第39話 麗艶VSドゥーネ
仕事を終えた冴木は豪奢なホテルの最上階にあるバーにいた。
今年で四〇才になる冴木は、妻子ある身でありながら、幾人もの女性と関係を結んできた。
女性には不自由せず、交際及び結婚を求めてくるのはいつも女性の側からだった。
妻とは大学時代に知り合った。学内でも美人と評判の女性だった。
もっと良い女は他にもいるかもしれないと思ったが、妻の実家が資産家で、いざとなったら金銭面での援助も期待できると考え、三〇才で結婚した。
結婚するまでに時間がかかったのは、一度結婚したら自由に他の女性と関係を結べなくなるかもしれないと懸念したからだ。
だがそれは杞憂だった。
幸か不幸か、妻は冴木の不貞行為にも気づく素振りを見せていなかった。
それをいいことに、冴木は、結婚してからも浮気を繰り返した。
本気の恋も遊びの関係も経験した。肉体関係は必ず持ち、恋が冷めたら、あるいは遊び飽きたら別れる。
女性がしつこいようであれば、冷たくあしらい、不信感を抱かせ、女性の側から別れを切り出すよう仕向けた。
仕事は、大手の広告会社勤務で、部下を指導する立場にいる。上司からも頼りにされ、出世コースを順調に歩んでいる。
多忙だが、家事や娘の世話は妻に任せ、余暇を使って女性との交流を楽しみ、それなりに充実した人生をこれまで歩んできた。
だが転機が訪れた。
冴木は四年前にスポーツイベントの宣伝活動を行う部署へ異動となった。
別に降格とかではなかったが、野球をテレビで観る程度で、スポーツ全般への思い入れはなかったため、この異動に乗り気ではなかった。
そのスポーツイベントというのが、日本でそこそこ名の知られている格闘技イベント『RFC』だった。
そうして宣伝活動に協力したお礼として主催者から無料でチケットをもらった。
迷っていたが、上司の丸本が格闘技のファンということで、付き合いで試合を観戦することになった。
だが、何がいいのか冴木には理解できなかった。
男同士、あるいは女同士がリングの上で抱き合い、寝転がる。
パンチで顔に切り傷を作り、血を流す。
はっきり言って野蛮だ。
ただ、冴木とは対照的に、丸本を含めた多くの観客は試合に熱狂して陶酔の最中にいた。
「おお! なんと綺麗なハイキック!」
試合中、ヘビー級の大男がハイキックで大の字に崩れ落ちた。
それを観て、丸本は歓声をあげたのだ。
冴木はパンフレットに目をやる。
次の試合がセミメイン。
もう少しで大会が終わってくれる。
セミメインはタイトルマッチだった。女子の試合ではあったが。
期待はしていなかった。
前座でも女子の試合はあったが、ハッキリ言って男子に比べ迫力に欠けたし、女が互いの顔面を殴り合う姿は観ていて気分のいいものではなかった。
男なら分かる。
冴木も小学生くらいのときには、同年代の男子と喧嘩をしたことがあるし、強くなりたいという願望は理解できなくもない。
だが女なのだ。
腕力では男に勝てないのに、顔に傷がつくかもしれないのに、それでもこんな舞台に立つのが冴木にとっては理解に苦しんだ。
自分が格闘技にのめり込むことは一生ない。
王者の試合を観るまではそう思っていた。
『現RFC女子ストロー級チャンピオン! トラップクイーン麗艶!』
実況が王者の名を高らかにコールした。
麗艶とかいう女は、コールに合わせ、グローブをはめた拳を天高く突き上げた。
丸本が嬉々として王者のことを説明した。
「あれが現王者の麗艶だ。中国出身だけど、いまは日本で暮らしているから、日本語もペラペラ。強いうえに、なかなかの美人。君のお眼鏡にかなうかな?」
「まあ、たしかに綺麗ではありますね」
正直なところ、容姿はそれほどとは思わなかった。
白い肌は見事で、細面で整った顔立ちは美人の部類に入るだろう。
さらに長いまつ毛に切れ長の目、紅い唇は妖艶ですらある。
パーツのつくりが大きく、遠間からでも顔がくっきりと分かる濃い顔立ちで、舞台映えしそうな印象だった。
だが冴木の美的基準によると、麗艶は中の上くらいだった。
彼は普段から広報活動の一環で、アイドルや女優をたくさん見てきたから、目が肥えすぎていたのだ。
顔から下の部分にも良い印象は抱かなかった。
やや筋肉質で太いが、二の腕は美しかった。
肩から腕にかけて彫られた赤い薔薇の刺青はやや気になるが。
上下に別れた黒の衣装をまとい、そこから露出していた割れて引き締まった腹筋も少しごつい印象を与えるが、太っているよりはましだ。
だが、大きな二つの膨らみががマイナスだった。
豊胸手術をしているのは明らかだったからだ。
一般的に、女性アスリートは運動により脂肪を燃焼するからか、小さい胸の選手が多い。
けれど麗艶のそれは不自然なほど大きく形が良く、まったく揺れないのだ。
冴木は大きな胸を好むが、人工の胸を嫌悪していた。
挑戦者についても丸本が説明してくれた。
「ドゥーネも強いよ。特に打撃がね。スペイン出身のストライカ―だ」
挑戦者のドゥーネについては、冴木の基準では論外だった。
女として見ることができなかったのだ。
背は麗艶よりも高い。男の平均身長よりも高いかもしれない。
さらに腕や足が細長く、鶏の手羽のように痩せ細っていた。
試合が始まった。
ドゥーネは開始早々、遠い間合いから真っ直ぐのパンチを打った。
丸本がそのパンチを褒めたたえる。
「あれだけ長いリーチから攻撃されたら、たまったものじゃないね」
麗艶は何発かパンチをもらったが、効いていないのかまだ立っている。
ハイキックで決着した試合がこの試合の前にあったが、負けた相手は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちていた。
そうはならなかったということはまだ大丈夫なのだろう。
だが、麗艶の唇の端が赤黒く腫れ、そこから血が流れていた。
「麗艶も黙っちゃいないだろう」
丸本の言葉通り、麗艶はしゃがみ込み、ドゥーネの片足に組みついた。
「タックル。ナイスタイミングだ」
だがドゥーネが、片足でバランスをとりつつ、持ち上げられた足を引き抜いて脱出した。
丸本は舌を巻いていた。
「あのタイミングのタックルを切るとは。やるねえ」
ドゥーネはパンチをまた放っていく。速い連打だ。
対する麗艶は、コーナー際に追い詰められ、亀のように身を固めて守りに徹している。
「寝技の得意な麗艶に対し、絶対にドゥーネは組みにはいかないだろう。そう判断して麗艶は、あんな防御をしているんだろうね」
顔面だけでなく、ドゥーネは王者のボディにもパンチを打ち込んだ。
「ほお。相手を追い詰めるとき、ノックアウトを狙って顔面一辺倒になる選手が多いけど、ドゥーネは上下にうまく攻撃を散らしているねえ」
「これは王者が負けそうですね」
「まだわからんよ。麗艶も決して打撃が下手なわけじゃないからね」
麗艶は亀のようにガードをしつつ、たまにドゥーネの足を蹴っていく。
「あの足への攻撃って、効くんですか?」
丸本は嬉々として解説を始めた。
「それが効くんだよ。足への蹴りは『ローキック』と一般的に言われているけど、特に膝から下への蹴りは『カーフキック』と言うんだ。筋肉の薄い部分を蹴るから、めちゃくちゃ痛い。数発くらっただけで、足の踏ん張りがきかなくなるんだ」
いつの間にか、挑戦者の足が赤く腫れていた。負けじと渾身のパンチを麗艶に放った。
「雑になってきたね。大振りだ」
するとドゥーネが後方に倒れた。
上体は起こしているが、腰をマットにつけてしまっている。




