第16話 くじけそうになる
入会から二週間後。
私は顔をうつむかせ、トボトボとわが家とは反対方向に歩を進めていた。
その数メートル先をアスカちゃんが歩いている。
入会した次の日から、源治さんの態度が豹変した。
ビシビシ叱責が飛ぶようになり、何度も涙目になった。
それに体が痛い。
連日の稽古のしすぎで、筋肉痛が長引いている。
両親も大丈夫かと心配していたけれど、私が始めると言ったのだ。
すぐに辞めますなんて言えない。
でも、あと一ヶ月くらいしたら、辞めてもいいかなと思う自分もいる。
稽古は週に五日あり、強制参加ではないけれど、放課後、私の家までアスカちゃんが迎えに来てくれる。
一度断ったらすごく寂しそうだったので、休みにくい。
いちいち迎えに来てもらうのは悪いので、最近は、荷物になるけど、練習道具の入ったスポーツバッグを学校に持っていき、そのままジムに行けるようにしている。
「アスカちゃん」
私の呼びかけに反応したアスカちゃんがこちらを振り返らずに足を止める。
「練習が嫌になるときってある?」
するとこちらに向き直り、首を振る。
「ない」
目の前にはアスカちゃんがいる。
でも二人の間には国境よりも深い隔たりがあった。
「ヒナは練習に行きたくない?」
「ごめん。たまに苦しくなるときがあって。努力しているつもりだけど、なかなか技が覚えられないし、痛いときも多いし、アスカちゃんのお父さんは厳しいし」
「私には幼いときから格闘技の練習があった。だからそれが楽しいとか苦しいとかはない。ただ当たり前のようにあった」
「アスカちゃんはすごいな」
「すごいと思ったこともない。逆に不思議なのは、みんなが、なんであんなにすぐ辞めてしまうのか。私にはわからない」
当然ながら格闘技において、アスカちゃんは私のはるか先を走っている。
近づくことはできるかもしれないと思っていたけれど、一緒に肩を並べて歩いていくことは永遠にできないのではという予感をいま抱いた。
いや、確信に近かった。
「無理に引き留めない。私も学校の勉強は苦手で何度も授業を脱け出したいと思ったことある」
辞めないで、って言ってほしかった。
でもそれはずるい。
私が決めなきゃいけないことだ。
「でも」
でも?
「たとえヒナが格闘技を辞めたとしても、私はあなたと友達でいる。ヒナ?」
いけない。思わず目から汗が。
慌てて目元を拭う。
「ごめん。そう言ってくれて、嬉しいよ。安心して。まだ大丈夫だから」
アスカちゃんは頷きを返した。少し嬉しそうだ。
一カ月したら辞めてもいいかなって思ってたけど、前言撤回。
どんなに苦しくたって私には心強い味方がいる。
なんとか踏ん張れそうだ。
「ちーっす」
チームスパークに着くと、ジュリちゃんから声をかけてきた。
「こんにちは、ジュリちゃん。痩せた?」
そう問われたジュリちゃんは笑った。
「やつれた。試合が近いから減量してて」
「食べるのを我慢するんだよね。大変だね」
「他人事みたいに。アンタもいずれは同じ目に遭うんだからね」
横で聞いていたアスカちゃんも会話に加わった。
「特にヒナはよく食べるから、はじめは苦労すると思う」
「うう。アスカちゃんまで」
はじめはそっけなかったけど、認められたのか、ジュリちゃんとは、それなりに話せるようになった。
多少気が短く、言い方がきついときがあるけど、根は優しい子だとわかる。
私たちがガールズトークに励んでいると、米田さん、堀山さん、青田さんもやってきた。
ジュリちゃんは準備体操をするからと、入れ違いでその場から離れた。
「なになに、楽しそうに。好みの男子のタイプとかを話してたりする?」
米田さんが軽口を叩くと、堀山さんがかぶせるように言う。
「俺は妻子持ちだけど、いつでもウェルカムだよ」
それを聞いた青田さんがツッコミを入れる。
「どうせ一人暮らしですしね」
「おまえなあ、練習でみっちりしごいてやるからな」
堀山さんは結婚し子どももいるが、紆余曲折あって現在別居中らしい。
「ざんねーん。減量の話です」
私の言葉に、米田さんは大げさに残念そうなリアクションをする。
「そっかー。それは残念。そういえばあと二週間で試合かぁ。今回出るのは誰だっけ?」
米田さんの言葉に青田さんが呆れ顔だ。
「インストラクターなんだから、それくらい把握しておいてくださいよ。僕とジュリさんとアスカさんですよ」
「そうでしたね。あ、源治さんが来た。みなさん、頑張って!」
「はい!」「押忍!」
青田さんが真面目に応え、遅れてアスカちゃんが返事をした。
みんなで話をしている中、アスカちゃんはずっと押し黙っていた。
アスカちゃんはみんなのことが嫌いなわけじゃない。
ただ、大勢での会話が苦手なのだ。
源治さんは竹刀片手に、みんなを睨みつける。
「よし! 今日はスパーリング多めでいくからな。覚悟しておけ! 試合に出る奴らにはガチスパーもしてもらう! 怪我するなよ!」
そう言うと、マットをバシッと叩いた。




