第35話:エデンのゲート前の土下座~「昔の仲間に免じて助けろ!」~
カラカラに晴れ渡った心地よい昼下がり。
エデンと『終末の廃棄谷』を隔てる南側境界線には、ロイドが純白の神石を切り出して組み上げた、壮麗な大理石のアーチゲートがそびえ立っていた。
ゲートの向こう側に広がるのは、見渡す限りの奇跡の楽園。
風にそよぐエメラルドグリーンの芝生、陽光を反射してダイヤモンドのように煌めく清らかな運河、たわわに実をつけたリンゴやブドウの果樹園、そして黄金色に波打つ豊かな小麦畑。
その中央に建つヒノキと大理石の巨大ログパレスの前庭、木漏れ日が降り注ぐテラス席では、ロイドと四人の美女たちが穏やかなティータイムを楽しんでいた。
純白のメイド服を着た機巧天使ルシアが、銀のポットから湯気の立つ名水ハーブティーをカップへと注ぎ、白磁の素肌を取り戻したエルフの聖女セリスが、焼きたてのスコーンに特製イチゴジャムを添えて微笑んでいる。
真紅のドレスを纏った商人アリアは、帳簿と契約書を広げながら「今週のエデン商会の純利益は金貨三千枚を突破いたしましたわ! 帝都の貴族街から砂糖とオリハルコン包丁の注文が殺到して、嬉しい悲鳴ですわ!」と誇らしげに報告し、白銀の狼耳を生やしたフェンネルは、ロイドの膝の上に頭を乗せて「ご主人様、もっと撫でて~」と目を細めて喉を鳴らしていた。
ロイドが優しく耳の付け根を指先でワシャワシャと梳かしてやると、フェンネルの銀色の尻尾がポフポフとリズミカルにロイドの太ももを叩く。
「ふふ、フェンネルちゃんは本当に甘えん坊ですね」「む……マスターの膝上占有時間が本日の規定値を超過しております。速やかな交代を要求します」。
そんな他愛もない冗談と笑い声が風に乗って響く、まさに地上で最も甘美で幸福な桃源郷。
だが――そんな平和を汚すように、境界ゲートの彼方から、ドロドロとした悪臭を放つ二つの影が、這うようにして姿を現した。
全身を紫黒色の有毒ヘドロと泥水でまみれさせ、異様な腐敗臭を漂わせる二人の男。
骨折した右腕をボロボロの泥布で吊り、脂汗と鼻水を垂らしながら喘ぐ元勇者レオン。
そして、太鼓腹の脂肪を揺らし、泥水でズボンを破きながら四つん這いで進む元宮廷内務卿バルト伯爵だった。
二人は、ゲートの向こう側に広がるエデンの眩い光景を目にした瞬間、顎が外れんばかりに口をあんぐりと開けた。
「な……な、なん……なんだここはぁぁぁぁっ!?」
レオンの濁った瞳が、信じられないものを見たかのように激しく痙攣した。
死の毒煙が吹き荒れ、触れただけで肉が爛れるはずの世界のゴミ捨て場。
その中心に、帝都の皇城の空中庭園すら足元にも及ばないほどの、豊かで美しい大自然と大邸宅が広がっているのだ。
そよ風が運んでくるのは、甘く香ばしい焼きたてパンの香りと、極上の紅茶のアロマ。
飢えと渇きで喉が張り付いていたレオンとバルトの喉仏が、ゴクリと醜く上下した。
そして何よりも――あの粗末な作業着を着て、自分たちの足元で這いつくばっていたはずのゴミ拾いの青年が、絶世の美女たちに傅かれ、王侯貴族のような優雅な昼下がりを過ごしているという現実が、二人の脳天を激しい嫉妬と屈辱で打ちのめした。
「う……嘘だろ……!? ここは死の廃棄谷のはずだぞ!? なんでこんな……天国みたいな楽園があるんだ!? あいつ……僕たちの金を横領して、こんな贅沢な暮らしをしてやがったのか!?」
「あ、あいつは……ロイドだ! ロイドがいるぞ!」
バルトが豚のような甲高い悲鳴を上げ、泥まみれの手でテラス席のロイドを指差した。
二人は立ち上がる気力すらなく、泥の地面を這いずりながら、ゲートをくぐってテラス席の前へと突進してきた。
「おいロイド! ロイドぉぉぉっ!」
レオンはロイドの足元に泥だらけの顔をすり寄せるようにして、膝をついた。
そして、必死の形相で上目遣いに叫んだのだ。
「助かった……! ロイド、僕だ! 選ばれし光の勇者レオン様だぞ! 見ろ、僕のこの右腕を! ヒドラとの戦いで複雑骨折してしまったんだ! 今すぐお前のあの力で、痛みを消して骨を元通りに治せ! それから帝都へ戻って、街中に溢れ返ったヘドロとスラグを全部綺麗に片付けるんだ!」
「そうですロイド! 私もいるぞ、バルト伯爵だ!」
バルトもまた、太い両手でロイドの靴に縋り付こうと泥の手を伸ばした。
「貴様が帝都のゴミを片付ければ、皇帝陛下も機嫌を直して私の爵位を戻してくださる! 昔の仲間に免じて、特別にお前を許してやる! また勇者パーティの専属雑用係として雇ってやろう! 衣食住の面倒を見てやるぞ! さあ、早く腕を治して帝都へ向かう準備をしろ!」
泥まみれの土下座をしながら、口から飛び出してくるのは信じがたいほど上から目線の傲慢な命令。
自分たちがロイドを追い出し、使い潰そうとしたことへの反省や謝罪など、欠片ほども存在していなかった。
相変わらずロイドを「自分たちに従うのが当然の便利な下僕」と見下し切っていたのである。




