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第86話 対アスカちゃん用決戦兵器


 二週間後、足の親指が完治したらしく、医者からGOサインが出た。

 それ以前からも練習していたけれど、お墨付きをもらったことで本格的にトレーニングができる。

「あんま無理しすぎんな。怪我したら試合どころじゃないからな」

 道場では武田先生から念を押された。


 武田先生の言うことはもっともだけど、格闘技の追い込みはチキンレースに近い。

 チキンレースとは、障害物に向かって、衝突寸前まで車を走らせて、より近くまで進めた車のほうを勝ちとするゲームだ。

 もちろん障害物にぶつかればアウト。

 それと同じく、怪我をしないギリギリまで自分に追い込めるかが大事になってくる。


 幸い、私は怪我での欠場はまだない。

 でも他のプロ選手で、練習中の怪我で試合が中止になるという例はけっこう多い。

 もちろん怪我で試合中止なんてことになったら目も当てられない。

 でも、そのギリギリ、体がぶっ壊れる手前まで負荷をかけ、追い込まなければ、アスカちゃんには勝てない。

 

 練習が終わり、私は一人、練習着のままお寺まで向かっていった。

 いまからお寺の石段のぼりを一〇〇本する。


 スタートの前に高くジャンプした。

 着地の際、足の親指の感触を確かめる。

 よし、大丈夫そうだ。


 私はスポーツバッグをドサッと地べたに置き、走りだした。

 はじめはゆっくりとしたペースで、五本目から徐々にスピードを上げていった。


 それは五十五本目で起こった。

 私の左隣を強い風のようなものが駆け抜けた。


 大きな猫か何かかと思ったけど、ちがった。

 暗がりで良く見えないけど、人だった。


 私を追い越し、いまは少し前方を走っている。

 私の中で負けん気が起こった。

 絶対に追い越してやる。

 私はペースを速めた。


 けれど目の前の人物も加速したので距離は縮まらなかった。

 結局追い越せないまま、一〇〇本に到達した。

 私は石段のてっぺんで息をぜえぜえ言わせながら、先にてっぺんに辿り着き、立ち止まった人物を見つめた。

 男性にしては小柄で、背は私より少し高いくらい、暗がりで顔ははっきりとは映らないが、体のシルエットから女性かなと思った。

「すごく速いですね。全然追いつけませんでした」


 するとこちらに近づいてきた。

 思わず後ずさりしそうになるが、後ろが石段なのを思い出し、踏みとどまる。

 鼻がこすれるくらいの距離まで接近され、ようやくお寺の薄暗い照明に照らされた顔がはっきりと識別できるようになった。

 相変わらずの美少女ぶりだ。

「アスカちゃん、だったんだね。どうりで私よりも速いわけだ」

「私はまだ五〇回目。ヒナの方が長く階段のぼりしてる」


 石段ダッシュをやめ、アスカちゃんとお賽銭箱のところまで移動することにした。

「こうして歩いていると、昔を思い出すね」

 歩きながら私は語りかけた。


 アスカちゃんは「うん」と短く頷いた。

 あのときは大晦日だから人がいっぱいいたが、いまは私とアスカちゃんの二人しかいない。

 お寺の拝殿まで向かう。

「ヒナ、怪我の具合はどう?」

「前の試合で鼻と足の親指を折ったけど、もう元通りだよ」

 私は賽銭箱の前で財布を取り出す。

「よかった。私の方も、とっくの昔に足が治った。フットワークも軽くなった」

 私は一万円札を賽銭箱に入れた。

 我ながら馬鹿なことをしているという自覚はあったけど、私なりの覚悟の表れだ。

 もっとも仏様はあてにしていない。

 最後は私自身の力でどうにかする。


「大晦日はいい試合にしようね」

 アスカちゃんも賽銭箱にいくらか硬貨を入れていた。

 そのあとで、申し訳なさげに言った。

「ごめんなさい。でもいい試合にはならない、と思う。私は一方的な展開であなたに何もさせずに倒すつもり」

 喧嘩を売っているわけではないだろう。

 アスカちゃんは対戦相手を挑発したり、煽ったりはいままでして来なかったし、今回も違うだろう。

「勝ち方にこだわってるの?」

 アスカちゃんは頷く。

「ヒナは強くなっているし、実際に強い。簡単に勝てる相手じゃないことも知ってる。それでも、今回は結果だけじゃなくて、試合内容も問われる闘いになる。私にとって」

 アスカちゃんはそれ以上何も言わなかったし、私もそれ以上詮索しなかった。


「そっか。まあ、お互い全力を出すだけだよ」

 そう言った私はアスカちゃんに手を差し出す。

 けれど握り返されることはなかった。

「私たちは、友だちじゃない。ライバル。馴れ合いはしたくない。まだ」

 強い眼差しがまっすぐと私を射抜く。

 気圧されそうになるのを堪えて見つめ返す。

 そして私はニコッと笑った。

「そうだったね。ようやくアスカちゃんと闘える。それが嬉しくてつい、浮かれちゃってた」

 私が伸ばした手を引っ込めると、アスカちゃんは問いかけた。

「ヒナは、なんてお願いした? お金、入れるときに」

 言うべきか迷ったが、はっきりと声に出して言い切った。

「アスカちゃんに、勝てますようにって」

 すると彼女は不敵に笑った。

「一度言ったことは取り消せない」

 私もニッと笑った。

「大丈夫。撤回するつもりなんてないから」

「私も同じことを祈った。あなたに勝てるようにって」

 そう言うと踵を返し、石段を先に降りていった。


 アスカちゃんのうしろ姿が見えなくなったのを確認してから、私は薄暗がりの中、シャドーボクシングを始めた。

 才能も実力もあるアスカちゃんに勝つには、彼女以上に努力するしかないと思ったからだ。


 私は拳を私の顎より少し上に突き出した。

 アスカちゃんは私より背が高いから、顔はこのあたりだろうか。

 ついでボディブロー。

 みぞおちはこのあたりか。

 ただ良いのが当たっても、一発では倒れないだろう。

 私は、『対アスカちゃん用決戦兵器』に己を改造すべく、夜遅くまでシャドーボクシングを続けた。


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