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第57話 進路

 アスカちゃんのタイトルマッチまであと二週間となったときのこと。


 進路指導室にて、私は担任の林川先生から今後の進路についての面談をしてもらっていた。

 先生は白髪交じりの髪をかきながら、うーんと唸っていた。

「すると山本さんは大学に行く気はないと?」

 フレームの細い真四角の眼鏡をかけた先生は、漫画のように人さし指でメガネのブリッジをくいっと持ち上げてズレを修正する癖がある。

 実際にズレていないときでも、苛立ったり、相手の話を真剣に聞こうとするときに、この癖が出る。

 この度もブリッジを持ち上げた。

 私は考えながら言葉を選びつつ、今の自分の率直な気持ちを口にした。

「私は、最初はプロになれたらいいなくらいの気持ちで格闘技を始めました。でも今は夢中になって毎日が楽しくて。もちろん練習がきついなって思うときもあるけれど、楽しい方が勝っていて。私はもっともっと練習して強くなりたい。そのために全ての時間を格闘技に注ぎたいと思っています。だから大学に進まず、格闘技の練習と両立可能な仕事を探します」

「ご両親の許可は?」

「まだ話していないです」

 先生は腕を組み、うーむと再び唸った。

「最終的には山本さん次第ですが、たしかに今の学校の成績だと偏差値の高い大学は難しいでしょうから、進学せず、プロにまでなった格闘技に集中するというのもありかもしれませんね」

 宿題や追試に厳しい先生が、理解を示してくれているとは意外だった。

「ただ、言い方は悪いですが、これは勝率の低い賭けですよ。あなたも知ってのとおり、スポーツの世界は残酷です。会社での仕事以上に結果を求められ、しかもスポーツだけでは食べていけず、ほとんどの人は副業をしています。自分がごく一部の勝つ側の人間ではなく、その他大勢の負ける側の人間になるかもしれないという覚悟はありますか?」

 先生がここまで、スポーツの何たるかを知っているとは思わなかった。

 数学専門で、インドアなイメージがあったから。

「全て覚悟の上です」

 そこで林川先生ははじめて笑みを見せた。

「わかりました。覚悟があるのならそれでいいのです」


 これで面談が終わるのかと思いきや、先生は机の引き出しから、色紙を取り出した。

「サインをいただけませんか?」

 サインは何度か書いたことがある。ファンの人や格闘技に詳しい学校のクラスメイトに。

 つたない字で『山本ヒナ』と書いた色紙を先生に手渡した。

「ありがとうございます。あなたの試合、映像でチェックできるものは逐一観ています。それを観ていたら、格闘技の夢を捨てろなんてとてもじゃないけれど言えませんよ。あとはご両親ですね。うまく説得できるよう頑張ってください」


 帰宅後、両親の説得を試みた。

 お父さんは皿洗いを、お母さんは洗濯物を畳んでいた。

 お父さんは「いいよ」と言った。

 お母さんは「好きにしなさい」と言った。

「え? いいの? こんなあっさり」

 皿洗いの手を止めずにお父さんは答えた。

「だって言っても聞かないだろう。それに好きなことに情熱を注ぐ人生ってのも、いいものかもしれないからね」

 お母さんもマルチタスクで洗濯物を畳みながらだ。

「チャンピオンになれるかは分からないけれど、このまま突き進んじゃいなさいよ」

 私は二人にぺこりと頭を下げた。

「お父さん、お母さん、ありがとう。私、一生懸命がんばるね」

 このたびの試練は、拍子抜けするほどにあっさりと乗り越えられたのだった。


 後日、練習の終わりに、ヒカリ先生にさりげなく格闘家の仕事事情を聴いてみた。

 ヒカリ先生は快く答えてくれた。

「プロの格闘家によってもいろいろよ。高校や大学を卒業した後、就職して二足の草鞋で進む人もいるし、バイトでお金を稼いで格闘技に重きをおく人もいるわ」

「ヒカリ先生はRFCに参加しながら、美容師のバイトを続けているんですよね」

「そうね。正直なところ、そろそろバイトはやめようかと思っているわ。私はあらかじめ、早上がりのシフトにさせてもらっているから、なんとか練習に間に合うけれど、かなりハードな勤務体制よ。それにRFCのランキングで上位に入ることができたから、ファイトマネーも、以前よりもらえるようになった。専業になろうかと思ってる」

「やっぱり両立は大変なんですね」

「そうね。試合や練習の怪我で仕事に出られなくなるときもあるし、職場の人達の理解が必要になってくるわ。プロの格闘家であることを事前に伝えた方が良いと思う」


 それはそうと、と前置きをおいてヒカリ先生が話題を変えた。

「私の試合、決まったわ」

「わあ! おめでとうございます。相手は誰ですか?」

「ランキング三位のザキトフ選手。これで勝てば一気にタイトル戦に近づくわ」

「絶対に勝ってください。全力で応援します!」

 ヒカリ先生は頷くが、まだ隠し玉があるのだろう。話を続けようとしている。

「それとね、もう一つ言わないといけないことがあるのだけど」

「なんですか?」

「あなたにもRFCから、契約しないかとオファーが来ているわ」

 驚きのあまり、思わず、「うえっ」とか「ええっ」とか、すっとんきょうな声が漏れた。

「広島での大会を観た原田代表が、あなたの闘いぶりに惚れ込んだみたいね。一試合のみの契約だけど、いい試合をして勝てれば、次も呼ばれる可能性があるわ。どうする?」

 答えは決まってる。

「もちろん受けます!」

 ヒカリ先生は微笑んだ。

「そう言うと思ったわ。まだ対戦相手は決まってないけれど、近々発表があると思う」

 アスカちゃんのタイトルマッチは大きな出来事だ。

 でも私のRFC参戦も、私にとっては大きな一歩だ。

 アスカちゃんと私。

 二人が同じ王座をかけて闘う場面を何度も夢想してきたけど、その夢に一歩近づいた。

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