第49話:神の手が空を覆う~《超広域空間分子解体》~
「ハッハッハッハ! 見ろ、あのゴミ拾いめ、腰を抜かして逃げることもできずに立ち尽くしておるわ!」
上空千メートルを悠然と遊弋する総旗艦『アイアン・ゴライアス』の豪華絢爛な司令艦橋で、ゼノ・ヴァルハイト大元帥は高級ブランデーを満たしたクリスタルグラスを揺らしながら、蔑みの哄笑を轟かせた。
超望遠魔導スクリーンの中心には、エデンの中央大広場でぽつんと佇む青い作業着の青年――ロイドの姿が鮮明に捉えられている。
ゼノにとって、ロイドの纏う静けさは絶望による完全な硬直にしか見えなかった。
所詮は泥水をすすっていた卑しい平民。帝国の絶対的な軍事兵器の威容を前にして、己の無力さと浅はかさを悟り、恐怖で指一本動かせなくなったのだと信じて疑っていなかった。
ゼノは飲み干したグラスを大理石の床に叩きつけて粉々に砕くと、腰の豪奢な指揮刀を一気に抜き放ち、エデンの大広場へ向けて切っ先を振り下ろした。
「全艦隊、対城魔導主砲、照準固定完了! 反乱者どもに帝国の絶対なる鉄槌の味を教えてやれ! 塵一つ残すな、撃てぇぇぇぇぇぇッッッッ!!!!」
ギィィィィィィィンッ! ドォォォォォォォンッ!!
三十隻の浮遊戦艦の舷側から、百二十門の重魔導主砲が一斉に火を吹いた。
放たれたのは、一撃で険しい連山を穿ち、大都市の外壁を一瞬で蒸発させる超高熱の紅蓮の熱線光弾。
百二十条の破壊の光柱が、大気をプラズマ化させて引き裂き、雷鳴のごとき衝撃波で大地を激しく震動させながら、エデンの中央大広場へと真っ直ぐに降り注ぐ。
落下する光弾の余熱だけで地上の大気が急上昇し、広場の花壇の草木がチリチリと焦げ始めるほどの凄まじい熱量。
直撃すれば、エデンの美しい街並みはおろか、谷底の地形そのものが深さ数百メートルの巨大クレーターへと変貌し、数万の命が一瞬で消し飛ぶであろう絶望的な一撃。
広場にいた市民たちが恐怖に顔を歪めて悲鳴を上げ、天を仰いで固く目を瞑ったその瞬間――。
「ルシア、全艦隊の構造座標および攻撃ベクトルのデータリンクを」
「了解、マスター。三十隻の戦艦、総質量四百八十万トン。接合ボルト総数七千二百万本、動力魔導回路八万四千系統、完全捕捉。空間分子グリッド展開完了。……マスターの魔力パスと同期します」
「パパ、ヴェルも手伝う! パパのお掃除、悪い奴らに邪魔させないもん!」
ルシアの瑠璃色の瞳から網目状の精密走査光が天へと放たれ、ヴェルザがロイドの背中に小さな両手をペタッと密着させて、自らの体内に眠る無尽蔵の神聖黄金エーテルを惜しみなく注ぎ込んだ。
神話の竜姫の純粋な生命力と合一し、ロイドの体内で脈打つのは、万物の存在理由を愛し、原初へと還す『真なる解体』の根源力。
ロイドは深く静かに息を吸い込み、頭上に迫り来る百二十発の紅蓮の破壊光弾を見据え、両腕を天に向かって優しく広げた。
「――乱暴な炎をほどき、大気の調和へと還れ。《超広域空間分子解体》ッッッッ!!!!」
キィィィィィィィィィィィィン……!!
大地を揺るがす爆発音など、どこにも響かなかった。
世界を満たしたのは、まるで澄み渡る冬の夜空に、数千、数万の星屑が一斉に瞬くかのような、涼やかで美しい高周波の鈴の音だった。
ロイドの両手から解き放たれたのは、エデン上空の全空間をすっぽりと包み込む、エメラルドグリーンと純白の光の巨大な天蓋網。
その光の網が、時速数千キロの猛スピードで突っ込んできた百二十発の巨大熱線光弾と真っ向から衝突した瞬間――。
熱線光弾は、地上を焼くことどころか、爆発することすら許されなかった。
光弾を構成していた励起魔力粒子、プラズマ電荷、膨大な熱エネルギーの分子結合が、ロイドの解体波に触れたわずかコンマ一秒の間に、ナノ単位で綺麗にほどかれていったのだ。
パシュン……パシュン……シュルルルルル……。
大地を滅ぼすはずだった百二十条の紅蓮の破壊光線は、地上に一滴の熱すら届かせることなく、淡い七色の光の粒子――まるで初夏の夜空を幻想的に彩る打ち上げ花火のように、空中でサラサラと光の塵となって霧散していった。
地上に降り注いだのは、心地よい初夏のそよ風と、キラキラと輝く星屑の粉だけだった。
「…………は?」
旗艦の艦橋で、ゼノ大元帥は指揮刀を振り下ろしたポーズのまま、間抜けに口を開けて石のように固まった。
主砲の砲手たちも、操舵士たちも、全員が眼前で起きた現象を脳で理解できず、通信水晶の向こうで息を呑む音だけが響いている。
国家予算を注ぎ込んだ百二十門の全力斉射が、煙の一筋すら残さず、空中で花火のように綺麗サッパリ消滅した。
帝国の数千年に及ぶ軍事史のいかなる古文書にも、これほど荒唐無稽な記録は存在しない。
「な……何が起きたのだ……!? 砲弾は!? 熱線はどこへ行った!? 我が艦隊の誇る無敵の主砲はどこへ消えたのだぁぁぁっ!?」
ゼノが血相を変えて喚き散らした、その時。
地上から、ロイドの静かな、しかし凛としてよく通る澄んだ声が、風に乗って空へと届いた。
「次は……あの上空の大きな粗大ゴミを、綺麗にお片付けしようか」




