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第十八章 地の底にある、さかさまの城 3

 城の前は湖が広がっている。

 そして、所々には暗黒のクレバスが広がる断崖絶壁があった。

 湖は黄土色で波打っている。

 朽ち枯れた花のアーチが門の前を彩っていた。

「ふん。お前は門番か?」

 黒髪が風に靡く。

 そこには、負傷して包帯を巻いたセルジュが仁王立ちで佇んでいた。

 まるで、何かを頑なに守っているかのようだった。


「さあてな? しかし、アイーシャ。今度こそ、決着を付けようぜ?」


 セルジュはどうやら、本気らしかった。何が彼をそうさせるのだろう?

 ……こいつ、こんなに意志強かったっけ?

 分からない。


「城の中に入ってこいよ? 俺のホーム・グラウンドだ。お前が考えているように、中は罠だよ。もう分かっているだろ? でも、お前は俺達を倒したいんだろ?」

「そうだな……」

 アイーシャは自らの赤黒いロングボブの髪を撫でる。

 世界を纏う色彩は黄土に染まっている。まるで、熱病にでも掛かったかのよう。あるいは、全てがセピア色に塗り潰されているかのようだった。


 アイーシャは剣を構える。

 セルジュは両肘と両膝から、刃を生やす。そして、舌を出して自らの唇を舐める。

 波音が響く。

 そう言えば、少しだけ此処は、地獄の景観に似ていた。

 かつて、ルブルの城に来た二人。片方は歓迎されて、片方は無理やり拉致のようにされて…………これはきっと、ある種の宿命なのだろう。

 あるいは、二人は殺し合う為に配置されたのか。

 今や、そんな事はどうでもいい。


「ほら、案内しろよ。私を城へ入れろ」

 アイーシャは敢えて、挑発に乗る事にした。彼女はバイアスに、外で待機するように指先で指示を出す。

 彼女は、ゆっくりと扉を開けて、中へと入っていく。

 暗い部屋の中で、明かりが灯る。


「最初、鏡張りの部屋にしようと思ったんだけどなぁ」

 彼はとても楽しそうだった。

 圧倒的なまでの優越感。


「より周到にしようと思ってな? 鏡だったら、一枚一枚剥がされれば、攻撃の死角を作られるからな? だから、こういうセッティングにした」

 そこは、氷が張られた部屋だった。

 冷凍室……。

 アイーシャは、唸る。


「罠って言ったよな? 俺は卑怯者で小心だから。出来れば、より確実にお前を倒したい。臆病なんでな?」

「はん」

 アイーシャは鼻で笑う。


「勝ち誇った時点で隙だらけだ。私に勝てないよ、お前」

 セルジュの背後には、別の部屋へと向かう扉があり、それは硬く閉ざされていた。

 鍵などで固定されているのかもしれないが、どうせそんなもの壊せばいい。

 アイーシャも、覚悟を決めるように、入ってきた扉にあった錠前の鍵を閉める。


 ……セルジュが鏡を割って、私の像を破壊して、私を粉々に砕くまでに、二秒程か? いや、彼が動けば一秒いかないかもしれない。しかし、その間に倒してしまえばいい。


 アイーシャは思考していた。

 正面切って戦おうとしている時点で、彼はもう不利なのだ。ネタがバレてしまっている。そして、彼は理解しているのだろうか? 鏡を割って敵の像を砕くのも、敵の首を刎ねるのも、余り大差無い事にだ。一撃当たれば、それで終わる。それだけだ。

 セルジュが前後左右斜め、上方下方。何処に移ったアイーシャの像を砕こうとしようが、まるで関係無い。動いた瞬間に、一撃で此方が終わらせればいい。

 一閃で、切り伏せて絶命させる事に、何も変わりは無いからだ。


「セルジュ……」

 彼女は冷たく言う。


「ああ? 何だよ」

「お前、息が荒いぞ。私に斬られる前に、本当に私の姿が映った氷を割れるのか? ねえ、一見、お前が完全に有利な場所になっているけれども……」

 不意打ちが効かない。

 彼なりに、堂々と挑んでいる。

 アイーシャも準備万端だった。

 いつでも、変形して彼を切り伏せる事が可能だ。


「いや、やるぜ」

 数秒の間、二人は沈黙していた。そして、先に動いたのはセルジュの方だった。

 セルジュは。

 何と、アイーシャ目掛けて刃物を振り翳しながら突撃してくる。

 彼女の鏡像を割ろうとせず、真正面から、彼女の首を落とそうと刃を振り回してきた。


 アイーシャは。

 右腕を変形させて、盾の形へと変える。盾の先の辺りは尖り、ナイフのようになっていた。セルジュは。


 アイーシャの盾の部分に触れる。彼女は本能的に……右腕を切り離していた。

 盾がぐしゃり、ぐしゃりと変形していく。そうだった……、彼は“映し鏡”を使う振りをして、アケローンでアイーシャの全身の骨を砕こうとしていたのだった。

 アイーシャは跳躍していた。空中で両脚をハサミのように変えていく。そして、セルジュの胴の辺りを狙い撃ちにする。


 セルジュの腹が裂けて血の飛沫が散っていく。アイーシャの額からも少しだけ割れ、血が垂れる。セルジュが床を滑りながら、地面に映ったアイーシャの頭を少しだけ傷を付けたみたいだった。アイーシャの左腕は長い剣へと変わり、それが分解され、ワイヤーで鉄の塊が吊るされている。彼女は鞭のように、それをセルジュへと振り回していた。


 セルジュは氷の壁面を叩き割る。彼女の分解剣が、バラバラに砕け散っていく。アイーシャはすでに、右腕を回収して作り直していた。

 これ程までとは……アイーシャは唸る。

 とにかく、彼は強かった。

 意志と意志が激突し、互いに一歩も譲らない。

 何がそうさせるのだろうか?

 今や、セルジュはクズなのか? 彼は人の人格を在りのままに認め、愛する事を知ったのか? きっと、彼はそこからスタートしたのだろう。成長し、強くなった。

 アイーシャは感じ取っている、彼が何を思っているのかを。


 メアリーを守りたい。

 その切実で狂的な感情が伝わってくる。

 だが……、だからこそ、絶対に、この男は倒さなければならない。



 風船男は林の木と木の間を、移動しながらケルベロスから距離を置いたり、詰めたりしていた。


「お前は何だ?」

 一応、彼は誰何する。

 げっ、げっ、げっ、と粘液を吐き散らしながら大男は不気味な笑いを浮かべていた。


「わしの名は、ボルアー。るぶる様のゾンビ四天王の一人じゃああぁああぁぁ、げっ、げっ、げげっ」

「そうか」

 ふん、と、ケルベロスは拳を叩く。


「取り合えず、邪魔をしないで貰おうか?」

「そうじゃああっ、そうじゃあっ、じゃじゃじゃっ」

 彼は口の中から、便箋に入った手紙を吐き出して読む。

「みそぎ様から、案内するように言われておる、おる」

「ミソギから? ああ、行くぜ」

 ぶっ、ぷっ、と。

 ボルアーは口から吐き出す粘液で、地面に地図を描いていく。

 どうやら、この“さかさまの城”には出入り口が三つあるらしい。正門、裏門、そして非常口となっている二階へと続く螺旋階段。

 ミソギは螺旋階段から向かえる二階の奥に待っていると、彼は言う。


「そうか、場所は大体、分かった。じゃあ、どいて貰おうか」

 ボルアーは。

 問答無用とばかりに、ケルベロスに襲い掛かる。


「るぶる様やみそぎ様の手を煩わせるまでもぉないわぁ、お主はわしに喰われるのじゃあぁあ」

 ふん、と、ケルベロスは深く呼吸すると。

 身を翻して、ボルアーを無視した。


「じゃあ、俺は行くぜ。命令は俺への伝達だけだろう? お前、色気を出して何なら、俺の首でも取って褒められたいとでも思っているのか? なら、浅知恵だな」

 そう言いながら、ケルベロスは風船男を無視して、伝えられた場所へと走っていく。

 丘陵が続いている。城はもうすぐだ。アイーシャは先に行った。

 城の裏門近くにまで来る。

 すると、巻貝のような形の階段が見つかる。階段の段差は何故か裏側に付いていて、表側は、まるで滑り台のような形状をしていた。

 そして巻貝の滑り台が終わる場所には、まるで取って付けたような、壁を切り取られた、鉄製のドアがあった。おそらく、さかさまの城を占拠した後に、多少改築して、扉を増やしたのだろう。


 ケルベロスは巻貝の近くまで来る。すると。

 城の上空から、何者かが降ってきた。

 全長、十数メートルはある怪物だ。

 そいつは、無数の女の頭をしていた。年端もいかない幼女もいれば、妙齢の女もいる。肌の色も髪の色もまるで違う。彼女達は呻き、嘆き悲しみながら口から胃液のようなものを吐き続けていた。

 ルブルの犠牲者の、なれの果てだろう。

 そいつの首から下は人間の女の上半身に、蛇の下半身をしていた。尻尾の先には、サソリの尾のようなものまで付いている。上半身は、人間の顔の皮膚をなめしたもので覆われていた。


「あたし、はヴァネッサ。よろしく」

 女の頭達とは別に、上半身の胸の下に、大きな口があって、そいつが発声する。

「喰われろ、喰われろ、お前も仲間に入れ。私達じゃ女だけだから。別の部品になるだろうけどねぇええ?」

「そうか。邪魔だ。何処か行けよ」

 ケルベロスは淡々とした顔をしていた。

 後ろには、鼻息を荒げたボルアーも迫っていた。


 ……どうしたもんかなあ。

 彼は後頭部を掻く。

 どうにも、遣り辛い相手みたいだ。


「よう、ケルベロス。この私も混ぜろよっ!」

 突然。

 真っ黒な形のエネルギーの弾丸が、ヴァネッサの頭を爆撃する。

 ケルベロスが振り返ると。

 そこには、大鎌を持った死神の少女、インソムニアが立っていた。


「おい、いつの間に?」

「お前とアイーシャの後を付けていたんだよ。一応、此方に来る前にメビウスにも連絡入れて置いたぜ。奴もそのうち、そっちに来るんじゃねぇ」

 くるくるっ、と、インソムニアは大鎌を回す。


「じゃあ、ケルベロス。先に行けよ。アイーシャと先に合流したら、決着はまた次の機会にやってやる、って言っておいてくれよな?」

 少女はにんまりと笑った。


「ああ、感謝する」

 そう言うと。

 ケルベロスは跳躍して、階段を上らずに、二階の非常口の扉を開ける。


「じゃあな、頼んだぞ」

 インソムニアは片手を振っていた。

 そして、その後、周りにいる二人の化け物をしげしげと眺める。


「で、お前ら、何だったっけ?」

 彼女は面倒臭そうな顔をしていた。

 頭半分を焼かれて、悲鳴を上げ続ける頭部を無視して、腹の口からヴァネッサは喋る。


「我らはルブル様直属ゾンビ四天王のうち二人、ヴァネッサとボルアー。ルブル様は我らを信頼し、貴様らの首を献上するようにおっしゃっておった」

「ああ、そうかよ。ルブルってのには会った事無いけどさ。四天王とか如何にも遊び心で付けて、使い捨ての捨て駒だとしか見てないと思うぜ? ダートってののメンバーに入れた奴以外はゴミだと思っていると思うぜ?」

 そう言うと、化け物二人は怒りの声を上げ続けていた。


「アイーシャとやりあいたかったんだが。何か込み入っているしさ。ケルベロスまでいるし、たりぃーよなぁ」

 そう言うと。

 インソムニアは二人を無視して走り出す。

 四天王二人は意表を食らって、しばし困惑する。


「お前らなんざ倒さなくても、どうせ、世界は何一つとして変わらねぇよ。てか、思ったんだけど、もしかして、ルブル倒したらお前ら機能停止とかしねぇの?」

 彼女は走り続ける。

 化け物達は追い続ける。


「大将のルブルを倒すのは、この私だ。私が一番、美味しい役やってやるよ!」

 インソムニアは嬉々とした顔をしていた。

 泥だらけで水草がびっしりと生えた湖を見つける。

 そこには、長くて丈夫そうな橋が架けられていた。

 そして、湖の中から幾つも巨大な大木が伸びている。

 インソムニアは橋の上を走り続ける。

 橋は追ってくる巨大な体躯の化け物達が跨っても、まるでびくりともせず、その強靭さを保っていた。


「わしの大口で、喰ってやるわぁああああぁぁああっぁあ」

「お前も、お前も、私達の仲間に入れぇええええっ、女だから、丁度いいぃぃいいいっ!」

 インソムニアは橋を渡り続けていた。少しだけ長い。

 おそらく、此処が裏門とやらへと続いているのだろう。

 しばらくして、半ば開き掛けた門が見つかった。そして。

 門に立ち塞がるかのように、一人の華奢な青年が佇んでいた。

 髪はショートヘアの栗色をしている。体躯は小さめだ。


「何だ? お前は?」

「俺はペイガン。ルブルのダートの十二番目らしい…………」

 彼は、何処か他人事のように言った。


「力の名前は『ヘカテ』。なあ、お前は何ていう名前なの?」

「私か? 私はインソムニア……」

「そうか……」

 ペイガンは頭を抑えながら、蹲る。


「俺は俺を抑えられない。みんな、死んでいった。けれども、何処かずっと地面に両脚を立てていないような気がして。ずっとずっと…………」

 何か黒い影のようなものが、這い回っていた。

 それらは橋や、木々へとべったりと付いていた。

 インソムニアは後ろを振り向いて、困惑したような顔になる。


 見ると。

 大蛇の怪物ヴァネッサが、大量の顔の口から胃液のようなものを吐き続け、大量の両眼から涙を流し、大量の鼻から鼻水を流し続けている。

 風船怪物のボルアーは、痙攣しながら湖の底へとゆっくりと沈んでいく。


「な、何もみ、み、視えない。う、う、うぐじゅっ、わし、わしの身体、何故、何故、動かない? うご、動かない?」

 何なんだ? これは……?

 インソムニアは、意味が分からず困ったような顔になる。


「ヘカテ」

 ペイガンは、にっこりと笑う。

「インソムニア、俺を……俺を助けてよ。どうすればいいか分からない…………。ヘカテ、その力自体が意思を持っているのかな? 分からない、俺はもう何も……」

 そう言いながら、ペイガンはよろめきつつ、元来た城の中へと戻ろうとしていた。インソムニアは彼の後を追う。


「わしのぉ、身体がし、沈む。うううっ、たすけ、助けぁあああっ」

 ヴァネッサの方は、自分で自分の肉体に両腕の鉤爪やサソリの毒針などで傷を付けていた。ぷしゅりっ、ぷしゅりっ、と、自らの毒で彼女の身体は瘤が出来て、膨らんでいく。


「息が出来なければ、わ、わしはただの死体に戻るぅぅぅうう。るぶる様、お主、お主、なぜぇ、なぜぇ、中途半端にわしらを人と同じようなぁ構造にデザインしたぁあああっ、うううううっ!」

 ゾンビ二人は、そのまま機能停止へと向かっていった。


 人間でいうならば、死という状態。

 インソムニアは、ペイガンが入っていった扉の中へと入る。

 背後では救援と、哀願の声が響き続けていた。




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