第21話:紅茶一杯で腰を抜かす商人~「こ、これ一杯で金貨十枚の値がつきますわ!」~
「ごくっ……ごくっ……ごきゅっ……!」
アリアは本能の命じるまま、唇に触れたカップの温かい液体を、喉を鳴らして夢中で飲み干した。
乾ききった喉を滑り落ちていく、琥珀色の芳醇な紅茶。
そして――。
次の瞬間、アリアの全身に、雷鳴に打たれたかのような激しい戦慄が駆け抜けた。
「…………っっっっ!?」
アリアの琥珀色の瞳が限界までカッと見開かれ、背筋がピンと棒のように硬直した。
「ぶふっ……!? げほっ、ごほっ……! な、ななな……なんですのこれぇぇぇぇぇぇっ!?」
アリアは腰を抜かし、ふかふかの絨毯の上に派手に尻餅をついたまま、震える指先で空になったティーカップを凝視した。
口の中いっぱいに広がっていたのは、暴力的なまでに純粋で、どこまでも澄み切った奇跡の甘美。
泥臭さも、喉を刺すようなトゲも、舌に残るざらつきも一切ない。
まるで春の陽だまりの温もりそのものを液体にして飲み干したかのような、圧倒的な多幸感。
それが、雑味の一切ない名水と極上の茶葉の香りと溶け合い、五臓六腑の隅々にまで電撃のように染み渡っていく。
日射病で焼き切れかけていた脳の血管がスーッと冷却され、枯れ果てていた細胞の一つ一つが、潤いを取り戻して一瞬で蘇生していくのを感じていた。
「あ、甘い……! こんな……こんな雑味の一切ない、純白の光のような甘さ……! 帝都の大富豪でも、皇族の晩餐会でも、こんな至高の紅茶を口にした者など絶対にいませんわ! そ、それにこの澄み切ったお水は一体何なんですの!? 一口飲んだだけで、干からびて死にかけていたわたくしの身体が、まるで奇跡の回復ポーションを浴びたみたいに元気になりましたわ!」
「落ち着きなよ。ただの砂糖入り紅茶だよ」
ロイドが苦笑しながら、やかんからもう一杯、湯気の立つ紅茶を注ぎ足してやった。
だが、その言葉を聞いた瞬間、アリアは弾かれたように跳ね起きた。
「ただの砂糖入り紅茶なわけがありませんでしょうがぁぁぁぁぁっ!!」
アリアはロイドの胸ぐらに掴みかからんばかりの剣幕で詰め寄った。
琥珀色の瞳が爛々と輝き、商人の本能が全身の血液を沸騰させている。
「この純度! この透明感! この香りの立ち上がり! 帝都の闇市場で取引されている最高級の南方産粗糖ですら、茶色く濁って泥や灰のアクが混ざっていますのよ! それでもスプーン一杯で銀貨十枚、貴族たちが血眼になって買い漁るんですの! それなのに……この混じり気のない純白の結晶……! スプーン一杯で金貨五枚……いえ、この紅茶一杯で金貨十枚の値をつけても、帝都の貴婦人たちが暴動を起こして買いに殺到しますわ!!」
「き、金貨十枚……? 紅茶一杯が?」
ロイドが目を瞬かせた。金貨十枚といえば、帝都の普通の庶民が家族四人で半年間贅沢に暮らせる大金だ。
「当たり前ですわ! あ、貴方、一体何者なんですの!? まさか、伝説の神聖宮廷錬金術師か何かが、こんな辺境に隠遁しているんですの!?」
「いや、俺はただの元・ゴミ拾い雑用係だよ。そこのゴミ捨て場に山積みになってた腐った甜菜から、不純物と毒素を分子解体して抜き取っただけだ」
「ご、ゴミ捨て場からぁぁぁぁぁっ!?」
アリアの口が「ほ」の字に開き、今度こそ白目を剥いて卒倒しかけた。
腐った生ゴミから、帝国全土をひっくり返すレベルの国宝級の砂糖を錬成したというのか。
しかし、目の前に立つ純白の機巧メイド(ルシア)と、息を呑むほど美しいエルフの聖女が、至って平然とお茶請けのクッキーをかじっているのを見て、アリアの天性の直感が雷鳴のように閃いた。
(こ、この男……間違いなく本物の怪物ですわ! 世界の常識を根底から覆す、神の領域の職人……! この出会いは、神がわたくしに与えてくださった起死回生のチャンス……!)
アリアは乱れた真紅の赤髪を素早く整え、ドレスの襟元を正すと、ロイドの足元にバッと両膝をつき、絨毯に額をこすりつけるようにして深々と頭を下げた。
「ロイド様! お願いです、わたくしと専属取引契約を結んでくださいまし! そのお砂糖の独占販売権を、わたくしアリア・フォン・シルフィードに託していただけませんか!?」
「独占販売権?」
「はい! わたくし、帝都の悪徳高利貸しと腐敗貴族に嵌められて金貨三千枚の借金を背負わされ、破産寸前まで追い込まれました。ですが……他国や自由都市への秘密の流通ネットワークと、商人の目利きだけはまだ失っておりません! この至高の純白砂糖があれば、わたくしの借金など瞬く間に完済できるどころか、帝都の経済界を完全に牛耳る大陸一の大商会を築いてみせますわ! 利益の八割……いえ、九割をロイド様に上納いたします!」
「いや、金はそんなにいらないよ」
ロイドはあっさりと首を横に振った。
「えっ……? き、金貨の山はいらないんですの……?」
「うん。俺はここで、ルシアやセリスと一緒に静かにスローライフを送りたいだけだからね。贅沢な暮らしにも興味はないよ。その代わり――アリアが帝都を行き来するついでに、生活雑貨や衣類、珍しい野菜や果物の種子、あとは面白そうな古書を仕入れてきてくれないかい? それと引き換えなら、砂糖はいくらでも卸すよ」
「な、なんですのその破格すぎる条件はぁぁぁっ!? 種や古書と引き換えに、金貨の山になる至高の砂糖をくださるなんて……! ロイド様、貴方は神様ですの!? 聖人ですの!?」
アリアは感激のあまりロイドの手を両手で握りしめ、目を潤ませて叫んだ。
こうして、オルディス帝国の経済バランスを根底から揺るがすことになる『エデン商会』の奇跡の独占販売契約が、最果てのオアシスで電撃的に締結されたのだった。




