第40話:帝都の暴動とバルト・レオンの完全拘束~
エデンの白亜のゲートから無様に蹴り出され、底なしの泥沼へと顔面から叩き落とされたレオンとバルト。
骨折したレオンの右腕はズキズキと激痛を放ち、折れた骨が皮膚の内側で軋むたびに脂汗が噴き出した。バルトもまた、肥え太った贅肉を岩肌で打ち据え、着ていた高級なベルベットの上着は泥と糞尿でボロボロに引き裂かれていた。
二人は食糧も水もなく、飢えと渇きに喉を焼かれながら、道端の泥水をすすり、腐った野草を齧り、三日三晩かけて這うようにして帝都の街道を戻ってきたのである。
「ぜぇ……ぜぇ……! あ、足が……骨が痛い……! バルト、早く帝都に入って、宮廷医師団に僕の腕を治させろ! それから近衛騎士団を全軍出撃させて、あのゴミ拾いロイドと反逆者どもの首を跳ねてやるんだぁっ!」
「はぁ、はぁ……! もちろんです、レオン様! 皇帝陛下に奏上し、あの廃棄谷に軍団を送り込み、白亜の街もオアシスも、あの生意気なアリアの資産もすべて我らのものにしてやりましょうぞ……!」
二人は互いに肩を貸し合い、泥まみれの足取りで帝都の巨大な正門の前へと辿り着いた。
しかし――そこで二人が目にしたのは、思い描いていた華やかな帝都の凱旋門などでは断じてなかった。
視界一面に広がっていたのは、悪臭を放つ紫黒色の毒ヘドロの湖だった。
下水道の破裂とロイド不在による産業廃棄物の爆発的な逆流により、帝都の居住区は屋根の上まで汚泥に水没し、空には黒煙が立ち上り、美しい大理石の門扉は煤と血文字で無残に汚されていた。
しかも、門前を警備しているはずのきらびやかな近衛騎士団の姿はどこにもない。
代わりに正門前を埋め尽くしていたのは、錆びた鍬や鉄パイプ、棍棒を手にした数万人規模の怒れる市民暴徒と、皇帝と貴族を見限って武装蜂起した元帝国正規軍の兵士たちだった。
「な……なんだ、このゴミ溜めのような有様は……!? 衛兵はどこへ行ったのだ!? この卑しい愚民どもは一体何をしている!?」
バルトは己の置かれた状況の異常さにまったく気づかず、かつてのように傲慢な大声を張り上げた。
レオンもまた、泥にまみれた顔で胸を張り、折れた右腕を庇いながら甲高い声で喚き散らした。
「おい、そこの下民ども! 誰の前に立っていると思っているんだ! 僕は帝国が誇る選ばれし最高戦力、光の勇者レオン様だぞ! 今すぐ僕のために豪奢な馬車と宮廷医師を用意しろ! 道をあけろ、汚らわしい虫けらどもがぁっ!」
その瞬間――門前に集まっていた数万人の群衆の動きが、ピタリと止まった。
シン……と静まり返る門前。
数万双の血走った瞳が、一斉に正門の前に立つ泥まみれの二人のドブネズミへと突き刺さる。
群衆の先頭に立っていた、元帝国正規軍の小隊長が、信じられないものを見るように目を見開き、ギリリと奥歯を噛み締めて叫んだ。
「お……おい……! あそこにいるボロ雑巾みたいな薄汚い豚どもは……バルト伯爵と、勇者レオンじゃないか……!?」
その一言が、限界まで圧縮されていた数万人の怒りの火薬庫に、火のついた松明を投げ込んだ。
次の瞬間、大地を揺るがす凄まじい地鳴りのような怒号が爆発した。
「「「いたぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッッッ!!!!」」」
「国を滅ぼした諸悪の根源だぁぁぁぁぁっ!!」
「俺たちの家をヘドロに沈め、子供たちを飢えさせた大罪人どもだッ!!」
ワァァァァァァッ!と怒濤の津波となって押し寄せる数万人の市民たち。
バルトは脂汗を滝のように流し、顔面を蒼白にして後ずさった。
「ひ、ひぃぃぃっ!? な、何をする気だ無礼者ども! 私は貴族院の重鎮、バルト伯爵であるぞ! 平民風情が貴族に触れれば死刑だぞ!」
「ぼ、僕はお前たちを救う勇者だぞ! 英雄だぞ! やめろ、近寄るな、汚い手で僕に触るなあああっ!」
だが、その傲慢な喚き声は、民衆の怒りの炎に油を注ぐだけに終わった。
「ふざけるな、このドブネズミがぁぁぁっ!」
「お前がロイド様を『無能なゴミ拾い』と罵って追放したせいで、街中のインフラが完全に死んだんだ!」
「九頭竜ヒドラの討伐でも、ロイド様が命がけで直してくれた神剣を自爆させて逃げ帰ったんだろうが! そのせいで近郊の五つの農村が毒液で壊滅したんだぞ!」
「どの口が勇者だ! どの口が貴族だ! 自分たちの贅沢のために国中のゴミを押し付けて、最後は民を見捨てて逃げ出そうとしたクズ野郎どもがぁぁぁっ!」
ドガァッ! ボカッ! バキキッ! ベチャッ!
「ぎゃあああああああああっ!?」
「あぎゃっ! い、痛い! やめてくれぇぇぇっ! 許してくれぇぇぇっ!」
怒り狂った市民たちから、無数の拳骨、鉄パイプの殴打、尖った投石、そして道端の腐ったヘドロ水の塊が容赦なく浴びせられた。
レオンの自慢だったサラサラの金髪はごっそりと根元から毟り取られ、整っていたはずの鼻梁は鈍い音を立ててへし折れ、口の中に残っていた前歯はすべて粉々に砕け散って血反吐とともに泥水へと吐き出された。
バルトの贅肉に包まれた腹には無数の長靴の蹴りがめり込み、骨折したレオンの腕は群衆に踏みにじられて完全に砕かれた。
阿鼻叫喚のリンチが十数分にわたって続き、二人がピクピクと痙攣する血だるまの肉塊へと変わり果てたところで――。
「そこまでだ、皆の者! 怒りはもっともだが、これ以上殴ってはこいつらが即死してしまう!」
群衆をかき分けて進み出てきたのは、反乱軍の腕章を巻いた元近衛騎士団の副長だった。
副長は泥水に沈む二人の首根っこを掴んで引き起こし、冷徹な眼差しで見下ろしながら、冷たく言い放った。
「元勇者レオン、および元帝国伯爵バルト! 国家反逆罪、職務放棄、神聖武具の横領および破壊、都市インフラの意図的壊滅、ならびに数万人の市民を死の危険に晒した重大犯罪の容疑により――これより両名を反乱暫定政府の名において即時拘束する!」
カチャリ、ガチャンッ!!
二人の首と両手両足に、ずしりと重い錆びついた鉄の手枷と首輪が嵌め込まれた。
かつてバルトが、無実の平民や異を唱える部下を拷問するために特注させた、一度嵌めたら鍵を壊さぬ限り二度と外れない呪われた鉄枷である。
「う……うぅ……あ……あが……」
「ひ……牢屋……牢屋だけは……勘弁……」
泡を吹いて呻く二人を、騎士たちは家畜のように引きずり、毒ヘドロの溜まる地下最下層の豚箱牢獄へと放り込んだ。
ドロドロの汚泥が足首まで浸かり、光一つ差さぬ暗黒の地下室。
かつてロイドを「ゴミ拾い」と蔑み、その尊い労働を嘲笑った傲慢な者たちが、文字通り自らが撒き散らした悪臭のヘドロの中で、一生陽の光を見ることなく朽ち果てる未来が確定した瞬間であった。




