核』の前に、静かに素手で立ち尽くしていた。
心核から放射される紫黒色の波動は、周囲の大気の分子構造をリアルタイムで破壊し、空間そのものをミシミシと歪ませていた。
侵入者がその核に手をかけようとしていることを本能的に悟ったウロボロスの巨体が、これまでにない激しい狂乱の震動を大地へ響かせる。
ゴオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!
心核の表面がドロリと裂け、内部から噴出してきたのは、触れたあらゆる神魔の存在すら一瞬で虚無へと融解させる、最悪のエントロピーの黒炎だった。
大気すら燃やし尽くす暗黒の業火が、ロイドの全身を飲み込もうと襲いかかる。
だが――ロイドは避けることも、身構えることすらしなかった。
彼は作業着のポケットから手袋を外すと、白く素朴な素手を、その黒炎の中へと躊躇いなく差し入れたのだ。
ジュウウウウウウッ……!
黒炎がロイドの腕に触れた瞬間、常識的な物理法則であれば、骨まで瞬時に腐食して砂と消え去るはずだった。
しかし――ロイドの皮膚から放たれたのは、淡く柔らかな、春の陽だまりのようなエメラルドグリーンの燐光だった。
黒炎はロイドの肌に触れたコンマ一秒の間に、その破壊の衝動を優しく撫でられるかのようにほどかれ、ただの温かな微風となってフワリと霧散した。
ロイドは一歩足を踏み出すと、脈打つ紫黒色の心核の表面へと、両の素手をペタッと密着させた。
ドクン……!
心核の奥底から、星の誕生以来数万年にわたって堆積し続けた、天文学的な悲しみと怨嗟の記憶が、濁流となってロイドの精神へと流れ込んできた。
誰からも愛されず、利用されるだけ利用され、不要になったからと地中深くの暗闇に捨て去られた、無数の物質とエネルギーの魂。
人間たちの身勝手な欲望の果てに生み出された、星の痛みの塊。
ロイドの瞳から、一筋の熱い涙が頬を伝って零れ落ちた。
「……ごめんね。ずっと暗くて、苦しかったよね。人間たちの都合で散らかされて、汚されて……痛かったよね」
ロイドは我が子を抱きしめる母親のように、心核へ向けて優しく語りかけた。
「でも、もう大丈夫だよ。誰も君を憎んだりしない。……ぼくが君を、世界で一番綺麗にしてあげるからね」
ロイドの魂の最深部、彼が生まれ持った魂の根源――万物を宇宙の原初たる完全な調和へと還す、神話の至高の権能が、限界を超えて解き放たれた。
「――万物の因果をほどき、原初の光を以て星を再生せよ。《真・神話固有スキル:原質創世解体》ッッッッッ!!!!!!」
キィィィィィィィィィィィィィィィィィィンッッッッ!!!!
世界のすべての音が消え去った。
ロイドの両手から溢れ出したのは、エメラルドグリーンでも黄金でもない。
この宇宙が誕生した瞬間に放たれたとされる、純粋無垢にして絶対調和の『始原の七色フォトン』。
その光が心核の深奥へと浸透した瞬間、数万年間ガチガチに絡み合っていたエントロピーの因果の結び目が、奇跡のようにスルスルと音を立ててほどけていった。
不可逆とされた劣化と腐敗の物理法則が、ロイドの無条件の愛と神技によって、完全に巻き戻されていく。
ピキピキピキピキ……! パラパラパラパラッ!
紫黒色に濁りきっていた心核が、外側から眩い純白のクリスタルへと再結晶化していった。
内部に閉じ込められていたヘドロと悪意の分子がナノ単位で分解され、星の原初の澄んだ生命エーテルへと全量変換されていく。
そして――奇跡の連鎖は、心核からウロボロスの全長数キロメートルの巨躯全体へと、光のドミノ倒しのように一気に伝播した。
ドロドロの黒いヘドロの鱗が、剥がれ落ちるように純白の光の粒子へとほどけていく。
背中にこびりついていた数万年分の産業廃棄物や都市瓦礫が、有害物質を完全に浄化され、肥沃な大地のミネラルと高純度の神聖鉱石へと瞬時に再構成されていく。
巨獣の口腔から漏れ出たのは、破滅の咆哮ではなかった。
数万年の苦痛からようやく解放された、歓喜と感謝に満ちた、天上の聖歌のような美しい産声だった。
数キロメートルにおよぶ漆黒の厄獣の巨体は、いまや天を衝くほど巨大な、七色に輝く純白の光の繭となって、エデンの大空を神々しく照らし出していた。
世界を滅ぼすはずだった絶望の化身は、ただ一人の心優しき解体士の掌の中で、世界を救い新生させるための、至高の祝福の光へと完全に生まれ変わったのである。
ロイドは光の繭の中心で、ふっと安堵の笑みを浮かべ、空を見上げたのだった。




