第18話:ゴミ山に眠る「傷んだ甜菜」~腐敗果実の分子純化~
セリスの体内の呪毒は完全に消滅したものの、長年にわたる過酷な代行転写と飢餓のせいで、彼女の身体は痛々しいほどに痩せ細っていた。
昼下がり、リビングのソファに座るセリスの前に、ロイドは温かい名水のハーブティーを置いた。
「セリス、君はまずしっかり体力をつけて、栄養を摂らないとな。……何か、特別に食べたいものはあるかい?」
「えっ……? わ、私が食べたいもの、ですか……? そんな、私のような拾われた身で、ロイド様に我儘を言うなど滅相もございません……!」
「我儘なんかじゃないよ。元気になるための大切なリクエストだ。どんな些細なものでもいいから、遠慮しないで言ってみてくれ」
ロイドが優しく微笑みかけると、セリスは黄金の長い耳を恥ずかしそうにペタンと倒し、指先をもじもじと絡ませながら、蚊の鳴くような小さな声で呟いた。
「あの……昔、神殿の奥の図書室で、古い絵本を読んだことがあるのです。……そこには、口に入れると雪のようにふわりと溶けて、心の中が幸せでいっぱいになるという……『お砂糖の入った甘いお菓子』のお話が載っていて……」
「砂糖菓子か!」
「は、はい……。でも、お砂糖なんて、大貴族様や皇族の方々しか口にできない伝説の超高級品だと聞いております……! わ、私のような者が口にしていいはずがありませんよね……! ごめんなさい、忘れてくださいませ……!」
慌てて手を振るセリスを見て、ロイドは小さく頷いた。
セリスの言う通りだった。
オルディス帝国において、『砂糖』は文字通り金やダイヤモンドと同等以上の価値を持つ幻の奢侈品だった。
南方諸国からの極めて細い輸入ルートに依存しており、市場に出回るのはごく僅か。しかも流通しているもののほとんどは、泥やアクが混ざった茶色く濁った粗悪な黒糖のようなもので、それでも金貨数十枚で取引されていた。
平民や下位の聖女が口にできる機会など、天地がひっくり返ってもあり得ない。
「よし、決まりだ。最高に甘くて、世界で一番美味い純白の砂糖を作ってやるよ」
「ええっ!? お、お砂糖を……作るのですか……!? この何もない廃棄谷で……!?」
「ああ、任せておけ。材料なら、あそこに山ほど転がってるからな」
ロイドは作業着の上着を羽織り、麻袋を肩に担いで立ち上がった。
ルシアを伴って向かったのは、エデンの西側、帝国から廃棄された生ゴミや規格外農作物がうず高く積まれている『食品残飯投棄区画』だった。
帝都の農民や市場ギルドが、収穫時に傷がついたり、形が歪だったりして売り物にならず、そのまま廃棄谷へ投げ捨てた農作物のゴミ山。
雨水に打たれ、夏の炎天下で放置されたその山からは、ツンと鼻を突く酸っぱい発酵臭と腐敗臭が漂っていた。
ロイドはその悪臭の立ち込めるゴミ山の裾野を、手慣れた様子でかき分けた。
そこから現れたのは、泥まみれになり、表面が真っ黒にぬめってドロドロに溶けかけた、無数の丸い根菜――数トンにも及ぶ『甜菜』の山だった。
「うわぁ……見事に発酵してドロドロだな」
「成分分析を実行」
ルシアが指先を甜菜の山に触れ、データを読み上げる。
「糖分含有量は約十二パーセント残存。しかしながら、腐敗細菌、アオカビ毒素、および酸化分解生成物による汚染度が全体の八十八パーセントに達しております。現段階で摂食した場合、百パーセントの確率で重篤な食中毒死を引き起こします。完全な産業廃棄物です」
「普通に煮出して絞ればそうなるよな。……だが、俺の力ならどうだ?」
ロイドは袖をまくり、泥とヘドロにまみれた数トンの腐敗甜菜の山に向かって、静かに両手をかざした。
「――《原質分子選択解体》!」
ボワッ……!
ロイドの両手から放たれた淡いグリーンの光の波が、巨大な腐敗野菜の山をすっぽりと包み込んだ。
ロイドの意識が、甜菜を構成する天文学的な数の分子構造へとアクセスする。
腐敗菌の細胞膜、カビの放つ毒素分子、泥や土の鉱物微粒子、酸化して悪臭を放つセルロース繊維――それら「不純物」として分類される分子結合のみを、ピンポイントで選択。
パチパチパチパチッ……!
まるで炭酸水が弾けるような軽快な音とともに、有害な不純物分子が一瞬にして原子レベルで分解され、無害な炭酸ガスと水蒸気となって大気中へと霧散していく。
そして残された純粋なショ糖液から、ロイドの解体波が水分分子だけを優しく引き抜いて蒸発させ、均一な分子グリッドへと再結晶化させていく。
サワサワサワサワ……!
それはまるで、真冬の夜空から音もなく舞い降りるダイヤモンドダストのような、幻想的で清らかな光景だった。




