第50話 仲直り
控室にて私は勝利の余韻にひたっていた。
「ヒナさん、おめでとうございます。最後の逆転劇、すごかったです」
美香さんが涙目で祝福してくれた。
「本当にすごい試合だった。カッコよかったよ、ヒナ」
沙世さんの距離感が急に近くなった。
ハグされた。
沙世さんは抱擁を終えると、決意を表明した。
「私は、今回の試合を観て、プロの世界は本当に厳しいんだなって思った。でも同時に、やっぱり私、格闘技が好きなんだなって。私もいつかプロになって、あそこまですごい試合は無理かもしれないけれど、カッコよく闘えるようになりたい。もちろん練習はちゃんとするから」
麗艶さんのアドバイスを聞き、私の試合を観て、決意を新たにしたようだ。
「きっとなれるよ。その日まで私も全力でサポートする」
美香さんは、強張った顔をしていたが、やがて意を決して自分がどうなりたいかを口にした。
「ごめんなさい。私はまだプロになる覚悟はないです。根が臆病で、向いてないかなって。でも強くなりたい。昨日の自分よりも。だからこれからはもっと真面目に練習します。アマチュアかプロかはあとからついてくるものかなって。こういう姿勢はダメですかね?」
私はかぶりを振る。
「そんなことないよ。私もはじめは友だち、だった人の影響で始めたし、絶対にプロになると決めてたわけじゃないから。とにかくまずは練習を楽しむ。結果は二の次でも良いと思うよ」
全員が同じ目標に向かって進む必要はない。
それぞれ歩幅も歩くペースも目的地も違うんだから。
美香さんの長い前髪から覗く瞳はキラキラ輝いていた。
ヒカリ先生は嬉しそうに笑っていた。
「あなたの闘う姿は観る人に希望を与えるみたいね。それにしてもいい試合だった」
闘った私以上に白熱していたようで、銀色の髪に汗が光っていた。
「決め手となったボディへのフック。あれはすごかったわ」
ありがとうございますと口にした後、私はあのとき感じた不思議な現象を語った。
「幻聴とかじゃないとは思うんですけど、あのときアスカちゃんの声がしたんです」
美香さんが首をかしげた。
「アスカさんが会場に来ていたんですかね?」
「空耳かもしれないけれど、その声を聞いてから、頭の中がクリーンになって、ボディへ狙いを変えられたの」
ヒカリ先生も顎に手を当て、思案していた。
「私はアスカ選手とは面識がないけれど、インタビュー映像とかでどんな声かは聴いたことあるわ。たしかに、あのときアスカ選手かはわからないけど、大きな声援が聞こえた気がする。まあ、それはさておき」
私の肩に手をおき、これからの展望を語った。
「この調子で行けば、RFCへの出場も、アスカ選手との闘いも夢じゃないわ。でもとりあえずは、ゆっくり休んでダメージを抜くことに専念しましょう」
直接打ち合う格闘技の場合、試合後はダメージ回復のため、二週間ぐらい練習を休んだり、頭部への打撃のあるスパーリングは控えたりする。
道場には顔を出すつもりだけれど、しばらく激しい練習はしないつもりでいる。
でも、もっと強くなりたい、早くアスカちゃんに追いつきたいという思いがあふれ出て、体がウズウズしてきているのが本音だ。
「あれ? セイラがこっち来る。なんだか怖い顔してる」
沙世さんの言葉通り、セイラさんは険しい顔つきでこちらにやって来た。
隣には麗艶さんもいた。
私の前にやって来るなり、セイラさんは大きく頭を下げた。
「あなたへの数々の非礼を詫びます。私負けまーした。認めます」
「気にしなくていいよ。それにセイラさんはすごく強かった。本当に紙一重の闘いだったと思う。さ、顔を上げて」
私に促され、顔を上げる。
その顔はどこか晴れ晴れとしていた。
「私の父は、強い格闘家でした。でも」
セイラさんが言うには、彼女の父親は相手に打たせて自分が打つというリスクの高い闘いをしてきたため、頭部へのダメージの蓄積で、引退後パンチドランカーという脳の障害に悩まされたという。
それは本人だけでなく、セイラさんの家族も襲ったらしい。
「父は試合以外では穏やかな人だったらしいです。でも若いうちに症状が現れました。私が物心ついたときには、すでに暴力的でした。私や母に怒鳴ったり暴力を振るいました。それで母は離婚を決めました。それから間もなくして、父は死にました」
自殺だったそうだ。
「私は才能ある選ばれた人間だけがプロの格闘家になるべきと考えてきました。それ以外の才能ない人間、父みたいに、気持ちだけ強くて格闘技への執着だけでこの世界にしがみついている人間は早々に引退すべきと。失礼すぎるですが、私、あなた才能ない思ってました。不器用で、タフさだけが強みで、あなたを見ていると過去の父を見ているように思えて、余計に許せなくなったです。でも才能ないは私でした。私、引退します」
麗艶さんはじっと黙っている。
おそらくこの話はあらかじめ聞いていたのだろう。
「セイラさん、格闘技は好き?」
私の言葉にセイラさんは目を丸くした。
「あなたには才能があると思う。一回の敗北で辞めちゃうなんてもったいないよ。私だったら、今日の試合でセイラさんに負けてしまったとしても、おんおん泣いたら、ジムに帰ってまた練習に励むよ。次は負けないように」
私は付け加えるように言った。
「セイラさんのお父さんみたいにパンチドランカーになるまで闘えという意味じゃないよ。ただ、ここまで自分を鍛えられてきたのは、引退後のお父さんの苦しむ姿を見ていて、それでもなお、格闘技をしてきたのは、この世界が好きだからなんでしょ? そんなあなたが、格闘技を簡単に手放せるとは思えない」
セイラさんは、やや目を伏せ、しおらしくなったかと思いきや、突然高らかに笑った。
「よく考えればその通りでーす。私ほどの選手が格下に負けたくらいで引退したら、格闘技界が悲しみます。次負けないよう必死にトレーニングすればいいだけでーす。そして私は父みたいなパンチドランカーならないため、打たせない闘いをもっと徹底しまーす」
格下という言葉が自然に出たところを見るに、トラッシュトークも彼女の素の一面なのだろう。
でも引退を撤回してくれそうで安心した。
続けてセイラさんは私を指さし言った。
「私、負けました。でもチャンピオンになる諦めません。いつかあなたにリベンジします」
アスカちゃんを追い続ける側から、途端に自分が追いかけられる側になるとは予想してなかったけど、悪くない気分だ。
私は笑顔で応えた。
「今日の試合、きつかったけど、楽しかった。うん、そうだね。またいっしょに闘おう!」
私とセイラさんは固く握手を交わした。
「あなたはたしかに猪突猛進な牛。でも勇敢な牛。まさにブレイブカウです。私以外に、誰にも負けないお願いします」
「うん。負けないよ。私は新藤アスカと闘う女なんだから」
セイラさんはアスカちゃんの名前が出たことに反応した。
「彼女がレイエンさんのタイトルマッチ控えてて、勝てば王者に近づくからですか?」
「約束したんだ。いつかアスカちゃんの隣に立つって」
「あなたとアスカ、たしか同じチームでしたね。友人同士で殴り合いたいですか?」
私は歯を見せ、ニカッと笑った。
「ちがう、ライバルだよ」
セイラさんは目を細めた。
「不思議な友情ですね。アスカさんとは一度アマチュアで闘いましたが、負けて随分先を越されてしまいました。でも私諦めません。まだチャンピオンになる夢追い続けます」
私たちの和解をあたたかく見守っていた麗艶さんは、私に礼を言った。
「ありがとう。セイラの引退を踏みとどまらせてくれて」
私は照れ笑いを浮かべた。
「そんな、私はただ素直な気持ちを言葉にしただけですよ」
すると麗艶さんはフフフと笑った。
「根が良い子なのね。あなたとアスカとの試合、楽しみね。でも残念。王座決定戦にはなりそうにないわ。せいぜいアスカがプロで初敗北した後の復帰戦というところかしら」
麗艶さんの筋書きでは、次のタイトルマッチでアスカちゃんは負けて、その後の復帰戦で、私があてがわれるとなっているようだ。
私は緩んでいた頬を引き締め、麗艶さんに警告した。
「強いですよ。アスカちゃんは」
女王は動じずに、微笑んだ。
「分かっているわ。いままでで一番強い対戦相手だってこともね。それでも勝つのは私」
そう言い残し、セイラさんとともに控室を先に出ていった。




