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第73話 デラヒーバ

 長いドリル練習が終わった後、スパーリングに入った。


 まず麗艶さんとヒカリ先生のスパーだ。

 ストライカーのヒカリ先生と、グラップラーの麗艶さんだが、これは試合ではないので、どちらも打撃や組み技一辺倒ではなく、練習で学んだ技を試していた。

 ヒカリ先生も自分からタックルに行ったり、麗艶さんもパンチを試みた。

 寝技の攻防も、相手を抑え込まずに動きつづけることを重視していた。

 麗艶さんの三角絞めでヒカリ先生はタップして一時中断となった。


「さすがですね。速くて反応できませんでした」

「ありがとう。あなたの方こそ立ち技で寸止めしてくれなかったら、何度も失神してたわ」


 三分間という短い時間ながら、思わず見入っていた。

 どちらもすごい。

 やはりというか、RFCに出場するクラスのファイターは、平均点が高い。

 グラップラーの麗艶さんも打撃が巧く、ストライカーのヒカリ先生も寝技が巧い。


 インターバルを終え、今度は私と麗艶さんになった。

 私は武者震いした。

 アスカちゃんと死闘を繰り広げた元王者。

 まじまじと麗艶さんを見つめる私に、ヒカリ先生が苦言を呈した。


「スパーは勝ち負けじゃないから、気負いすぎないようにね」

「すみません。楽しんでスパーします」

 私はリラックスしようと肩を上下に動かし、麗艶さんと握手を交わした。

 さっそく開始。


 麗艶さんがタックルに来た。

 私は両足を素早く後ろに放り出し、上から覆いかぶさった。『がぶり』というタックルの対処法だ。

 がぶられた麗艶さんは私の右腕を掴み、外側に逃げ、背後に回る動作をした。

 アームドラッグという技術だ。

 

速い!

 あっという間にバックに回られた。


 上体を起こし、中腰の状態になった私の背面から、麗艶さんがまとわりついてくる。

 腰に回された手を解除したい。

 私は両手でなんとかクラッチを切り、向き直るも、麗艶さんは即座に離れる。


 私は一瞬背を向け、後ろ回し蹴りを仕掛けた。

 あまり得意じゃないけど、練習してきた技だ。

 距離は合っていたけれど、麗艶さんにバックステップでかわされる。


 今度は麗艶さんが一気に距離を詰め、正攻法のワンツー。

 ワンは手でさばいて、ツーで私はタックルに行った。

 麗艶さんは踏ん張るも、私はさらに加速して、倒すことに成功した。


 上からパンチを打ち下ろす。

 練習なので、軽めに。

 でもスピードは落とさずに。

 麗艶さんは一瞬微笑をうかべた。

 このスパーを楽しんでいるかのようだ。


 ヒカリ先生の例にならい、私もガッチリと固めずに、ガードポジションの足をまたごうとすると、スイープでひっくり返され、下になった。

 立ち上がろうとした麗艶さんの右足に、私は自分の左足を引っかけた。

 待ってましたとばかりに、私は今日学んだデラヒーバを実行しようとした。

 デラヒーバから足を使い、相手をひっくり返す動作をしようとしたが、そのとき。

「いたたたた! 足つった!」

 慣れない動きをしたせいか、足をつってしまった。

 それでも麗艶さんは止まらなかった。

 下になった私をサイドポジションで抑え込んだ。

「足がつっても、対戦相手は攻撃を止めてくれないわよ!」

 スパーを一時中断してくれるだろうと思っていた自分の甘さに腹が立った。


 アドレナリンがドバドバ出て足の痛みも緩和された私は、下から足をブンブン振り回した。

 強引にひっくり返しサイドポジションを取り返したが、すぐにエビを切られ、ガードに戻された。

 ここからというときに、スパーリング終了のブザーが鳴った。


 麗艶さんと握手を交わす。

「いいスパーができたわ。デラヒーバの入り方も悪くなかったし、抑え込まれたあとの対処もすごくよかったわ」


 何回かスパーリングをし、この日の練習は終わった。

 私は麗艶さんと雑談をしていた。

「アスカちゃんとの闘いは名勝負でした。最後までどっちが勝つか分からなくて、アスカちゃんを応援していた私も、ヒヤヒヤしながら観ていました」

 麗艶さんは鷹揚な人で、あまり失礼なことを言われても怒らない。

「あれは、ほんと悔しかった。判定だと負けると思っていたから、焦ってアナコンダチョークを仕掛けたのが失敗だったかしらね。あとは言い訳になるけど、ちょっと私生活でゴタゴタしててね。調整不足だったのもあるわ」

 あの試合の麗艶さんはどこかやつれていたように映っていたけど、本当に調整がうまくいってなかったようだ。

 それでもアスカちゃんとあれだけの試合をしたのだから、やっぱりすごい。


「私生活のゴタゴタって・・・・・・」

 聞こうとして、しまった、と思った。

 これはさすがに失礼にあたる。

 私の気持を察してか、麗艶さんは苦笑し、「不倫よ」と答えた。


 不倫というキーワードで、ふとジュリちゃんを思い出した。

 私が知っている頃の彼女は麗艶さんに敵意を抱いていた。

 そうして当然の疑問が湧いた。

「いまから聞くことは、失礼かもしれないですが、許してください。その、麗艶さんはなんでいつも、家庭を持った男の人と不倫関係になるんですか?」

 麗艶さんはしばし黙った。

 これはさすがに怒らせたかもしれない。


 練習後で熱気が漂うジムの空間がどこか冷え冷えとした。

「あなたって、当たり障りなさそうに見えるけど、言いたいことはズケズケ言うわね」

「すみません」


 やがて麗艶さんはフフフと笑ってから、ゆっくりと言葉を探した。

「私が妻子ある男性と不倫を繰り返す理由。それは、いろんなきっかけがあるんだけど。そうね、まず私は香港の治安のよくない場所で生まれたわ。父は最初からいなくて、母子家庭だった。ちなみに母は娼婦をしていた。それらは別にいいとして、年頃になった私は恋をした。でもその人はすでに家庭を持っていた、という話よ。どう? つまらないでしょう?」

「それは……」

 つらい経験でしたねと言おうと思っていたところで、麗艶さんがケラっと笑った。


「あなたのいまの顔、すごく辛気臭いわよ。私はそういう同情が嫌だから、いままで誰にも言ってこなかったのよ。香港時代のことはすごく傷ついたけど、今となっては昔。いつまでも引きずってないわ。それにね」

 麗艶さんは笑みを深めて続けた。

「私がいままで不倫を繰り返してきたのは、私の性根の悪さが原因よ。私はね、有頂天になっている人間が、失意のどん底に落ちる姿を観るのが好きなの。特に、私に好意を持たれていると勘違いして浮かれている男の、失意の姿を観るのがね。性根の腐った悪趣味な最低女。それでいいわよ」

 私は首を振る。

「麗艶さんは最低じゃないと思います。私がまだ中学生のとき、不良二人組みにからまれたとき、助けてくれたし、私のところの練習生の沙世さんを励ましてくれたし、格闘家としても強いし、すごく尊敬しています。不倫は、その、どうかと思いますけど……」

 ジュリちゃん、ごめんなさい。でも、私は麗艶さんのことを悪く思えない。

 そこへセイラさんが割って入った。

「そうです。レイエンさんは、強く優しい私のティーチャーです。リスペクトしてます」

 すると麗艶さんは目を細め、冗談めかして言った。

「二人ともありがとう。ハンカチを持ってくればよかったわ」

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