第68話 鋼トギシについて
席に戻ると、愛ちゃんがトギシについて説明してくれた。
いまはメインイベントまでのインターバル中だ。
「トギシはさ、いわゆるトランスジェンダーらしいね」
私は返答に困った。
愛ちゃんは続けて言った。
「私もさほど詳しくないんだけどさ。なんていうか、テストなんたらってのが生まれつき多いらしいんだよ」
「テストステロンだね。男性ホルモンの一種だよ」
一般的にテストステロンが高いと筋力やパワーが強まると言われている。
でもこれは男性の場合で、女性の場合は議論の余地があるらしい。
「だから男子の試合に出てたのかな?」
トギシさんは、世間ではトランスジェンダーと言われているけれど、本人は一貫して女性として育てられ、女性であると公言している。
ただ、高校のレスリング部時代に、女子部門で出場し、相手の女子選手に勝ったものの、大けがを負わせてしまった。
偶発的なものだったらしいけれど、トギシさんのテストステロン値が生まれつき高いという点に注目が集まってしまい、ズルをしていると批判が殺到。
結局、無効試合となり、トギシさんはレスリング部を追放された。
それから、精神的に不安定になったり、アルコール依存症になったりで苦しんだらしい。
それから長いブランクを経て、昇竜とは別の、総合の大会に出たという。
そのときは男子部門で出場したらしいけれど、敗けている。
「私は難しいことは分からないけれどさ、トギシは好きじゃないんだよね。特に悪口がね」
愛ちゃんの言葉どおり、トギシさんはSNSでよくいろんな著名人にトラッシュトークを仕掛けている。
最近の標的は、ついさっきまで王者だった麗艶さんだ。
トラッシュトークの内容としては、麗艶は中国で売春をしていた、数々の家庭を崩壊させてきた不倫女だ、あの胸は絶対に豊胸手術をしている、顔もいじっている、などなど。
中には真偽が定かではないのも混じっているけれど、そうしたアピールが功を奏したのか、その当時、勝ち星のなかったトギシさんは、いきなりRFCの切符を掴んだのだ。
「ところでなんで最初からランカーのジュリちゃんだったのかな?」
私よりSNSに詳しい愛ちゃんが解説してくれた。
「SNSでトギシは、麗艶さんの不倫のことを批判して、被害者家族に謝罪しろとコメントを送ってさ、そこへ早瀬さんがトギシに噛みついたのよ。部外者のアンタは黙ってな、ってね」
なるほど。ジュリちゃんとしては、トギシさんと麗艶さんの因縁が深まれば、自分より先に、トギシさんが麗艶さんと闘うことになるかもしれず、それを回避したかったのだろう。
「なんつうか、生まれつきのものは仕方ないけど、やり方がねえ。やっぱずるいわ」
愛ちゃんの言葉に、あいまいな頷きを返した。
トギシさんは、キャリア二戦目でジュリちゃんに勝ってしまった。
ズルをしてるとは言いたくないけれど、あの試合はやはりパワーの差が歴然だった。
序盤はジュリちゃんが開始早々、タックルに成功してマウントも取って有利に進めていた。
トギシさんはマウントから一本を取られないよう、しのぐので精いっぱいだった。
流れが変わったのは二ラウンド目。
再びジュリちゃんのタックルで倒されそうになったとき、トギシさんがロープを掴んだのだ。
これは反則に当たる行為だ。
減点された後、なぜか立った状態での再開となった。
ここからトギシさんが持ち前のパワーでブンブンとフックを振り回し、それがジュリちゃんに当たってしまい、トギシさんのノックアウト勝ちとなったのだ。
「ヒナの次の相手、トギシになるかもね」
「うん。覚悟してる」
その後は、メインイベントを観て帰った。
結果は王者の防衛で終わった。
高度な技術の応酬で、私はおもしろかったけど、判定だったためか、ブーイングする観客もいた。
帰りの電車に向かう途中、二人して今日の大会の感想を少しだけ語り合った。
今日は様々な感情が物凄い強度をもって現れては消える濃密な日だった。
そして最後に残ったのは不安だった。
私は用事があるからと愛ちゃんに告げて、途中で別れた。
行きたい場所があったのだ。




