第28話 不安
雲間からのぞいている太陽の光がまぶしい。
ぽかぽかあったかくて、このままうたた寝してしまいそうな、そよ風が吹いている。
私は仰向けになって天井を見上げていたのだろう。
ジュリちゃんが私の顔をのぞき込む。
「ここまで来たんでしょ? ここで終わらせちゃダメよ」
うん。わかってる。
いま起き上がるからね。
あれ?
体が動かない。
場面が急に暗転し、暗がりの中、目を光らせたアスカちゃんがこちらを一瞥すると、黙って立ち去っていく。
「待って、アスカちゃん!」
「負け犬に用はない」
そう吐き捨てるように言い残し、視界から消えていった。
見捨てられた。
心が切り裂かれるような衝撃を覚え、私は泣き崩れた。
「ヒナ!」
暗黒の世界に光が生まれ、私は意識を取り戻した。
「ん、ああ」
ぼんやりとした輪郭が鮮明になり、にゅっとアスカちゃんとジュリちゃんの顔が出てきた。
「あれ、ああ、ええ? どういう状況?」
頭が痛い。
「アンタ、アスカの右のカウンターで失神したのよ」
ジュリちゃんが状況を説明してくれた。
カウンターは、相手の攻撃に合わせて、自分の攻撃を当てる技だ。
相手の攻撃の勢いが加わるため、通常の攻撃よりも当たったときの威力が増す。
今回で言えば、私の右のストレートを、アスカちゃんが頭を動かしてかわし、そこへ右のストレートを合わせたのだ。
「ごめん。私が焦って指示を出したせいで、カウンターを喰らってしまって」
ジュリちゃんが珍しく謝ってきた。
「気にしないで。ジュリちゃんの指示がなくても、私は右ストレートを打っていたと思う」
突如アスカちゃんの手が顔に触れた。
膝をついて心配そうにこちらを見ていた。
「いたむ?」
頭と顎のズキズキとした痛みと鼻に詰められているティッシュの異物感に気づく。
「痛いよ。でも試合前に本気の打ち合いができて良かったと思ってる。覚悟ができたというか、もう怖れるものなんて何もないって心境」
そう言って笑うと、アスカちゃんは「ごめん」と呟いた。
つづいて肩にごつごつとした手が触れた。
「よく頑張った。次の試合、楽しみにしている」
滅多に人を褒めない源治さんに褒められたのは意外だったが、悪くはなかった。
「ヒナの右ストレートは危なかった。一瞬脳が揺れた」
アスカちゃんも私をたたえてくれた。
少し嬉しい。
でもアスカちゃんと闘うのはこれで最後にしたいと思った。
私が今回出場する階級はアスカちゃんと同じ四八キロ級。
背も低く、リーチも短い私はもっと下の四四キロ級を提案されたけれど、減量でそこまで落す自信がなかったのだ。
幸い、私はトーナメントで、アスカちゃんはワンマッチなので、対戦することはない。
でも、もし今後も同じ階級で闘い続けるならば、いずれはぶつかり合う可能性がある。
次からは四四キロ級まで落とす気でいる。
やはり友だち同士で殴り合うのは抵抗がある。
土曜日。大会の前日。
私は不安で胸が押しつぶされそうだった。
格闘技をしているけれど、格闘技のためにすべてを捨てたわけじゃない。
自分の中でむくむくと育つ黒いイメージを拭い去ることができず、その日は陰鬱な気持で過ごしていた。
もし大して綺麗でもない私の顔に傷がついたら。
最悪の場合、命を落としてしまったら。
夕飯どきでもその陰鬱な気持ちは晴れなかった。
異変にいち早く気づいたのは父だった。
「僕も運動会の前日は憂鬱で仕方なかったよ。でもヒナのプレッシャーはそれ以上だろうね」
私は頷いた。
「正直怖いんだ」
母もうんうんと頷いた。
「いつもだったら、美味しいご飯を食べて元気を出しなさいって言えるんだけどね」
計量は大会当日だから、今日はご飯をいつもの半分にしている。
母も気を利かせてか、あまり脂っこいおかずは作らないでいてくれた。
「お父さん、お母さん、心配してくれてありがとう。でもアマチュアの試合だから。怪我するとしても、そんな命にかかわることはないと思うからさ」
私は心配させまいと強がってみせたが、両親は浮かない顔だった。
その日は夕飯を済ませ、お風呂に入ると、明日の準備だけしてさっさと眠りにつこうとした。
ベッドの上で布団にくるまる。
目が冴えて眠れない。
私はぎゅっと目をつぶって布団を顔に押し付けた。
眠れ眠れ。早く朝になってくれ。
そう念じ続けた。
そうしていつの間にか眠りについていた。




