お前、俺の妻になれ
摺り寄せられた海人様の頬から顔を引いて、二つの黒目を覗き込む。
「好きな女とは私のことですか」
「他に誰がいる」
「驚きました」
「そうか。せっかくの妖からの言祝ぎだ、長生きせいよ」
軽口を叩いた海人様だが、私がずっと真顔なのを見て取ると、改まった口調になった。
「おれもお前も十五になる。幼いそぶりでのらくらとまわりを交わすにも限りある。お前、おれの妻になれ」
私は目を丸々と見開く。
「位が足りませぬ」
「おれがうまくやる。鏡王に話はつけよう」
私はぽかんと呆けてしまった。
自分は海人様を好いていて、海人様も優しく返してくださったが、それはそれ、髪上げまでの初い恋で終わるものと思っていた。
今のご治世は女の大王であったから、なんとはなしにいろいろの決まり事が緩やかで、お見逃しを受けていたが、ひとたび常のように男の大王が立てば、私は飛鳥宮を追い出される。もしくは新しい大王の後宮に入るのか。皇子様たちの住まう所も、出入りの先も、ずっと厳しく定められる。
加えて、血筋のよい海人様が成人すれば、表にも出て、妃選びの牽制が始まって近づくことすらままならないだろう。
だからこのようにぽっかり浮いたひとときは、今だけの刹那だと自分に言い聞かせていた。
「お言葉、切に嬉しく思います」
「進めて良いか」
頷こうとして動きが止まる。当前のことだが、妻は一人だけ、などという皇子は飛鳥にいない。
「妃は何人娶るおつもりで」
「さきよ」
海人様は珍しく困惑した表情を見せる。
「妃などおれの預かり知らぬところでいくらも増える。おれの意ではない。何人娶ろうが、はじめの妻はただ一人、それは変わらぬ」
「そうですか何人娶ろうが」
「そのようにつらく申すな」
海人様はなんとか納得させようと言葉を尽くす。
「此度の政変は、良い折りであると思った。大兄は才気あるが苛烈な方だ。今ならおれの妻には、中の位が望まれる。ならば今こそ、さきを、と考えた。しばらくは皇女をあてがわれることもない」
「しばらくは?」
少し黙れとでもいうように、海人様は私の口の先に指を当て、くるくると回す。占いで唐の小盤を回すので、その癖がついているのだろうか。
「妖の祝いを受けたろう。われらは長く生きられる。いくらかの草花を渡ったとして、最後に望むはお前のみ」
そう言って海人様は私に口を重ねた。
「これも皇女にはおいそれとできませんから、私なのですか」
「馬鹿を言え。好きな女にしかせぬ」
「子ができやすくなるとお言いになりました」
「そんなものは口実だろう」
まるで他人事のように言うので呆れるが、おかしなことに、私もこれが嫌ではなくなってきた。
「さき、妻になれ」
海人様はもう一度それを繰り返し、私の返答を待っている。




