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第58話 出稽古最後の日

 試合の一〇日前。

 フェニックスジムでの出稽古は本日が最後だ。

 これからアスカちゃんと最後のガチスパーを行う。

 ガチとはいっても、アスカちゃんに怪我させたり、ダメージを蓄積させたりする攻撃はしないつもりだ。


 練習着に着替え終えて更衣室を出たところで、待ち構えていたように男の人が立っていた。

 男性にしては背がさほど高くない。

 軽量級のファイターだろうか。

 けど頭は大きく、体格に比べて首は太い。打たれ強そうだ。

 長年格闘技をやってきて打たれつづけたせいか、腫れぼったいまぶたをしていた。

「えっと、私に何か用ですか?」

「俺は三島大介。これでもプロなんだぜ」

 思い出した。

 昇竜とは別のローカル団体で闘っている選手だ。こうして話すのははじめてだ。


 三島さんは目を細めて笑いかけてきた。人懐っこそうな笑みだ。

 ただチームスパークのとき一緒に練習していた堀山さんのとは、どこか違う感じがした。

 それに馴れ馴れしい気がする。

 私は少し後ずさった。

「すみません。これからアスカ選手とスパーリングをするので」

 すると三島さんは、耳元まで顔を近づけてきた。

 心拍数がはね上がった。

 でもドキドキとかそんなものじゃない。

 彼の大きな顔を払いのけたいと思った。

「ここだけの話、アスカは前回の試合で右足を負傷してるんだ。けどせっかくの麗艶とのタイトルマッチだろ? これを逃したら次はないかもしれない。だから怪我を十分に治さないまま練習を続けてるんだ」

 そういえばスパーのときあまりフットワークを多用していなかった。

 どこか足運びが重い印象を受けたけど、それが原因だったのか。


「わかりました。アスカちゃんの右足の怪我を悪化させないようにします」

 すると人懐っこい笑みから一変、ニヒヒと下卑た笑い顔に変わった。

「そうじゃないだろ。そこは右足を狙わなきゃだろ」

 何を言っているのかよく呑み込めない。

「あの女は父親譲りで頑固だからな。怪我を押してでも大会に出るだろうな。そうしてますます足の怪我を悪化させて、うまくいけば再起不能に追いこめる」

「全然うまいとは思わないんですけど。なぜそんなことをしなくちゃいけないんですか」

「だって敵なんだぜ。夢をかなえるために邪魔なものは早めに排除するにかぎる」

 私は黙って素通りした。もうこの人と話をしたくない。

「おい無視かよ。せっかく教えてやったのに」

 私は振り返らず、そのままエレベーターまで向かう。

 すると走ってきて、またしつこく立ち塞がってきた。

「どいてください」

「悪い話じゃないだろ。お前だってあいつのこと嫌いだろ? あいつだけチヤホヤされていっぱい金を稼いで。ずるいと思わねえのか?」

 私はこの男を睨みつけ言った。

「思いません。アスカちゃんがみんなから褒められているのも、お金を稼いでいるのも、精いっぱい努力して、なおかつ結果を出してそれが認められたから。嫉妬するのは筋違いです」


 突如仮面がはがれた。男は目元をつり上げた。

「さっきからいい子ぶりやがって。俺は偽善者が嫌いなんだよ」

 ちょっと怖かったが、私は怯えた素振りは見せないよう努めた。

「殴るんですか? 警察を呼ばれたら、あなたが試合に出られなくなりますよ」

「お前もアスカも、どうせチャンピオンになれねえよ」

 男は舌打ちし、負け惜しみの捨て台詞を吐いてその場を立ち去った。


 エレベーターに乗り、二階の扉の前に着くと、アスカちゃんが待ってくれていた。

「ごめん。遅くなっちゃった」

「何かあった?」

 私は笑顔で首を横に振る。

「ううん。何にもないよ。ちょっと準備にもたついただけ」

「そう。最後の追い込み、お願いします」

 アスカちゃんが仰々しく頭を下げた。


 そうしてリングの上でアスカちゃんと対峙した。

 ガチとはいえ、お互い膝とすねのサポーターとヘッドギアをつけている。

 リングの外から牧村さんが指示を出す。

「ガチスパー。だけど、相手を痛めつけたり、怪我させたりはしないようにね」

 私は「はい!」と答え、アスカちゃんは「押忍」と頷いた。


 ブザーが鳴る。

 ガチスパーということで、麗艶さんの闘い方でなく、私のファイトスタイルで闘っていいと牧村さんからあらかじめ言われている。

 そうさせてもらうことにした。

 私は左右にジグザグ動きながら、前進していった。

 アスカちゃんは足へのローキックを放ってきた。

 来た!

 私は即座に足を掴み、そのまま押し倒した。

 上をとれた!


 この度のガチスパーは、試合と同じルールで行っている。

 RFCのルールは過激だ。

 寝た状態での肘打ちが認められている。

 私は、上から肘を振り下ろした。

 直撃したが、アスカちゃんは表情一つ変えない。

 下から見下ろされている。

 変な表現だが、そんな印象を受けた。

 アスカちゃんはくるっと下から半回転し、私の右腕を両手で掴んできた。

 腕十字、の形になる前に右腕を引っこ抜き、すぐに肘。

 それでも平然としている。

 攻撃している私の方が及び腰になった。

 試合を控えているアスカちゃんに容赦ない攻撃を浴びせるのに抵抗を覚えたのだ。

「ヒナさん! 遠慮しないで! やっちゃっていいよ!」

 そうだ。これはガチスパーなのだ。

 私は強めにパンチを打ち下ろした。

 そのときだった。アスカちゃんの目がカッと見開かれた。

 直後、頭を横にずらして私のパンチをかわし、足を動かし、腰を蹴って立ち上がった。

 私も立ち上がる。

 再びスタンド状態で対峙した。


 気づくと私は笑っていた。アスカちゃんもかすかに笑っている。


 私は強く踏み込み、フックの連打を仕掛けた。

 アスカちゃんもフックで応じる。

 先に当たったのはアスカちゃんの攻撃だった。

 私はバランスを崩し、よろける。

 大丈夫。脳は揺れていない。

 体勢を整え、再び前に出る。

 膝下への蹴り、カーフキックをもらう。

 効く。激痛が体をかけめぐる。

 それでもかまわず前進する。

 アスカちゃんが強めのジャブを放つ。

 私は体を下方に下げた。タックルのフェイントだ。

 アスカちゃんもそれに反応した。

 かかった!

 間髪入れずに私は、右ストレートを放った。

 当った!

 でもアスカちゃんは打たれ強い。

 中学生のときのガチスパーでもここから巻き返されたのだ。

 この程度じゃ倒れないだろう。

 そう考え、追い討ちをかける。

 もう一度ダメ押しのストレートパンチ。

 アスカちゃんはすぐに体勢を立て直し、頭を動かして私のパンチをかわした。

 来る!

 中学生のときのガチスパーでは、ここからのクロスカウンターで私は失神している。

 同じ轍は踏まない。

 私はクロスカウンターにそなえ、打ったのとは反対の手で顔のガードを固める。

 ところが、カウンターのパンチは来なかった。

 さらにアスカちゃんは眼前にいない。

 と、いうことは。

 気づいたときには遅かった。

 低空タックルだ。

 

 クロスカウンターへの意識に集中していた私は、タックルを防げず、そのままグラウンドに持ち込まれた。

 アスカちゃんの体勢が整う前に、下からエビを切って、不利な体勢から脱出しようとした。

 が、アスカちゃんは俊敏で、私の肩甲骨に手を差し入れ、肩固めの体勢に入った。

 肩固めという名前だけど、相手の肩と首を自分の両腕で絞め上げ、首を圧迫する技だ。

 私は自分の両手を上に組んで、力を入れる。

 少しでも呼吸する隙間を作ろうとしたが、アスカちゃんの肩固めはタイトで、隙間ができず、どんどん頭への酸素の供給が減っていった。

 私が静かにアスカちゃんの体を二回叩く。

「やめ!」

 牧村さんの声で私とアスカちゃんは動きを止めた。

 リングに上がった牧村さんは拍手した。


「いいよ! ヒナさんの右ストレート、アスカちゃんの肩固め。どちらもすごかったよ」

 私はよろけながら立ち上がり、アスカちゃんに握手を求めた。

「打撃から寝技への切り替えの速さはさすがだね」

 アスカちゃんはまだ起き上がらず、私の手を握り返した。

「ヒナの右ストレートもすごい威力だった」

 私が手を引っ張ると、アスカちゃんは起き上がった。

「短い期間だったけど、練習につき合ってくれてありがとう」

「先にベルトをもって待っていてね」

「うん。約束する。絶対に麗艶に勝つ」

 右足の怪我は心配だったけど、いまのガチスパーでの動きを見て杞憂だと感じた。

 私はアスカちゃんが必ず王者になると信じている。


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