第39話:大陸中から押し寄せる難民と一流職人の雇用~
「ぜぇ……はぁ……もう、足が動かねぇ……」
「お母ちゃん……お腹が空いたよ……喉がカラカラだよぉ……」
照りつける荒野の太陽の下、国境の険しい岩山を越えて、数千人を超える長大な避難民の列が、足を引きずりながら歩いていた。
着の身着のままで逃げ出してきた彼らの衣服はボロボロに破れ、顔や腕は泥と埃にまみれ、痩せこけた頬には生気がない。
彼らは、オルディス帝国の腐敗した貴族たちによる重税の取り立てと、帝都全域を覆い尽くした毒ヘドロパニックによって住居を奪われ、飢え死に寸前で故郷を捨ててきた人々だった。
列の先頭に立っていた初老の男性――帝都大工ギルドの総棟梁として五十年もの間、数々の大建築を手がけてきた名匠ゴランは、自らの重い道具袋を背負いながら、折れそうな木の杖を頼りに必死に足を前に出していた。
「すまねぇ……みんな、もうひと踏ん張りだ。この峠を越えた先の谷底に、澄んだ水と豊かな作物が実る『エデン』という奇跡の土地があると聞いた。……どうか、そこまで命を保たせてくれ……!」
ゴランは祈るような思いで峠の頂へと辿り着き、谷底を見下ろした。
その瞬間――ゴランの手から木の杖が滑り落ち、カランと音を立てて岩肌に転がった。
「な……なん……ということだ……!? お、おい、幻覚を見ているのか……!? ここは本当に、死の廃棄谷なのか……!?」
後ろに続いていた職人たち、母親たち、子供たちが次々と足を止め、目の前の光景に息を呑んだ。
谷底に広がっていたのは、黒煙や悪臭の立ち込めるゴミ捨て場などでは断じてなかった。
朝霧を浴びて白銀に眩しく輝く白亜の摩天楼群。
整然と区画整理された清潔な石畳の通り、風にそよぐエメラルドグリーンの街路樹、澄み切った清流がサラサラと流れる水路、そして遠くに見える壮麗な大樹のシルエット。
まるで神話の楽園そのものが地上に舞い降りたかのような絶景に、数千人の避難民たちはただただ呆然と立ち尽くし、声すら出せなかった。
そこへ、白亜の街のゲートから、荷車を引いたロイドと仲間たちが温かな笑顔を浮かべて出迎えてきた。
「みんな、遠い道のりをよく無事で辿り着いてくれたね。お腹が空いているだろう。まずは温かいものを食べて、ゆっくり身体を休めてくれ!」
ロイドの声とともに、荷車の上に乗せられた特大の寸胴鍋の蓋が開けられた。
その瞬間――ふわりと風に乗って漂ってきたのは、避難民たちの鼻腔を狂おしいほどくすぐる、信じがたいほど芳醇で甘やかな出汁の香りだった。
エデンの名水でじっくりと煮込まれた、採れたての甘いキャベツ、ホクホクのジャガイモ、黄金色のニンジン、そして原質分解によって繊維が極限まで柔らかくなった極上の燻製肉。
仕上げにロイド特製の純白グラニュー糖が隠し味として加えられた、至高のポトフシチューである。
さらに、セリスとルシアが朝一番で薪窯を使って焼き上げた、香ばしい小麦の香りが弾けるふかふかの白パンが、一人一人の手に惜しげもなく山盛りに手渡されていく。
「う……うまい……! あったけぇ……! こんなに美味くて甘いスープ、生まれてから一度も食ったことがねぇよ……!」
「お母ちゃん、パンがすっごく柔らかいよ! 噛むと甘い味がするよぉ……!」
「神様……ありがとうございます……生きててよかった……本当に生きててよかった……!」
ある者は震える手で木のスプーンを口へ運び、ある者はパンをスープに浸して夢中で頬張り、誰もがボロボロと大粒の涙をこぼしながら、貪るように温もりを胃袋へと流し込んだ。
絶望と飢えで冷え切っていた人々の心に、生きる希望の火が確かに灯っていく。
全員が腹を満たし、温かいお茶で一息ついた頃、ロイドは大工棟梁ゴランをはじめとする職人たちの前に立ち、真鍮の輝く鍵の束を一人一人に手渡した。
「みんなに食べてもらった通り、このエデンには豊かな食糧と澄んだ水がある。そして、向こうに見える白亜の集合住宅が、今日からあんたたちの新しい我が家だ。敷金も家賃も、帝国のような理不尽な税金も一切いらない」
「え……? や、家賃も税金もいらないって……本当ですか、旦那!? オレたちみたいなボロボロの難民に、あんな宮殿みてぇな家をタダでくれるって言うんですかい!?」
ゴランが信じられないといった様子で目を白黒させる。
ロイドは穏やかに首を振り、真剣な瞳で職人たちの顔を見つめ返した。
「タダじゃないよ。みんなの『力』を貸してほしいんだ。ゴラン棟梁、あんたのその腕前で、新しく来る仲間たちのために街をさらに広げてくれないか? 鍛冶屋の親方は農具や刃物を打ってほしい。農民は肥沃な大地を耕し、仕立て屋はみんなの服を縫ってほしい。商人や学者も、それぞれの得意な分野で街を支えてほしいんだ。誰もが差別されず、得意なことで助け合って、全員が笑顔で暮らせる街を……一緒に作ってくれないかい?」
「お、おおおおっ……! ロイド様……ロイド様ぁぁぁっ!!」
ゴランはその場に両膝をつき、泥の地面に額を強くこすりつけて慟哭した。
鍛冶ギルドの屈強な大男たちも、仕立て屋の女将も、学者たちも、全員がロイドの足元に平伏し、涙を流して終生の忠誠を誓った。
「このゴランの命、そしてこの腕の一筋の筋肉まで、すべてロイド様に捧げます! 帝都のクソ貴族どもに道具を取り上げられ、ゴミのように捨てられたオレたちを……人間として、職人として認めてくださった恩は、一生かかっても返しきれません!」
「オレたちもだ! ロイド様のためなら、世界一頑固で頑丈な道具でも何でも作ってみせますぜ!」
帝都を陰で支えていた最高峰の技術者集団が、ロイドの温かな人徳と完璧な生活基盤に心から心酔し、エデンの熱烈な住人となった瞬間だった。
数千人の優秀な民が加わったことで、エデンはもはや単なるオアシスではない。
最高峰の技術力、無尽蔵の資源、そして民の笑顔と希望が満ちあふれる、大陸最強の生産都市国家へと急速に進化を遂げつつあったのである。




