女大王、皇極天皇(3)
「巫女に手を出したのか」
大王は大海人皇子を軽くなじった。
「恐れながら。その職は都合の上でのこと。鏡王の娘は巫女ではございません。それに私はまだ手を出してはおりません」
「まだ」
大王が短く言うと、海人様はうっと言葉に詰まって身を引いた。
「大王、言葉のあやでございます」
大王の本殿にまず私が呼ばれ、しばらくして海人様も同席させられた。今は海人様が大王のお近くで、私は後方に下がって姿勢を正して座している。
「ふうん。女はそうでもないようだぞ」
海人様がこちらをちらと振り返るので、私は余計に顔が熱くなった。先ほどから手を出しただの、出していないだのを聞いているうち、口を重ね合わせるのは手を出したことになるのだろうか?と思い浮かべて、私は頬を染めていた。
「初い者でございます。あまりそのように揶揄いなさいますな」
「ふうん」
「ご譲位の前に、縁付きをどうかお許しくださいませ」
「軽皇子の即位後では面倒だからな」
「……」
海人様がたじたじであった。
大王は近々、大王のご兄弟へ譲位を決めていた。
次代は男の大王であるから、お許しを得ようと参上すれば、かえって事をややこしくする。万一にも私が新大王に見染められれば、結婚どころか後宮入りとなってしまう。
私が得難い女人というわけではない。大海人皇子が欲しがるものを自分も欲しいと思う高貴な方々は多い、ということだ。
御簾がまた微かに揺れる。大王が海人様の様子を眺めたのだろう。お人が悪い。しばしの沈黙が本殿を覆う。
夏の盛りということもあるが緊張で額に汗が滲み出る。ずいぶん静寂を堪能した後、大王の声が響いた。
「良い、進めよ」
大王のお許しが出た。海人様は深く深く頭を下げた。私もそれに合わせて、床に額がつくほど頭を下げる。
「だがふたつある。ひとつは、葛城の子が無事に生まれ無事に一月を過ぎてから」
「仰せのままに」
「神の意によっては先々になる」
「仰せのままに」
「それまでにわれの巫女を軽皇子に横取りされても困るな。札に残そう」
「ありがたきこと」
皇太子様はもうすぐにお子がお生まれになるようだ。皇子かどうかを問われるのかだろうかなどと気を揉んだが、女大王の前で皇子か皇女かを問う者はいなかった。それを聞くのは女であるのが悪い事のようだから。
「もうひとつ、皇后は皇女のみである。わかるか」
海人様は頭を下げたまま返事をしないし動かない。またも差し出がましいと思いつつ、私は後方から大王に声を上げる。
「心得ております」
海人様が私を振り返る。私は首をゆっくり縦に振る。求婚された日にこの話が出たとき、私は愚図愚図として、恨み言を述べて、そのままにしていた。けれどそのような小娘のわがままなど、大王の前では風の塵のようなものだった。それに私は海人様が大王に言い淀んだ、それだけでもう愛しかった。
海人様が言葉を続ける。
「私に大王の位を狙う野心はございませぬ。臣下として大王、皇太子をお支えして参ります」
「はは、才なき者ほど大王になりたがるわ。しかし大海人よ、大王にならずともお前が皇女を妻にするのは決まりごとである」
「……」
「はい。仰せのままに」
すぐさま返事をしない海人様の代わりに、また私がしゃしゃり出てお答えを差し上げた。
本編外補足)
様をつけるか問題
現代風に様呼びをしていますが、大王には様がどうしても感覚的にフィットせず、大王は様なし、皇子は様ありというねじれ現象を起こしており失礼します。
この個人的な違和感は、大王は古代の呼称ですが皇子は近い時代にも残る呼称のためと思われます。




