第82話 ヒナVSトギシ 決着
二ラウンドが終わり、三ラウンド目に突入した。
トギシの体と額から汗がしたたり落ちている。
口を半開きにしたまま、粗い呼吸を繰り返している。
やはりヒカリ先生が分析したとおり、トギシはスタミナに難ありだった。
そんななか、渾身の力を振り絞っているのだろう。
苦しそうに横殴りのフックの連打を放ってきた。
フックの軌道が大きく、しかも遅い。
かわすのは簡単だった。
一発目は、かがんでかわし、二発目は距離を詰めることで急所をずらした。
「手数には手数だ! 逃げてばかりじゃ駄目だ! 応戦するんだ!」
武田先生、ありがとうございます。そうします!
かまわずにトギシが三発目を打ってきたが、これを私は、フックで迎え撃った。
顔の横に置いている手に衝撃が走る。
ガード越しでも効くけれど、耐えられないわけじゃないからポーカーフェイスを貫く。
反対にトギシは、顎に私のフックをもらい、ぐらついた。
トギシは倒れまいと、腕を折り畳み、必死に顔をガードして後ずさった。
「ボディ攻撃よ、ヒナ! いっけぇー!」
沙世さんのアドバイスを合図に、私はマットを蹴って距離を詰める。
右のストレートをトギシの空いたボディに叩き込む!
うぇっという呻きが聞こえたものの、なおガードは固いままだ。
「上が固いなら下を攻めろ!」
武田先生の指示が飛ぶ。
左ジャブでガードの上から叩き、ふたたびボディストレート、おまけのローキック。
上段が鉄壁なら、そこから下を攻めるのが定石だ。
膝下への蹴り、カーフキックを見舞う。
トギシが少しバランスを崩した。
そこへまたボディ!
ガードが少し開く。
そのとき、私は体を下げて、両足タックルに入った。
スタミナの切れた今なら!
成功しそうに見えたが、金網際だった。
嫌な予感がした。
トギシがまたもや金網に手を伸ばしかけた。
だが、その手は空を切った。
そして完全にマットに背をつけた状態になった。
何はともあれ、私が望んでいたグラウンドゲームに突入だ。
「いいぞ、いいぞ! そのままやっちまうんだ!」
武田先生がとどめをさせと檄を飛ばす。
胴体を足で挟まれている。
トギシはクローズドガードの体勢だけど、足の拘束は弱かった。
まだパスガードには行かず、上から殴る殴る殴る。
スタミナ切れを起こしているトギシは動きが鈍い。
マウントに行ける!
私はトギシの足を乗り越え、サイドポジション、さらにそこから胴体に馬乗りになった。
マウントポジション。
上が圧倒的に有利な体勢だ。
拳を振り上げ、トギシの顔面に打ち下ろす!
トギシは上体を起こし、私の胴体に抱きつこうとする。
それを引きはがし、今度は肘!
トギシのまぶたが切れ、血が流れた。
そうして再び殴る殴る。
トギシはパンチを防ごうと両手をすがるように伸ばしてきた。
ありがとう、手を差し出してくれて。
いただきます!
私は両手でトギシの左手を掴むと、全身で左腕に抱きついた。
そして、トギシの身体に対し垂直の方向に左腕を伸ばしていった。
マウントからの腕十字。
右手で、トギシは左腕を伸ばされまいと、自らの左手を掴んでいる。
私は腕十字の拘束を保ったまま、容赦なく右の踵でトギシの顔面をベシベシと叩いた。
意識を断ち切る威力はないが、トギシがあからさまに嫌がった。
いまだ!
私は両足の拘束を強め、両手でトギシの左腕を伸ばしていった。
トギシの腕がピンと張っている。
折れたらごめんなさい。
そのまま力を込め続けると、折れる寸前でトギシは私の足を二回タップした。
レフェリーが割って入る。
腕十字を解いた私は立ち上がり、両手を掲げる。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!」と雄たけびを上げた。
三ラウンド二分二〇秒。
腕十字による私の一本勝ち。
セコンドの沙世さんと、美香さんと武田先生がリングに上がり、私は三人とハグした。
武田先生は顔をしわしわにして半泣き状態だった。
「よく頑張った。鼻をこんなにしてまで、本当によく頑張った!」
「まったく、あなたの試合はいつも心臓に悪いわ!」
沙世さんは言い方はきついが、泣き笑いを浮かべている。
美香さんも涙で頬を濡らしている。
「すごいです。自分よりパワーのある人にこんな勝ち方ができるなんて」
ハグを解くと、私は三人に礼を言った。
「ありがとう! みんなの応援のおかげです!」
勝利の余韻にひたっていると、会場からは私への賞賛と、それ以上にトギシへの罵声が飛んでいた。
せっかくいい気分なのに。
「トギシ、弱すぎ!」
「オカマ野郎は二度と来るな!」
罵声が飛ぶなか、私はインタビュアーからマイクを向けられた。
勝利おめでとうございます、につづいて、質問に移ろうとしたのだけど、私はマイクを貸してくださいとお願いした。
マイクを受け取った私は、大きな声で怒鳴った。
「鋼トギシ選手を侮辱するのはやめてください! トギシ選手への侮辱は私への侮辱です! 彼女は立派なファイターです!」
すると場内は少し静かになった。
マイクを返し、インタビューに答え終えると、よろよろとした足どりでトギシがこちらにやってきた。
手をこちらに伸ばしている。
試合は終わったので、不意打ちのミドルキックが来ることはないだろう。
私も手を伸ばし、握手を交わした。
「ありがとう。ブーイングから私をかばってくれて。それと、体重をオーバーした件は悪かったわ」
「トギシさんも強かったです。三ラウンド目、金網を掴まなかったですね」
「当たり前でしょ。私はこれでもファイターよ。同じあやまちは繰り返さないつもりよ」
前日計量のトラッシュトークも演技だったのだろう。心底反省しているようだ。
「あなたのこと、最初はあまり好きじゃありませんでした。でもこうして闘ってみて、あなたも格闘技を愛するファイターの一人なんだなと分かりました。今後も誤解とか無理解で、いろいろ悪く言う人がいるかもしれないけれど、ブーイングに負けずに格闘技を続けてほしいです」
トギシは腫れた唇で笑みを作り、握手の力を強めた。
「ありがとう。頑張ってね、未来のチャンプ」
トギシさんと入れ替わるようにして原田代表が、金網に入ってきた。
目元と口元、ともにご満悦だ。
原田代表は、私の前に立つ。
スーツ姿で相変わらずガタイが良い。やはりビジネスの世界で生き残ってきた猛者だけある。迫力が違う。
私は思わず身構える。
「いい試合でした」
代表の言葉に、私はペコリと頭を下げた。
「強引にトギシ選手との試合を組ませてしまい、すまなかったね」
「いえ、まあ勝てたのでよかったです」
ここはもっと怒ってやってもよかったかもしれないが、一応私たちのボスなので堪えた。
「お詫びと言ってはなんですが、新藤選手とのタイトルマッチ、お約束します」
思わず震えが起こった。
「ありがとうございます! 全力でいい試合にします!」
私の言葉を聞いて原田代表は、嬉しそうに頷いた。
「幼馴染のライバル同士がタイトルマッチをかけて闘う。とてもドラマ性があって良い。私も楽しみにしていますよ」
そう言うと、原田代表は金網を後にした。
つらいことのあとには、いいことがあるものだなとしみじみ思っている、場合ではなかった。
控室に戻る途中で、私は思わず叫ぶ。
「いだだだだ!」
さきほどはアドレナリンが出ていたので痛みの感覚も麻痺していたが、いま冷静になって痛みが逆襲してきた。
武田先生は自分が怪我したかのように苦しそうな顔をした。
「盛大に足の親指と鼻を折っちまったなあ」
親指は足元を見て気づいた。右の親指だけ根元から曲がらない角度で外に開いている。
さらに美香さんが手鏡で顔を見せてくれた。
顔は正面を向いているはずなのに、鼻だけはあっちむいてホイをしていた。
「ひえええ!」
「泣くな! きっと元に戻る! たぶん」
武田先生が必死に励ましてくれるも、軽くショックだった。
格闘技をしていたらいつかこういう日が来るかもしれない。
そう覚悟していたけれども。
武田先生は困っていた。
「次、ヒカリの試合だったな。すまん、美香。病院について行ってやれるか?」
美香さんは頷く。
会場近くは電車の本数が多いので、車がなくても病院には行ける。
でも、まだヒカリ先生の試合がある。
「私も残ります。ヒカリ先生の闘いを見届けたいので」
武田先生は一喝した。
「駄目だ! 病院だ病院! 美香、こいつ、足の指を怪我してるから、転んだりしないよう気を遣ってやってくれ」
「はい! ヒナさん、行きましょう!」
沙世さんも私に、病院に行くよう促した。
「心配しないで。私と武田先生でヒカリ先生のサポートをするから。結果わかったらメッセージ送るから」
美香さんと沙世さんが私の肩をポンポン叩いた。
早く行けということだろう。
リングドクターに鼻と親指の応急処置を施してもらって、美香さんとともに会場を後にした。




