第48話:エデン上空の暗雲~「我が砲撃の前に平伏せよ!」~
心地よい初夏の陽光が降り注ぐ、エデンの中央大広場。
澄み切った青空の下では、新しく移住してきた市民たちが穏やかな笑顔で行き交っていた。
白亜の集合住宅のテラスには真っ白な洗濯物がはためき、露店には採れたての瑞々しい野菜や果物が山盛りに並び、通りには焼きたての白パンとシチューの香ばしい匂いが漂っている。
ロイドは広場の隅で、愛用の竹箒を手に持ち、風で散った落ち葉をサッサッと丁寧に掃き集めていた。
その足元では、小さな金色のツインテールを揺らすヴェルザが、ロイドの真似をして小さな手箒で一生懸命に落ち葉をかき集めている。
「パパ! 見て見て、ヴェルも葉っぱさんいっぱい集めたよ! ちっちゃいお山ができたの!」
「うん、えらいねヴェル。とっても綺麗になったよ。ありがとう」
「えへへ~! パパのお掃除、ヴェルもだぁいすき!」
ヴェルザが満面の笑みでロイドに抱きつき、頭を撫でられて嬉しそうに目を細めた、その瞬間――。
ヒュオオオオオオオオオオ……ッ!!
突如として、地上を吹き抜ける爽やかな風がピタリと止まった。
代わりに上空から降り注いできたのは、焼けつくような重油と硫黄の混じった、不快極まりない重金属の悪臭だった。
さらに、燦々と降り注いでいたはずの温かな太陽の光が、急速に遮られていく。
気温が肌寒く急降下し、エデンの美しい白亜の街並み全体に、不吉な漆黒の巨大な影が落ちた。
「な……なんだ……!? 急に昼間なのに真っ暗になったぞ!?」
「空を見ろ! あ、あれは……なんだありゃあぁぁぁっ!?」
広場にいた市民や職人たちが、次々と顔を上げて空を指差した。
青かったはずの空が、完全に消滅していた。
エデン上空千メートルの高度を埋め尽くしていたのは、重厚な黒鉄の装甲に身を包んだ三十隻もの巨大な浮遊魔導戦艦群だった。
エンジンから吐き出される黒い油煙が太陽を覆い隠し、ハラハラと黒い煤が白い石畳へと降り注ぐ。
三十隻の戦艦の甲板から、無数の対城魔導主砲の砲口が一斉に不気味な軋み音を立てて旋回し、地上の大広場へと照準を合わせた。
キィィィィン……と高周波のチャージ音が大気を震わせる。
「て、帝国の浮遊戦艦だぁぁぁっ!?」
「北方軍閥だ! 『焦土の鉄槌』ヴァルハイト大元帥の艦隊だぞ!」
「逃げろ! あの艦隊に狙われた街は、一つ残らず灰にされたって噂だ! あんなバケモノ戦艦の主砲を一斉射撃されたら、この谷底ごと消し飛んじまう!」
帝都の圧政から逃れてきた元帝国市民たちが、かつて見慣れた帝国の軍事兵器の威容に恐怖し、子供を抱きかかえてパニックに陥りかけた。
そこへ、総旗艦『アイアン・ゴライアス』の艦橋から、超広域魔導拡声器を通じた傲慢な怒声が、雷鳴のように地上全域へと鳴り響いた。
『エデンの愚民ども、および首謀者ロイド・クレインに告ぐ! 我は帝国北方方面軍総司令官、ゼノ・ヴァルハイト大元帥である!』
ゼノの声は、大地を震わせるほどの音量で響き渡った。
『貴様らが築き上げたこの街は、帝国への反逆と不法占拠によって得られた略奪都市である! 貴様らに選択肢は二つ! ただちに武装を解除して無条件降伏し、神聖白ワインの製造技術、世界樹の支配権、およびすべての財宝を我が軍閥へと引き渡すか! さもなくば――我が艦隊が誇る百二十門の重魔導主砲による絨毯砲撃を受け、女子供の区別なく、この谷底のチリ芥とともに灰燼へと帰すかだ!!』
地上の広場に戦慄が走る。
セリスが青ざめてロイドの傍らに駆け寄り、祈りの杖を構えて防御結界の術式を紡ぎ始めた。
「ロイド様……! あの艦隊は本気ですわ! 帝国軍閥の中でも最も残忍なヴァルハイト艦隊……降伏しても、私たち全員が奴隷として鉱山に送られるだけです!」
「ご主人様! 私が空へ跳んで、あの鉄クズの舳先を噛み砕いてきます!」
フェンネルが銀狼の爪を剥き出しにし、全身の毛を逆立てて牙を鳴らす。
ルシアもまた、瑠璃色の瞳に照準グリッドを投影し、冷静にロイドへ進言した。
「敵艦隊の総砲撃エネルギー、当都市の結界許容量の四百倍を計測。迎撃防衛コードの即時起動を推奨します」
「パパ! あのおっきな黒いハエさんたち、うるさい! パパのお掃除のお邪魔した! ヴェルがブレスでドカンってしてやる!」
ヴェルザもまた、黄金のツインテールを逆立てて怒りの唸り声を上げ、小さな翼を広げた。
仲間たちが緊迫した空気の中で戦いの覚悟を決める中――。
ロイドはただ一人、静かに手元の竹箒を壁に立てかけ、ゆっくりと空を見上げた。
彼の澄み切った蒼い瞳には、恐怖も怒りも焦りも微塵もなかった。
ただ、せっかく綺麗に掃き清めたばかりの広場にハラハラと落ちてくる、戦艦の排気ガスによる黒い煤煙を見つめて、深いため息を一つ漏らした。
「……せっかくみんなで綺麗にした空を、煙で汚しちゃダメじゃないか。あんな大きな粗大ゴミを三十隻も放置されたら……街のみんなが洗濯物を干せなくなっちゃうよ」
ロイドは作業着の袖をまくり、静かに広場の中央へと歩みを進めたのだった。




