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第35話 大晦日

 その年の大晦日、アスカちゃんと地元のお寺に除夜の鐘を聴きに行く約束をしていた。

 愛ちゃんも誘おうとしたけど、アスカちゃんが二人きりで会いたいと言ったので、それに従った。

 愛ちゃんも何事かを感じ取ったのか、納得してくれた。


 冬の夜は寒く、タンポポの綿毛のような柔らかそうな雪がチラチラと降っている。

 吐く息が白くなり、私は手袋をこすり合わせる。

 けっこう人だかりが多い。


 そんな中でもアスカちゃんがどこにいるかは、すぐに分かった。

 ジャージの上下という相変わらずの出で立ちだけど、その端正なルックスとすっきりとしたシルエットはやはり綺麗だ。

 指にはテーピングがしてあった。

 チームスパークには柔術クラスもあり、たまに道着を着た状態で寝技のスパーリングもする。

 柔術をしていると、めまぐるしく動くなかで、道着の掴み合いをするので、指を痛めることが多いのだ。


「いつから待ってたの?」

 アスカちゃんは私と目が合うと、すぐに目線を下に向けた。

 珍しいと思った。

 目をそらすことはあっても、目線を上か左右に動かすことが多かったから。


「一〇分前。一時間前はランニングをしてた」

「今日は稽古休みだから、私は腕立てぐらいかな。いや、ここまで歩いてきたのが運動かな」


 いまは午後十一時三〇分。

 これから除夜の鐘が鳴るまで待つのだ。

 私たちは大晦日に行なわれたRFCの話題を繰り広げた。

 そこでストロー級王者の麗艶さんとランキング一位のドゥーネ選手とのタイトルマッチが行われた。

 ドゥーネ選手は、スペイン出身の選手で打撃に定評のあるストライカーだ。

「ドゥーネの打撃、強かった。それでも麗艶には敵わなかったけど」

 私はうんうんと頷いた。

「あのアナコンダチョークはすごかったね。最初苦戦したけど、寝技になったら圧倒してたね」

 アナコンダチョークは、相手の腕を一本巻き込んで首を絞める技で、原理は三角絞めに近い。 

 どちらも絞めている自分の腕や脚の面積を狭め、相手の首を圧迫する。

「私生活は対戦相手へのトラッシュトークと不倫でゴタゴタしているけれど、私が実際に会ったときは、すごくいい人だったよ」

 トラッシュトークとは対戦相手を煽ったり、挑発したりすることだ。

 SNSの広まりで最近は言葉による煽り合いをして試合までを盛り上げる選手が多い。

「私は話したことないけど、強い。特にサブミッション、関節技が」

「アスカちゃんは麗艶さんのいるストロー級を目指してるから、いつか闘うかもね」

「勝つ自信はある。私も寝技の練習をいっぱいしてるから」

「うん。絶対勝てるよ!」

 私は親指を立てる。

 アスカちゃんも黙って頷く。


 おかしい。目が合わない。


 違和感はさておいて、十一月の東京で行われたアマチュアの試合に話題を変えた。

「米田さんはプロ昇格できて、ジュリちゃんはまたもや優勝できたね」

 米田さんは切れ味鋭い打撃で、一般の部のアマチュアトーナメントを優勝し、プロ昇格が決定した。

 ジュリちゃんはいつものように、得意技である寝技による一本勝ちでジュニア部門の優勝をかっさらった。

 ジュリちゃんにとっては、最後のジュニア部門だ。

 これからは一般の部で闘うことになる。

「ヒナもワンマッチで勝利している。この調子でいけば、いつかプロになれると思う」

 私も同じ大会に出場した。

 この大会のトーナメントは選抜制で、地区大会で優勝した選手しか、エントリーを許されなかった。

 セイラ選手との試合で負けた私には出場資格がなかったので、代わりにワンマッチに出場した。

 今回は階級を一つ下げて44キロ級で出た。

 対戦相手は、東京のキックボクシングベースの選手だった。

 パンチや蹴りに手を焼いたけれど、タックルで上をとり、マウントポジションからの腕十字で一本勝ちできたのだ。

「ヒナ、寝技も強くなってる」

「へへ、ありがとう。チームスパーク、いま波に乘ってるね」

 私の言葉にアスカちゃんは小さく頷いた。

 彼女の表情はどこか硬かった。


「ヒナ、夢って大事だと思う?」

「うん。とっても。それさえあれば他に何もいらない。あらゆることを犠牲にしてでも人生を賭けて成し遂げたい。そう思えるものに出会えたら幸せだろうなって思う」

 返事はなかなか返ってこなかった。


 お寺の荘厳な印象とは不釣り合いな騒々しい雑踏のなか、二人の間には妙な緊張感が漂っていた。

 沈黙がしばらく続いたのち、アスカちゃんが言葉を発した。

「だったら私は幸せなのかもしれない。でもどうしてこんなにも・・・・・・」

 最後まではっきりと言い切らないアスカちゃんに、私は普段とは違うものを感じとった。


 そのとき除夜の鐘が鳴った。

 今年の終わりと新しい年の始まりを告げるおごそかな音色だ。

「すてきだね。心が落ち着くというか」

 アスカちゃんは、それには答えず、別の話題を切り出した。

「チームスパークは一月で畳むことになった。私はお父さんといっしょに別のジムに行く」

 突然の報告に私はうろたえた。

「え、なんで? 選手も結果を出してるし、こんなに盛り上がっているのに」

 アスカちゃんはうつむいている。

「お父さんはジムの運営だけでなく、私という選手の育成もしている。その板挟みで苦しんでいた。お金があってもあっても足りなくて、借金までしている」

 知らなかった。

 アスカちゃんの自宅兼格闘技ジムはボロボロで決して裕福ではないのだろうと感じてはいたけれど。

「プロの選手はファイトマネーの一部をジムに渡す仕組みになっている。それでも入ってくるお金より出ていくお金の方が多い。私はプロになったけど、まだデビュー戦もしていない」 

 現在、チームスパークで現役のプロは、アスカちゃん、米田さんの二人だけれど、プロになったばかりで試合をしておらず、当然ながらファイトマネーはまだもらってない。

 十一月の大会は、チームスパークからの参加者が全員勝利という素晴らしい結果だったけれど、こちらはアマチュアの試合。

 ファイトマネーは出ない。



 そういえばジュリちゃんが試合後に語っていた。

 仮にプロになったとしても、試合のための準備にかかるお金を差し引いたらファイトマネーはスズメの涙だろうと。

 RFCやアルティメットフォースクラスにならないと格闘技の収入だけで食べていけないらしい。

 その後で、「まあ、いずれ私がアルティメットフォースのチャンピオンになってガッポガッポ稼いで、このオンボロジムを生まれ変わらせてやるんだから」といつものように強気で前向きな発言をしていたけれど。


 アスカちゃんが話のつづきをした。

「悩んだ末、お父さんはジムを畳んで、私個人の育成だけに力を注ぐことにした。別のジムに移っても、私の専属コーチとして指導してくれるって言ってた」

「そう、なんだ。でも仕方ないよね。アスカちゃんは源治さんにとって大切な愛娘だもんね」

 アスカちゃんは肯定も否定もせず、淡々と話を続けた。

「あなたにも、みんなにも申し訳ないと思っている。でも、私もいまの状態よりもそちらの方がありがたい。新しいジムは『フェニックスジム』という設備がしっかりと整っていて、とても大きなところ。私たちはそこで立て直す」

 強い選手を多数輩出している、とても有名なジムだ。『私たち』には、アスカちゃんと源治さん親子二人しか入っておらず、私やジュリちゃんは当然含まれていないのだろう。

「みんなは、ジムを畳むこと知ってるの?」

 アスカちゃんは首を振る。

「話すのはしばらく待てとお父さんに言われていた。でもどうしても、伝えておきたかった」

 私はできるかぎりの笑顔でアスカちゃんを励ました。

「気にしないで。アスカちゃんの格闘技人生だから。会う機会は減っちゃうかもだけど、東京と千葉は近いし、大会とかで顔を合わせるかもしれないから。だから永遠の別れじゃないよ」


 本当は寂しい。

 学校も転校するだろう。

 そうなると愛ちゃんを交えて三人で笑ったりはしゃいだりできなくなる。

 でもアスカちゃんの決断に迷いを与えたくなかったのだ。

「山本ヒナ、さん」

「どうしたの、急にあらたまっちゃって」

 アスカちゃんは目線をうろうろさせていたが、やがて私を真正面から見つめ、頭を下げた。

「ごめんなさい」

「何で謝るの?」

「私、あなたの友達をやめます」

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