第37話 失意からの負けん気
大晦日から二週間が経った。
チームスパークが本日、完全に終了するらしい。
らしい、というのはジュリちゃんからの電話で聞いたから。
転校手続きはすでに済ませているらしく、アスカちゃんは、もう学校には通っていない。
お寺でのお別れの後、気まずいし、クラスが違うこともあって、アスカちゃんとは話をしていないし、顔も合わせていない。
電話もしていない。
愛ちゃんは、私とアスカちゃんの仲について、何も問わなかった。
そんなこんなで今日という日を迎えた。
「いいのヒナ? アスカちゃんが東京に引っ越しちゃうのよ」
私はお母さんと目を合わさずに頷いた。
「もういいんだよ。友だちじゃなくなったから」
母がやれやれと言わんばかりにため息を吐いた。
「そりゃあねえ。元々はちがう人間同士。合わないところもあって、たまに喧嘩もするわよ。でもね、本当の絆ってのは簡単に切れはしないのよ」
私は首を振る。
「本当じゃなかったんだよ。アスカちゃんとの友情も、私の格闘技への情熱も」
大晦日、アスカちゃんに絶交を言い渡されてから、チームスパークに一度も顔を出していない。
自宅で自主トレすらしていないのだ。
急速にやる気がなくなってしまったのだ。
「私はね、アンタが格闘技をするのに、本当は乗り気じゃなかったのよ。自分の娘が殴られたり、怪我をしたりするのは嫌だから」
お父さんが反対しているのは知っていたけれど、お母さんまで反対だったとは知らなかった。
お母さんは続けて言った。
「でもね、アンタはたしかに言ったのよ。試合から帰ってきたときに、私が『大丈夫?』って聞いたら、満面の笑みを浮かべて、『へっちゃらだよ。楽しかった!』って」
そういえば、そんなことを言っていた気がする。
はるか昔のことのようだ。
「本当に格闘技ってものが嫌なら、学校の授業でくたくたのあと、週五回も練習に行かないだろうし、殴り合いをしたあとで、あんな笑顔でいられないわよ。そんな簡単に諦めてしまっていいの?」
そこへお父さんもやって来た。
私たちの会話を聞いていたのだろう。
「僕も諦めるのはまだ早いと思うよ。中途半端な辞め方をしたらきっと後悔すると思うんだ。ヒナは悔しくないのかい? 試合に負けたままで、アスカちゃんに一方的に縁を切られたままで。やり返そう、見返してやろうとは思わないのかい?」
私はお父さんと目を合わす。
いつも穏やかな眼差しが、いつになく真剣だ。
己に問いかける。
ヒナ、あなたはどう思ってる?
悔いはない?
わからない。
憎んでいる?
ちがう。
でも。
「でも、なんだい?」
私はハッとした。いつの間にか心の声が口をついて出たのだろうか。
「でも、どうしたらいいのさ。私がどれだけ頑張ってもアスカちゃんは遠くへ行っちゃう」
お父さんが厳しい口調で言った。
「それを決めるのは、ヒナ自身だよ。格闘技を中途半端に投げ出していいのかい? アスカちゃんとこのままでいいのかい?」
私は、私は・・・・・・。
視界がにじんだ。
「このままで終わりたくない。いつか、アスカちゃんの隣に立ちたいってずっと思ってた」
お母さんが歩み寄り、頭を撫でてきた。
そして優しく問いかけてきた。
「だったらどうするの?」
鼻をすすり、つばを飲み込み、はっきりとした口調で口にする。
「アスカちゃんともう一度話してみる」
涙を拭うと、そこには優しい目をした父と母がいた。
急いで家を飛び出した。
全速力で走った。汗をかいた。
服の中にじんわりと熱気が漂う。
髪留めが外れ、一本に結んでいた髪がほどけ、風でなびいた。
周りの景色が、旅行帰りの新幹線の窓から映る景色のようにどうでもよかった。
高速で駆け抜けていく。
間に合った。
懐かしのオンボロジム、チームスパークだった建物が映る。
黒塗りのハイエースも。
そこに乗り込む人の姿も。
アスカちゃんだ。
「アスカちゃーん!」
私は必死で叫んだ。
アスカちゃんは、車に乗り込む寸前でピタリと動きを止めた。
源治さんを除くジムの仲間全員が揃っていた。
そこには愛ちゃんもいた。
愛ちゃんが大きく手を振った。
「ヒナー! 早く早く!」
ジュリちゃんが来い来いと大きく手招きした。
次いでよく通る大きな声で怒鳴った。
「この馬鹿たれ、遅いっつうの!」
言い方はひどいが嬉しそうだ。
やっとみんなの前にたどり着いた私は急停止したから、心臓がバクバク鳴り、息を切らせた。
「ハァハァ。ごめん。遅れちゃった」
「ヒナちゃん。もう来ないかと心配したよ」
米田さんが泣き笑いしていて少しおかしかった。
そこへアスカちゃんの声が背中ごしに届いた。
「ヒナ、どうして来てくれ、いや来たの?」
私はアスカちゃんに向き直り、まっすぐに見つめる。
「伝えたいことがあって来た」
「なに?」
私は大きく息を吸い、叫んだ。
「バカヤロー!」
突然の罵倒にアスカちゃんはきょとんとした顔になった。
「ヒナが怒るなんて珍しい」
愛ちゃんも驚いている。
「あんな一方的な絶交で納得したと思うなよ。こっちは幼稚園からの付き合いなんだよ!」
自然と乱暴な口調になっていた。続けて叫ぶ。
「いつか、あなたの隣に立つ。友だちとしてでなく、ライバルとして」
「ライバル……」
オウム返ししたのは米田さんだった。
アスカちゃんの驚いた顔が一変し、強い意志のこもった眼差しに変わった。
「わかった。全力で迎え撃つ」
私は手を差し出した。
「約束だよ」
「そっちこそ」
アスカちゃんは差し出された手を握る。
強く握り合い、同じタイミングで手を離した。
その後、互いの拳と拳をコツンとぶつけ合わせた。
チームスパークで、二人一組になって練習を行う際によくする挨拶だ。
私がニッと笑うと、アスカちゃんもかすかに微笑んだ。
でも余韻にひたっている時間はなかった。
「アスカ、そろそろ行くぞ」
ハイエースの中から源治さんの声がした。
開いている後部座席に、私は顔を突っこんだ。
「あの、新藤先生!」
源治さんは、運転席からこちらに顔だけを向けた。
「いままでありがとうございました! 先生のおかげで、まだまだだけど、少し強くなれました。あまり出来の良い練習生じゃなかったですけど、もっと強くなります!」
「ああ」
短い返事をすると、すぐに顔をそむけた。
実に源治さんらしい。と思いきや。
「アスカは高い高い絶壁だ。そのことを忘れず、怠らず稽古に励め」
パッと目の前が明るくなった。
認めてくれたわけじゃないだろう。
実際に私とアスカちゃんを絶交させようとしたのだし。
でも絶対に無理だ、くらい言いそうな気がしていたから、源治さんの言葉で救われた気がした。
「はい! これからも頑張ります!」
私が車から顔を引っ込めると、入れ替わるようにしてアスカちゃんが乘り込んだ。
「それじゃあ、行くから」
「うん。必ず会いに行く」
こうしてアスカちゃんを乗せたハイエースは走り去っていった。
その後ろ姿を元チームスパークの一同はじっと見送った。




