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第75話 前日計量

 そうして前日計量の日となった。


 さすがにアスカちゃんと麗艶さんとの試合ほどではないけど、記者がそこそこ集まっている。

 さらに抽選で選ばれたファンも計量の様子を見守ってくれている。

 壇上の中央には、体重計が置かれ、その周りを関係者、司会者、セキュリティの人、そして原田代表が陣取っている。


 一ヶ月と準備期間は短かった。

 なおかつトギシさんの戦績は一勝一敗で、試合映像が少ない。

 あまり対戦相手の研究はできなかった。


 数少ない二回の試合を観たかぎりでは、どちらかというと打撃が得意で寝技が苦手という印象だ。

 男性として試合に出てたときの対戦相手は、ジュリちゃんと同じ寝技の得意な選手だった。

 トギシさんは打撃で闘おうとしていた。

 対戦相手もそれに応じて序盤から打ち合いになった。

 ところが、やはり男性相手だとパワーに差があるのか、パンチでダウンを奪われた。

 倒れたところから、そのまま上をとられ、マウントからの腕十字で破れている。

 一ラウンド一分三五秒一本負け。


 ジュリちゃんとの試合では最初は寝技で苦戦していた。

 二ラウンド目、ジュリちゃんのタックルに対し、ロープ掴みの反則で寝技の展開を防ぐという卑怯な手を使ったのは寝技への自信のなさの表れだろう。

 なぜか立った状態から試合再開だったから、運よくジュリちゃんにノックアウト勝ちしたけれど、もし寝技から再開されていたらトギシさんは負けていたと思う。


 ヒカリ先生とは、打撃をよけてタックルで寝技に持ち込む練習をいっぱいした。

 それと私は試合までの間に、珍しく図書館に行った。

 トギシさんのことをもっと知りたいと思ったからだ。

 生まれつきテストステロン値が高い女性のことを調べたり、トギシさんの試合が掲載されている格闘技の雑誌を調べたりした。

 頭の悪い私には理解できないこともあったけど、スポーツの世界ではテストステロン値の高い女性選手は、公平性を保つため、値を下げるための薬を投与されたり、出場資格に制限が設けられたりするらしい。

 トギシさん本人についても調べた。

 アマチュアレスリング時代に大けがを負わせた事件は、当時の新聞や雑誌でかなりバッシングを受けたようで、トギシさんはそのことで傷つき、アルコール依存症で長く苦しんできたということは分かった。

 同情できなくはないけれど、トラッシュトークや反則のロープ掴みなど、生まれつきのところ以外でも問題がある気がする。

 

 そんなことを考えていると、あっという間に私の番になった。

 減量は順調で、体重は十分に作ってきた。

 

 私はいま、おなかの見えるセパレートタイプのウェアを着ている。

 格闘技をやってきたおかげで腹部のふくらみもおとなしくなっため、おなかを見せるのにも抵抗はなくなった。

 体重計に乗る。

 

 リミットに近い五二キロ。

 ほっと胸をなでおろす。

 あまり体重を落としすぎると、トギシさんにパワー負けする可能性があったから、このくらいがちょうどいい。

 体重計を降りると、原田代表と握手を交わす。


 つづいてトギシさんが壇上に上ると、会場はざわついた。

 ボディビルダーのように筋肉が引き締まっている。

 肩回りの筋肉が私の二倍はある。

 さらにぴっちりとしたタンクトップ状のラッシュガードが、より筋肉を際立たせていた。


 思わず私の体と見比べてしまった。

 パワーでは絶対に勝てないと思った。

 トギシさんは自信満々なスマイルを浮かべ、腕で力こぶを作り、体重計に乗る。

 場を重たい沈黙が支配する。

 司会者も目を丸くしている。


「えーっと、トギシ選手、五五キロ、体重オーバーです。」

 会場に集まった人からはブーイングが巻き起こった。

「反則野郎!」

「お前なんか、どっか行け!」

 

 リミットをおよそ三キロもオーバーしている。

 するとトギシさんは、しまったといわんばかりに顔を上にあげ、両手でおさえた。

 

 その間もブーイングの勢いは増すばかりだ。

 三キロの体重差は大きすぎる。


 原田代表がこちらに近づいてきて言った。

「本来なら、体重に差がありすぎる場合、試合を中止することになる。でも、そうすれば試合が一つ消滅してしまうからね。ファンががっかりするかもしれない。どうする?」


「もし試合を断ったら?」

 私の問いに、原田代表は笑みを浮かべつつ鋭い眼差しを向けてきた。

「君との契約がなかったことになるかもしれないね」

 ヒカリ先生が厳しい口調で抗議した。

「それはいくらなんでもひどくありませんか」

 原田代表は意に介さなかった。

「私は山本選手に聞いています」


 選択の余地はなかった。

「やります。トギシ選手と闘わせてください!」

 原田代表は「素晴らしい!」とわざとらしく言った。

 心配そうにこちらを見るヒカリ先生を安心させようと、親指を立てた。

 おもしろくないが、やるしかない。

 この程度の困難、乗り越えてみせる。


 司会者が事情を記者たちに説明していると、突然トギシさんに抱きつかれた。

「あなた、最高ね。勇敢だわ」

 私が押しのけようとしているのを見たトギシさんは離れた。

「私はあなたを許したわけじゃありません。代償は試合できっちり払ってもらいます」

 減量は大変だけれど、契約体重を守ることは最低限のマナーだ。

 セイラさんのように私を馬鹿にする選手もいままで何人かいたけれど、敬意を抱かなかったことはなかった。

 でも今回ばかりは、どうしてもトギシさんをリスペクトできそうにない。


 オホホと高笑いをしたトギシは「つれないわねえ」と言った。

「私のパンチで、そのまんじゅうみたいな顔を二倍にも三倍にも膨れ上がらせてやるわ」

 やせたけど、それでも顔の形のせいか、体質のせいか、顔はあまりシャープにならない。

 試合前の煽り合いが好きじゃないので、黙っておいた。

 試合まで今日の怒りは貯金しておく。


 トギシさんはフーっとため息を吐く。

「相変わらずつまらない女ねぇ」

 不意に司会者が私にマイクを向けてきた。

「トギシ選手の体重超過というアクシデントがありましたが、試合を受けられましたね。今回の意気込みをどうぞ」

 負の感情を呑み込み、強い眼差しで答えた。

「勝ちます。勝って新藤選手とタイトルマッチをします」

 王者の名前が出たことで、会場からはざわめきと歓声が起こった。

 私は続けて宣言した。

「そして! 私が新藤選手に勝って、新チャンピオンになります!」


 言ってしまった。

 もう引き返せない。

 奥歯をぎゅっと噛みしめた。

 会場からは歓声と、「無理だろ、お前には!」みたいな野次の両方が飛んだ。


 次にトギシさんへのインタビューが行われた。

「規定体重をオーバーしましたが、練習前の調整がうまくいかなかったのでしょうか」

 トギシさんはわざとらしい作り笑いを浮かべていた。

「昨日、ステーキを食べすぎちゃったのよ。でも満腹ってわけじゃないから、フールカウ、馬鹿な牝牛もついでにいただくとするわ。とってもまずそうだけど」

 くだらないジョークを飛ばした後、最後にカメラマンに近づいて、ここにはいないアスカちゃんに宣戦布告した。

「おい、アスカ! 聞いてるか! 女子格闘技は所詮、おままごとよ。私なら楽勝でおまえを倒せる。私がもらいに行くまで、ベルトを磨いて待ってな!」


 壇上から下りるときに、ヒカリ先生が私に謝ってきた。

「ごめんなさい。この試合を止めることができなかった」

 私は平気な顔をした。

「へっちゃらです。要は勝てばいいだけですよ」

 先生はまだ浮かない顔だ。

「早瀬さんとの試合を観て研究してきたけど、もって生まれたパワーが違う。あのときは体重を合わせてきた。でも今回のトギシは体重を超過している。おそらくパワーが何倍にもなっているはず。不安要素が多くて」

「信じてください、私を。これまでの練習は決して裏切りませんよ」

 ヒカリ先生は頷いた。

「そうね。指導者が信じなくてどうするの、という話よね。何としてでも勝ちましょう」

 すでにヒカリ先生と話し合い、作戦は立てている。


 試合は五分三ラウンドという長丁場だ。

 トギシは試合数だけでなく、試合時間も短く、フルラウンド闘った経験はない。

 陸上の短距離走の選手のような筋肉質な体をしており、スタミナがないのではとヒカリ先生はトギシを分析した。


 だとすれば、序盤で、速攻で仕留めようとしてくるはず。

 その暴風をしのぎ、スタミナを消耗したところで寝技に持ち込むという作戦だ。


 こうして、トラブルはあったものの、公開計量は終了した。

 同じ大会に出場するヒカリ先生も無事計量をクリアできた。

 今回体重超過したのは、トギシのみだった。

 後日、体重超過のペナルティとして、トギシは出場給の二〇パーセントを私に譲渡する羽目になった。

 

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