第25話 アクシデント
突如アスカちゃんがうめき声をあげた。
ジュリちゃんも異変を感じ、グラウンド状態で動きを止めた。
レフェリーも試合を一時中断し、金網の中にドクターが入ってきた。
タックルでこかされたときに、痛めていた右手をマットについてしまったのだ。
医者はアスカちゃんを立たせ、何かを問いただしている。
「続けさせてください」
必死にアスカちゃんは訴える。
「右のグローブを外して」
言われたとおりにし、さらにバンテージもほどくと、右の拳が大きく膨れ上がっていた。
金網の外から源治さんが叫ぶ。
「止めさせるな。まだ闘える!」
アスカちゃんも同じことを言った。
ドクターは無言で右の拳に触れ、ぐっと強めに掴んだ。
再びアスカちゃんは苦しそうに顔を歪ませた。
ドクターは首を横に振った。
直後、アスカちゃんはその場に膝をつき、うなだれた。
源治さんは金網に入り、医者に噛みつきそうな勢いで抗議したが、レフェリーや、あとから入ってきた関係者に取り押さえられた。
ショックだった。こんな終わり方は望んでいなかった。
どちらかが負けるにしても、悔いの残らない爽やかな終わり方を期待していた。
一ラウンド二分四〇秒。
新藤アスカ選手のドクターストップ負け。
公式レコードにはそう記されるだろう。
源治さんは締め出され、再び金網の中はレフェリーと戦士二人となった。
レフェリーが勝者の手を上げた。
会場ではまばらに拍手が起こったが、ジュリちゃんはあまり嬉しそうじゃなかった。
彼女は暗い表情で金網から出てきた。
「決勝進出、おめでとう」
努めて笑顔で言ったら、ジュリちゃんは頷いた。
「まあ、ちゃっちゃと優勝してくるわ」
そう言ってガッツポーズをとった。
勝ち気に振る舞うも、当然ながらどこか陰りがあった。
「セコンドはいい。米田、さんについてもらうから。それよりアスカのとこに行ってあげな」
ジュリちゃんの厚意に従うことにした。
私はアスカちゃんを目指して駆け出していた。
すぐに見つかった。
会場の隅で、アスカちゃんはうつむいていた。
隣には源治さんもいた。
重苦しい雰囲気の中で話しており、声をかけづらい。
源治さんは励ますわけでもなく、厳しい眼差しを娘に投げかけている。
「私が若かったころ、試合前の練習でアバラを折ったことがあった。呼吸するたびに痛みが走ったが、それでも出場し、勝利したものだがな」
「押忍」
泣いているのだろう。
目のあたりが赤い。声もくぐもっている。
「お前が痛みを堪え、叫び声をあげなければ、レフェリーも気づかなかっただろう。もし今後このような醜態をさらせば、私はお前のコーチから外れる」
ずっと下を向いていたアスカちゃんが顔を上げた。
「もっと頑張りますから! 見捨てないでください」
真っ赤な目で父親を見上げるアスカちゃんが痛々しかった。
けれども源治さんの怒りは収まらなかった。
再びくどくどと小言を続けた。
「たかが一敗ではある。だが、されど一敗だ。この世界には無敗の選手なんてゴロゴロいる。天才的な才能を持ち、血反吐を吐くような努力を積み重ねてきた本当の天才たちが。そんな選ばれし天才の一人だと私はお前に期待をしていたが、どうやら・・・・・・」
説教の途中で私が口を挟んだ。
「あの、アスカちゃん。残念だったね。拳はどう? 体調は?」
不意を突かれたアスカちゃんはこちらを向いた。
きょとんとしている。いつものような眼力がない。
源治さんは鬱陶しそうに私を見た。
「今、アスカと話をしている。邪魔をするな」
「次は負けないよう、もっと練習を頑張る。それでいいんじゃないですか」
私も負けじと睨み返す。
源治さんは舌打ちを返すと、捨て台詞を吐いて立ち去った。
「これからの練習は地獄だからな。覚悟しておけ。それとアスカ、友だちはちゃんと選んだ方がいい」
見届けてからアスカちゃんが謝った。
「ごめん。ヒナまで嫌な目に遭わせてしまって」
私は笑顔で首を振る。
「気にしないで。新藤先生、口では酷いこと言っていたけど、アスカちゃんのことを絶対見捨てないから」
彼女の顔に微笑みが差した。
無理して笑っているようでつらい。
「うん。次はあんな言われ方をされないよう、もっと頑張る。でも」
上を向いたアスカちゃんの目尻から涙がこぼれ落ちた。
「でも悔しい。あんな終わり方、ない。痛みに負けて、うめき声を情けなくあげてしまった自分が許せない。最後まで闘いたかった」
「これで全てが終わったわけじゃないから。また立ち上がればいいよ」
手で目元を拭いながら、彼女はすすり泣きをした。
アスカちゃんがここまで感情をあらわにするのをはじめて見た。
自然と私の涙腺も緩んだ。
「またいっしょに練習、頑張ろう」
もらい泣きした私は、アスカちゃんを抱きしめた。
決勝はジュリちゃんがタックルで先手を取られるも、下からの三角絞めで一本勝ち。
見事優勝を果たした。
私とアスカちゃんと愛ちゃんは観客席でその様子を見ていた。
私は拍手をしたが、すぐにぴたと止めた。
隣にはアスカちゃんがいたのだ。
「かまわない。ジュリは何もやましいことはしていない。実力で優勝した」
「いやあ、アクシデントがあったけど、ジュリさんとの試合、名勝負だったと思うよ。あれが事実上の決勝戦だよ」
先ほど落ち込んでいた愛ちゃんだったが、ケロッと笑顔に戻っていた。
愛ちゃんもショックを受けていないはずがない。
彼女なりの気遣いだ。
「次は勝つ。ジュリにも。何より自分自身にも」
「私、格闘技は詳しくないけどさ。なんつうかメッチャ熱いよね。三分とか五分とかの短い時間に、いろんな感情のぶつかり合いがあって。自分ではやりたいとは思わないけど、凄い世界だなって思った」
愛ちゃんの言葉にうんうんと頷くばかりだ。
「そうなんだよ。すごい世界なんだよ。ときに残酷だけど、ときに熱くてカッコいい」
「そして、たまに怪我をする」
アスカちゃんの自虐ネタに私たちが笑うと、アスカちゃんの顔にもほほえみが浮かんだ。




