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第80話 人は変わる


 嫉妬してしまうくらいまぶしいライトの下で闘うヒナとトギシ。


 私は歯がゆい思いを感じていた。

 いま自分が観客席にいるということ、あの金網の中にいないという事実に。


 それを知ってか知らずか、米田はひとこと「大丈夫だよ」と言った。

 ちらと米田を観る。

 彼の視線は観客席を向いたままだ。

「はあ? なにがよ?」

「ジュリもまたこの舞台に立てるよ」

 励ましの言葉に素直になれない私。

「当たり前でしょ。ドゥーネに勝ったんだし、また呼ばれるわよ。たぶん」


 ところでさ、と前置きをしてから米田が別の話題を持ち出す。

「それにしてもさ、男嫌いだった君が俺の告白にイエスと言うとは思わなかったよ」

「いま、その話をするかい。ん、いや、まあ。嬉しかったしな!」


「ああ、あのときの!」

「それ以上言わんでよろしい!」

 こいつ、鉄の女を陥落させて悦に浸ってやがる。


 あれは、復帰戦でトギシに負けて二週間後のことだった。

 意気消沈した私は、ダメージの回復を口実に、二週間ほどトレーニングをサボった。


 休んでるというよりはサボっていた。

 軽い筋トレすらしておらず、何もする気が起きない無気力状態に陥っていたのだ。

 バイトはすでに辞めており、何もすることのない私はアパートでひたすら寝て、たまに起きては格闘技の試合を動画で観て、自分の境遇の惨めさに涙を流し、感傷的になっていた。

 まるで悲劇のヒロインみたい。


 そんなある日、来訪者がやってきた。

 米田だ。

「元気してる? いや、してないみたいだね。大丈夫?」

「つーか、あんた。どこで私の住所知った?」

「覚えてない? トギシ戦の反省会の帰り、僕が車で送ってったじゃないか」


 そんなこともあったっけ。

 あ、そうだ。

 私は、試合の後、反省会と称した飲み会に参加したのだった。

 まだ酒を飲んでいい年齢ではなかったけど、負けてヤケになっていたこともあって、周りの制止を無視して呑んでしまったのだ。

 未成年かつ頭部にダメージのある状態での飲酒は危ないので、良い子はマネしないように。


「引っ越そうかな」

「なら僕の住むアパートはどう? 広いし、二人で住めば家賃も安く済むよ」

「いや。マンションの方がいい。って、だめだめ。結婚前の男女が同棲だなんて。つーか、私がどんな女か、あんた知っているでしょ。私にその気はないから」

「うん、知ってる。頑張り屋で口は悪いけど、根はやさしい女の子。いや、女性か」


 私はなんと乗せられやすいのだろう。

 そのとき顔がかーっと赤くなっていたのではないだろうか。

 体温が一気に上昇した気がした。


 私は乗せられまいと、必死に抵抗した。

「女に飢えてるんなら他を当たりな。と言うより、帰ってよ。人、呼ぶよ」

 米田は頷くと、ごめんと言ってから、去り際にこう言った。

「単刀直入に言うと、前から君のことが好きだったんだ。でも君の気持ちを無視してまで、踏み込むことはしない。僕は待ってるから」

「ちょ、な、なによ。その出来損ないの少女漫画みたいな台詞は」


 それから練習に復帰した後、いくらかデートを重ねた。

 向こうが誘ってきたので、応えてあげた。

 

 スキンシップとかはしなかった。

 キスもない。

 ただ練習が休みの日にどこかへ出かけたり、買い物をしたりなどだ。


 そんなことを繰り返して、五回目になって、私は核心に触れた。

「もうこういうの、やめない? あんたのことは悪い男だとは思わない。でも私はさ、好きな人ができても、いつか私の元を離れていっちゃうんじゃないかって思っちゃうんだ。信じきれないのよ。だから……」

 米田は黙って頷き、そしてしばらくして言った。

「君の心の壁を壊して、強引に踏み込むことはしたくない。だから、待つよ。君がいつか心を開いてくれるそのときまで待つ」

 てっきり僕のことを信じてとか、僕はお父さんみたいな男じゃないよとか、言うのかと思ったが、米田は強引に私に迫ることはしなかった。

 米田の言葉を聞き、私は動揺を隠しきれず、「あわわ」とか「うわわ」とか意味をなさないうめきをあげた。


 我ながらなんとチョロい女なのだろう。


 私はおそるおそる米田に手を伸ばした。

 彼も手を差し出してきた。


 私は手を握るか握らまいか迷っていた。

 そして、思いきって握った。


 握り返してきた米田の手は堅く、やさしく、あたたかかった。


「そこ、いつまでもニヤニヤ笑わない!」

 私の一喝に、米田はごめんごめんと謝罪した。

「人は変わるもんなのよ。私もだし、今こうして目の前で闘っているヒナもね」


 急に米田は真面目な顔になった。

「そうだね。ジュリもヒナちゃんも強くなってる」

「あたぼうよ」


 金網に視線と意識を集中させる。

 ヒナの鼻からの出血が止まらない。

 セコンドの女の子が拭いても拭いても止まらないので、ヒナは手で制している。


「ヒナちゃんの鼻、折れているね」

 米田は自分が痛みを感じているかのように心配していた。

「幸い、レフェリーが止めてないし、あの様子だと試合続行できそうだけど、相当苦しいわな。呼吸がしづらいと思う」

 私の分析に米田は頷いている。

 その間にも、時間は刻々と進んでいく。


「いまのところ、トギシが有利、だね」

「最後のハイキックは良かったけど、一ラウンドはトギシに取られたと思う。でもここからよ。ヒナはタフだから」

 インターバル終了、さて、ここからどうするか。

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