遷都、新大王の命により(1)
乙巳の変から2日後、大王は退位され、実弟である軽皇子が即位した。孝徳朝の始まりである。
「まさかここまで急に代替わりされるとは」
早くても1、2ヶ月先のことだと思っていた。とすれば、海人様の素早くも強引な動きに頷ける。私は何もわかっていなかった。
そしてさらに驚くことには新大王からは遷都が告げられた。新大王とその取り巻きは譲位の式がすべて終わり次第、一度、飛鳥宮を立たれる。
特段の事情のあるものを除き、私たちも年内には飛鳥を出なければならない。およそ半年後の新年には難波で政が始まる。
私は大王付きの巫女という体裁で宮中に部屋をいただいていた。大王が退位して、海人様の通いが終わるまで、果たして私はどこに居れば良いのだろうか。一度、鏡王の領地に戻るべきか。
そう思いあぐねていると、私はまた女大王に呼ばれた。いや今は大王ではないから、あのお方をなんとお呼びすれば良いのかわからない。
◇
本殿に赴くと、大王の御簾は上げられていた。私は座して頭を深く下げる。
固まっていると、その尊き方が声をかけてくださって、私はゆっくりと顔を上げる。
「譲位した。そう畏るな」
「大王は大王です」
「そうだな、それにすべからく退くわけではない」
じつにその通りだった。女大王は皇祖母尊という特別な地位を持つことになったと教えてくださった。
「軽皇子への譲位は一時のものである。皇太子は変わらぬ」
そう言い切ったときの爛々とした瞳は大海人皇子を思わせた。私はこの大王しか知らない。海人様が言っていた、たおやかな大王とやらを私も目にしてみたいものだ。
「だが、さっそく何をやるかと思えば遷都とは。まあ、あやつが改変の恨みを一手に引き受けてくれるのであれば、愚策にも目をつぶろう」
私はぽかんと口を開けて、つい思ったことを口にしてしまった。
「実の弟君でございますよね?」
「あの者は大王の器ではない。それに、子の方が大事である。我が子を永く栄える大王にしたい」
大王の言う「子」の中には海人様も入っているのだろうか。
「はじめは古人大兄皇子に譲位しようとした。蘇我との修復もあるからの。しかし頑として頷かず。それで軽皇子に話を振ると二つ返事であったよ」
大王は恐ろしい変の現場を目の当たりにしてお心が惑い、ついには伏せって政務を執ることが難しくなったため譲位を希望されたと噂されていた。けれど昨日の、海人様が取り付けた謁見でも、とくに心痛のご様子はなく大王はぴんぴんしていた。
「すぐに葛城を大王に立てるわけにもいかぬ。立てたら東宮が空くだろう? 大海人でも良いが、葛城も大海人もともにまだ若く成人に近い子がいない。次々代の東宮が誰かで新たな血が流れよう。となると東宮はそのまま葛城で固め、初老の男に譲るのが良いと考えた」
まるで遊戯の駒のように実の人間を采配する大王にしばし唖然となる。
「そのような話を私めに打ち明けてもよろしいのでしょうか」
「ああいいよ、お前を信用しているし、代歌をするならわれの胸の内も知っておいたほうが良い」
「代歌?でございますか?」
「ああ、お前は歌の素地があるうえ、お前の声には力があると進言してきた者があった」
海人様だろうか。しかしあの方はなるべく人前で話すなとおっしゃっていた。とくに男の居なさる前では。高位の方の代歌となれば、必然、人の前男の前で、声も出すし姿も見せることになる。
首を傾げていると大王、もとい皇祖母様は私に問う。
「ときにお前は難波に行くのか? あてはあるのか? 大海人が新たに宮を建てるとしても日がかかるだろう」
「いえまだ何も。何も決まっておりませぬ。遷都も知らずにおりましたから」
「では続いて、われに仕えるか?」
私はここで、大海人皇子の言を仰ぎ見るべきだったかもしれない。けれど私にとって先の大王の言葉は神のそれに近い。手を差し伸べられたら、すぐにそれを受け取るべきだと体と口が動いた。
「はい、ありがたきことにございます」
「よし、お前は引き続き巫女として侍れ」
ひれ伏す私に機嫌の良い皇祖母様は、
「軽のように、さしたる理由なく遷都を始めたら朝は崩れる。覚えておけよ」
などと、私にはまったく不要であろう帝王学を教えてくださった。




