第49話 ヒナVSセイラ2 決着
「狙っていたな」
父の言う通り、ピンチな状態に変わりなかった。
ヒナの望んでいたグラウンドの状態に移行した。
でもヒナの首がセイラの両腕で拘束されていた。
さらにセイラの両足は、しっかりとヒナの胴体を挟んで固定している。
ギロチンチョーク。
奇しくもヒナがアマチュア時代、セイラに極められ、失神させられた技だ。
「また同じ展開だな」
私は、父の言葉を即座に否定した。
「あの頃のヒナといまのヒナはちがう」
ヒナはじっとしている。
対するセイラは歯を食いしばり、必死の形相でヒナの首を絞め上げつづけている。
そのとき、ヒナの上半身が火山の噴火のように起き上がった。
「うがぁぁぁ!」
ヒナの雄たけびが会場にこだまする。
私はヒナに向かって頷き、思わず拳を握りしめる。
父はまだ感心していないようだ。
「力技で首を引っこ抜くという強引な脱出方法だったな」
それでもギロチンが極まらなかった事実は変わらない。
まだ試合は続く。
プロなので顔面へのパウンドも許されている。
ヒナは上からパンチを振り落としていく。
ここからが勝負。
ヒナは組んでも強い。いままで寝技による一本勝ちが二度ある。
対するセイラは、アマチュア時代にヒナをギロチンチョークで破っているけど、寝技が得意なわけじゃない。
下になったら相手に抱きついてパンチを防ぎ、レフェリーによるブレイクがかかるのを待つ、もしくは寝技につき合わずに立つ、という展開の方がずっと多い。
「セイラの寝技の対応は相変わらずだな」
父が呆れていると、突如として下になっているセイラの足が上へと伸び、くるっと半回転した。
腕十字だ。
ヒナの腕を極めにきている。
とっさの反応で、極められる前に腕を抜き切ったけど、危なかった。
訂正する。
セイラの寝技は進化している。
これはわからなくなった。
それでもヒナはずっと上からコツコツパンチを打っていく。
「今の腕十字でセイラは体力を使ったかもしれんな」
父の指摘とは裏腹に、セイラの足が、またもや上に伸び、今度はハエトリグサのようにヒナの顔と腕を挟み込んだ。
三角絞めだ。
頸動脈を圧迫されてヒナの顔が真っ赤になる。
ヒナは即座に胸を張り、セイラの足のロックを弱めて、挟まれている腕を引き抜くという正攻法の脱出方法、ではなく、そのままセイラを抱え上げた。
そして、床に叩きつけた。
ものすごい音が会場に響き渡る。
「バスターか。パワーでは負けていないな。そういえばチームスパークのときも、ウェイトトレーニングを地道にこなしていたからな」
父の分析にうんと頷いた。
ただ三角絞めの拘束から逃れることはできたものの、セイラに立たれてしまった。
仕切り直しだ。
「いつまでも遊びなさんな! 打撃で仕留めるのよ、セイラ!」
セコンドについている麗艶の指示が響く。
父は大きく息を吐いたあと、冷めた調子で分析した。
「セイラは自分の寝技の技術をたしかめるために、わざとギロチンチョークで寝技に引き込んだのだろう。おそらくギロチンも、脱出されるのを想定して自分から下になったにちがいない」
「真剣勝負で? 負けたら次はないかもしれないのに」
「それくらいセイラは自分の実力に絶対の自信を持っているということだろう」
気に入らない。
ヒナ、あなた舐められてるよ。
このままでいいの?
「まっすぐ前に出ちゃダメ! 左右にフェイントを織り交ぜて接近するのよ!」
セコンドの佐藤ヒカリ選手がヒナに叫ぶ。
指示通り、ヒナは一ラウンドより頭を動かしてフェイントを多めにして左右にジグザグに動いて接近していった。
これならさっきより、攻撃を受けにくくなる。
私もそう思っていた。
でもセイラは甘くなかった。
ヒナが右にサイドステップするのに合わせて、迎え撃つように蹴りを放ってきたのだ。
美しく弧を描くハイキックが、非情にもヒナのこめかみに直撃する。
一瞬、ヒナの膝から力が抜け、頭部が少し下がり、よたよたとした足どりになった。
「今のは効いたな」
この機会を逃すセイラではなかった。
ふらつきながら後ずさるヒナを追いかけ、フックの連打を打ち込んできた。
ヒナは亀のようにガードを固め、頭部だけは守っている。
レフェリーはじわじわとにじり寄り、ヒナの様子をうかがっている。
いつでも止められるように準備しているのだろう。
そのぐらい今のヒナの状態はまずい。
ハイキックで脳を揺らされ、さらに追い討ちをかけられたら、勝敗云々だけでなく、命にもかかわるおそれがある。
それでも私の父ならタオルを投げないだろう。
父は選手の生命や健康以上に勝利に飢えた人だから。
私だってヒナと同じ立場であったら、試合を続けたいと思う。
でも、もし私がヒナのセコンドだったとしたら、そのときタオルを投げないと言い切れるだろうか?
私の思案をよそに、父はイライラした調子で、足踏みをした。
「この程度で、うちのアスカと闘いたいなどとよく言えたものだ」
直後、父は咳をした。
父がイライラしているのは、ヒナの戦いぶりだけが原因ではなかった。
最近、体調が良くないのだ。
練習中に吐血した日もあった。
でもこの話をすると父はすごく嫌がるので、体調のことは脇において話を続けた。
「お父さん、まだ。まだヒナは諦めていない。心も折れていない」
片目の視力が著しく低い父には見えないだろうが、私には、はっきり見える。
そして感じる。
ヒナの顔に怯えや戸惑いは映らない。
虎視眈々と好機を見逃すまいとじっと見据えている。
いかにして反撃してやろうかと考えている。
でも、このまま待っているだけじゃ、たとえこのラウンドで立っていられたとしても、判定で負ける。
ヒナは下がらずに、両腕でガードを固めて前に出た。
その間もセイラの打撃の雨は、やまない。
「たしかに気持ちは折れていないな」
辛辣な父も、ヒナの打たれ強さ、メンタルの強さに舌を巻いている。
「行けぇっ! ヒナッ!」
前方の席の観客が振り返るほど、大きな声で叫んでいた。
私はしゃべるのが得意じゃない。
だからインタビューなどの仕事ではいつも緊張している。
話し慣れていないからか、普段の声も小さい。
でも試合中や練習中は別。
フェニックスジムのトレーナーの牧村さんからも、気合いだけは大きいねと笑われたことがある。
いまのが、それだ。
まるでジムでの練習のときの気合いか、それ以上の声が出た。
「このまま終わっていいのか! やれ! ヒナ!!!」
私の声に呼応するかのようにヒナはガードを固めた状態から、パンチを放っていった。
しかし、セイラはこれを後ろに大きく下がってかわした。
残り二分。
勝負あったと判断したのだろう。
セイラは両手を後ろに組んで、顔を前面にさらけ出した。
「舐めてかかってるな。腕を使わずに、ボディワークとフットワークだけでヒナの攻撃をよけるつもりだろう。まあ、セイラのディフェンス技術なら可能かもしれんな」
私は思わず歯ぎしりしていた。
ヒナが馬鹿にされている。
ヒナはかまわずに飛び込み、大振りの左右のフックを打った。
だがセイラのディフェンスは本物だった。
左のフックはかがんで、右のフックは上体を反らせてかわした。
おそらくセイラはヒナの打ち終わりにカウンターのパンチを合わせるつもりだ。
来る!
私は自分が殴られるかのように覚悟した。
だが、カウンターは来なかった。
ヒナが、セイラのカウンターよりも速く、三発目のパンチを打ち込んだからだ。
脇腹への左のボディフック。
物凄くえぐい音がした。
これはセイラも予想していなかったようで、体がくの字に折れ曲がった。
頭に血がのぼっていると、人は無意識に顔を殴りたくなるものだ。
特にいまのセイラのように、顔面が無防備な相手だと、なおさら上段に意識が集中してしまう。
ヒナは冷静だった。
勝利への執着だけでなく、計算もしていたのだ。
一発で終わらなかった。
まるで太鼓を打ち鳴らすように、ボディの連打を何発も見舞った。
これにはセイラもたまらず、後ろに組んだ手を解き、腕でボディを守った。
刹那、ヒナが大きく弾みをつけた右ストレートをセイラの顔面に目がけて打ち込んだ。
ボディ攻撃に意識が向いたことで、セイラの腕は顔面より下にあった。
結果、ヒナの拳が顎を的確に捕らえ、セイラはその場で大の字に崩れ落ちた。
追い討ちをかけようとするヒナをレフェリーが突き飛ばした。
勝負ありだ。
「よっし!」
私は拳を握りしめ叫んだ。
父をちらりと見る。さきほどのイライラから一変、驚いていた。
「あの状態から勝利を掴みとるとは。大したものだな」
「ブレイブカウ。その名は伊達じゃない」
私は自分のことのように誇らしげになってしまっていた。
試合場に視線を戻した。
金網の中ではセコンドのヒカリ選手と女の子二人が入ってきて、みんなヒナに抱きついていた。
ヒナは赤ん坊のように号泣している。
対するセイラは記憶が一瞬飛んでいたようだ。
ストップに納得していないのか、レフェリーに文句を言っている。
それをセコンドの麗艶が落ち着いた調子でなだめている。
これが私たちの住む格闘技の世界。
勝者と敗者がくっきり分かれる残酷な世界。
父は観客席を嬉しそうに見つめながら腕を組んでいた。
「俺はそもそも、あの娘がプロになれるかすらあやしいと思っていた。それがどうだ。お前と闘う、その目標を頼りにここまでの試合をするようになった。これはひょっとすると、ありうるかもしれん」
「ひょっとするとじゃない。ヒナは絶対、私のところまで来る」
「いいのか? 幼馴染と壊し合いをすることになるかもしれんぞ」
私は頷いた。
「覚悟の上。ヒナもきっと同じ気持ち。そのときは全力で叩き潰す」
父はニヤリと笑った。
「おもしろくなってきたな」
ヒナは金網から退場し、花道を歩いていた。
いろんな方向に首を動かし、お客さんにぺこぺことお辞儀をしながら。
こちらの方向に顔を向けたとき、数秒だけれど、ヒナの動きが静止したように感じられた。
私がいることに気づいたのだろうか。
いや、それはない。
私はヒナを見ているが、ヒナは私のいる観客席を見ているだけだ。
でも私は彼女に向かって親指を立てていた。




