第62話 アスカVS麗艶 1ラウンド目
「麗艶さん、背が高いねえ。手足もアスカより長い。大きい方が有利なの?」
愛ちゃんの質問に、目線はリングを見つめたまま、答えた。
「そうでもないよ。背が高くて、リーチが長い方が遠くからでも攻撃できるけど、背の低い方がその分、筋肉がいっぱい詰まっているから、パワーはあるよ。それに距離をとって闘う選手は、懐に入られると長いリーチが邪魔をして巧く闘えない場合もあるんだ」
「そういえばルールは、ヒナが前、広島で試合したときとは違うの?」
私はうなずいた。
「少し違うよ。目とか後頭部への攻撃が禁止なのは昇竜と同じだけど、四点ポジションの膝蹴り、要は両手両足がマットについた相手への頭部への蹴りが認められてる。あとはサッカーボールキックや踏みつけ、蹴り上げといったグラウンド状態での頭部への蹴りも認められてるよ。それとグラウンドでの肘打ちもOK」
「要はかなり過激なルールってことだね」
「うん。四点膝、サッカーボールキックとか蹴り上げはアルティメットフォースでも禁止されているから、ある意味RFCが一番過激かも」
私たちが話している間も試合に向けて着々と進行している。
見上げるアスカちゃんと、見下ろす麗艶さん。
互いのグローブをタッチすると、両者は一旦コーナーまで離れた。
てっきり、グローブタッチなしでいきなり殴り合うかと思ったが、そんなことはなく、このへんはスポーツマンシップに溢れている。
アスカちゃんはSNSをしていない。
麗艶さんはアスカちゃんに対し、『可愛い箱入り娘』とSNS上でつぶやいたくらいで、特に炎上もせず、批判の応酬にはならなかった。
おそらく双方に恨みがない。
むしろ互いへの尊敬の念があるように感じられた。
これが理想の、スポーツとしての総合格闘技といえるかもしれない。
試合は静かに始まった。
「お互いにまだ、あまり手を出してないけど、ピリピリした緊張感が漂うねえ」
愛ちゃんの言う通り、アスカちゃんも麗艶さんも互いの様子をうかがっている。
軽くアスカちゃんが、膝の下へのカーフキックを放つ。
麗艶さんは、すねを外側に向け、ディフェンスする。
静かな、とても静かな序盤だった。
近くの席からは、はやく殴り合えよ、というぼやきも聞こえた。
ブーイングもちらほら。
でも、ここはぐっと堪えるべきだ。
麗艶さんは背が高く、リーチも長い。アスカちゃんは前に出て、踏み込まないといけない。
でも闇雲に出ても返り討ちに遭うだけだ。
麗艶さんよりもアスカちゃんの方が打撃は巧いけど、それでも不用意な攻撃を繰り出すと、カウンターをもらってしまう。
私は歯を食いしばり、拳を握りしめていた。
愛ちゃんは祈るように両手を重ね合わせていた。
そのときだった。
突如、アスカちゃんがタックルで、麗艶さんの胴めがけて突進した。
組みつかれた麗艶さんも必死に踏ん張って応戦した。
「たしか麗艶さんは組んでからの関節技が強いんだよね。なんでアスカは自分から組みに行ったの?」
「おそらく組んでみて、麗艶さんのパワーがどのくらいか試してみたんだと思う」
組み合うことで、相手の力量、組みの力をある程度は把握できる。
案の定、そのまま組み合いには行かず、アスカちゃんはすぐに離れた。
アスカちゃんは何を感じたのだろうか。
じりじりと互いに距離を詰める。
さきほどのカーフキックの距離だ。
でもアスカちゃんは蹴らなかった。
おそらく蹴り足を掴まれて寝技に引きずり込まれるのを警戒しているのだろう。
麗艶さんから動いた。
鋭い前の手でのジャブ。
最小限のステップでかわしたアスカちゃんは、ジャブを打ち返す。
不意に麗艶さんがかがんで、タックルに行った。
ジャブに対するジャブのカウンターに合わせてタックルに入る。
麗艶さんの得意なパターンだ。
だが不発に終わった。
だけでなく、麗艶さんの頭は突き上げられ、ノックアウトはされないまでも、よろよろとした足どりで後ずさった。
タックルに合わせ、アスカちゃんが膝蹴りを放ったのだ。
紙一重だったと思う。
膝蹴りだけでなく、蹴り技全般は軸足一本で体全体を支える。
当然ながらバランスが不安定だ。
もし失敗したら、自分がこかされて、倒されてしまうリスクがある。
対するタックルもある意味捨て身技だ。
全体重を相手にあずけて、押し倒す投げ技。
カウンターの蹴りがいまのようにクリーンヒットすると、自分の体重分の反動が襲いかかり、大ダメージを受けてしまう。
そしていまの紙一重はアスカちゃんがものにした。
「いまだよアスカちゃん! いっけー!」
私は大声を張り上げた。他の観衆も同様の声をあげた。
声援をよーいどんの合図にしたかのように、マットを蹴り、思いっきり踏み込んだ。
そして左右のフックを麗艶さんの頭部めがけて打ち込んだ。
びゅんびゅんと風切り音がした。
「すっご。フルスイング。当たったら一発じゃん」
麗艶さんは必死に腕で頭部を守る。
足どりも、さきほどのよろけた状態とは異なり、しっかりとマットに立っている。
膝蹴りをもらっていながら、すごい回復力だ。
その間も、アスカちゃんの暴風はとどまることを知らない。
矢継ぎ早に連打を放っていく。
麗艶さんは背を向け、暴風域から逃げたあと、再び正対した。
観衆の中には、情けねえと嘲笑する声もあがった。
「露骨に逃げたね」
「それも戦術としてありだよ。事実、麗艶さんはアスカちゃんの攻撃が当たる距離から逃げることができたんだから」
でも観客だけでなく、審判への印象も悪いのはたしかだ。
残り三〇秒あるけれど、関節技を極めるには投げ技で倒して、関節技の体勢に入って、極めるという手順を踏む必要がある。
間に合わない。
全部で三ラウンドあるけれど、この一ラウンドはアスカちゃんが獲った。
そこへすかさずアスカちゃんが両足タックルを仕掛けた。
まさか寝技に行くとは思わなかったのだろう。
麗艶さんは不意を突かれた形になり、テイクダウンされ、下になった。
序盤の胴タックルで麗艶さんの組む力を把握し、組みでも負けないと判断したのだろう。
「おお、上になった。アスカが有利じゃん。あ、でも早瀬さんの試合のときみたいなこともあるからわからないか」
愛ちゃんの言葉どおり、まだ下からでも邪魔できるガードポジションの体勢だ。
麗艶さんは、まだ攻撃ができる。
アスカちゃんもそれは分かっているのだろう。
下からの反撃を警戒し、不用意にパンチを出したり、足をさばいたりしていない。
そのときだった。
いつの間にか、アスカちゃんの右腕と頭部が麗艶さんの両足で挟まれ、絞め上げられていた。
「え? アスカ、ピンチじゃん!」
「あまりにも自然に、スムーズに三角絞めに入ったから反応できなかったんだと思う」
私もリング上で見ていた、つもりだった。
けれど三角絞めに至るまでの細かな手順があまりにも洗練されすぎていて虚を突かれたのだ。
もし私が麗艶さんと対峙していて、同じ状況になっても反応できなかったと思う。
それくらい見事な三角絞めだった。
「やばいよ。アスカ、負けちゃう?」
愛ちゃんの心配する声に対し、観客席を見つめたまま、私は首を横に振った。
「第一ラウンドは残りわずか。ここを我慢すれば第二ラウンドに進める」
とはいえ完全に極まっている。
絞められているアスカちゃんの顔が真っ赤になっている。
相当苦しいに違いない。身動き一つとれないでいる。
ラスト一〇秒。
レフェリーが真剣なまなざしで、かがんでアスカちゃんの様子をうかがう。
九秒。
麗艶さんは三角絞めの拘束を一切緩めることなく、動かないアスカちゃんの頭頂部めがけて肘打ちを叩き込む。
八秒。
アスカちゃんの頭から出血した。顔を真っ赤にしたまま、歯を食いしばっている。
七秒。
「耐えられる、耐えられるよ、アスカちゃん!」
「アスカ、がんばれ!」
私と愛ちゃんが必死に叫ぶなか、試合を止める権限を持つレフェリーに向かって、アスカちゃんは親指を立てた。
大丈夫なようだ。
六秒。
麗艶さんはアスカちゃんの頭を両手で上から抑え、三角絞めの拘束をより強めた。
五秒。
お互いが石のように動かない。意地と意地のぶつけ合いだ。
四秒。
三秒。
二秒。
一秒。
レフェリーがアスカちゃんの背中と、麗艶さんの肩に触れた。
それを合図に、麗艶さんが三角絞めを解除した。
1ラウンド目が終了した。
先に立ち上がったのは、チャンピオンだった。両拳を大きく掲げ、勝者のように振る舞う。
遅れてアスカちゃんがゆっくり立ち上がる。
やはり完全に絞まっていたのだろう。
息が荒い。
アスカちゃんが背中を向け、セコンド陣のいる青コーナーに戻るなか、スクリーンに映し出される映像に皆が釘づけとなった。
麗艶さんがアスカちゃんに仕掛けた三角絞めのリプレイだ。
「アスカの腕に踵を引っかけて、足を伸ばして、うーんとわけわからん」
首をかしげる愛ちゃんに私が解説した。
「スパイダーガードという技だよ」
私は説明を続けた。
「スパイダーガード。下になった状態で、上にいる相手の手首を掴んで、片腕に足を引っかける、寝技のポジションの一種だよ。道着のある柔術だとよく使うらしいけど、総合だと掴むところが少なくて、おまけに汗で滑りやすいからあまり使わない技術だよ。それをこの精度で、しかも実戦の場で使うなんて、相当練習してこなければ不可能だよ」
「やっぱ王者は強いし、それだけの努力をしているんだね」
私は頷きつつ、言った。
「でも、一ラウンド目は、アスカちゃんが獲ったと思う。三角絞めは危なかったけど、全体的にアスカちゃんの打撃、特にタックルに対する膝蹴りの印象が良かったから」
それでも油断は禁物。
アスカちゃんがトラップクイーンの狡猾な罠に掛かりませんように。
いまはインターバル中だ。
アスカちゃんはチームフェニックスのセコンド、牧村さんから指示を受けていた。
真剣な面持ちで耳を傾けている。
彼女はいま何を思っているのだろうか。




