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第15話 練習生登場

「格闘技って難しいね」

 アスカちゃんは頷いた。

「難しい。でもできない技ができたときは嬉しい」


 インターバル中、休んでいると、マットが汗まみれなのに気づいた。

 汗も気にならないくらい熱中して取り組んでいたということだろう。

「うん。私はまだ技ができないけど、こうして体を動かしているだけで楽しい。できるようになったらもっと楽しいかも」

「かもじゃない。絶対楽しい。それに絶対できるようになる」

 才能がないとか言われるんじゃないかと心配していたが、そんなことはなくてほっとした。

「さて、今日はこの辺にしておこう。あまり最初から無理しすぎても良くないからな」

 時計の針を見た。

 ざっと一時間の稽古だったけど、濃密な体験だった。

「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」

「明日からは通常通りの稽古時間だから。おっ、ちょうど他の練習生が来たところだ」 


 見るとトレーニングルームの扉が開かれ、中からひょっこりと見覚えのある顔が出てきた。

「ちわーっす。あれ、新しい練習生ですか? 珍しいですね」

「あっ!」

 私の突然の声に、その練習生の男性は目を丸くしていた。

「すいません。大きな声出しちゃって。チームスパークのチラシに載ってましたよね」

 短く刈った髪は金髪に染めているけど、目元は優しく穏やかな印象だった。

 男性は嬉しそうに笑った。

「ちょっと恥ずかしかったけど、宣伝効果になったかな」

 源治さんもほのかに笑っていた。

「こいつは米田涼選手。元々はキックボクシングから始めて総合に転向したんだ。まだプロではないが、うちでインストラクターもしてもらってる。実力は確かだ」

「というわけでよろしく! えっと、君は」

「山本ヒナです」

「いい名前だね。よろしくヒナちゃん!」

 互いに握手を交わした。大きい手だった。


「あの、普段の稽古も見学させてもらっていいですか?」

 途端に源治さんの顔から笑顔が消えた。何かいけないスイッチを押してしまったのだろうか。

 アスカちゃんの顔も若干曇っている気がする。

「あまり帰りが遅くなるといけないから」

 アスカちゃんが遠慮がちに言う。

 彼女にしては珍しいリアクションだ。

「お願いします!」

 私の懇願に対して、源治さんがはっきりとした口調で告げた。

「そうだな。ヒナちゃん、うちの稽古は厳しいぞ。覚悟はできているか?」

「はい!」

 勢いに任せて言った。あとはどうとでもなれ、だ。

 私は床の雑巾がけを任された。


 掃除を終えた頃合いに、米田さん以外の練習生たちも集まってきた。

 米田さんを除いて人数はざっと三人。

 メンバーは、私より少し年上っぽい女の子一人に、男性二人。

 

 アスカちゃんと私以外にも女の子がいてくれて安心した。

 やはり同性の仲間がいるというのは心強い。

 目元はくっきりしていて、ぷっくりとしたリップが色っぽく、なかなかの美人だ。

 髪をメッシュに編んで短めのポニーテールにして結っている。

「はじめまして、山本ヒナといいます。よろしくお願いします!」

 一人一人に挨拶していった。

 男性二人はそれぞれ堀山と青田と名乗った。

 堀山さんは丸刈りにしていかつい風貌だけど、人懐っこそうな笑みを浮かべていた。

 愛想の良い人だ。四〇代ぐらいだろうか。

 青田さんはひょろっとしていて、どもりがちで緊張しているようだった。

 視力が弱いらしく、練習のときはコンタクトレンズで、普段は眼鏡を着用しているという。

 こちらは堀山さんよりも若く、大学生らしい。

 女の子にも声をかけた。

 すると彼女は興味なさげに顔を向け、「ああ、こんちは」とそっけないリアクションをして、そそくさと準備運動を始めた。

 体が柔らかく、ヨガのインストラクターのように足を一八〇度開脚していた。


「彼女は早瀬ジュリ。私たちより一つ年上で、寝技がかなり得意」

 隣に来たアスカちゃんが紹介してくれた。

「アスカちゃんとどっちが強い?」

 しばしの沈黙のあと、彼女は口を開いた。

「寝技に関してはジュリの方が強い」

 アスカちゃんにそこまで言わしめるとは、おそるべし。


 練習が始まった。

 試合が近いというのもあって、本日はいきなりスパーリングという実戦形式の練習から始めるらしい。

 かなりハードそうだった。顔にもパンチを当てている。


 一見厳しそうだけど、意外なほど優しく丁寧に教えてくれていたので、本当は優しい人なのではと思いはじめていた矢先、トレーニングルームに怒号が響く。

「米田! 簡単にタップして諦めるな。それでプロになりたいだと? 笑わせるな!」

 米田さんはアスカちゃんの腕十字でタップしていた。

 さっきは早めのタップを、と言っていたのに。

「ジュリ! 安易に下になるな! 柔術ではともかく、総合では通用しないぞ!」

 ジュリちゃんは寝技の展開に持っていこうと、自ら下になり相手を誘い込もうとしたけれど、それはよくないのだろう。

 源治さんが叱責した。

 ジュリちゃんは舌打ちで返した。

「お前ら! もうすぐ試合なんだぞ! 気合い入れろ!」

 私は自分が叱られているかのように身震いした。

 やっぱり怖い人だった。


 休憩時間中、アスカちゃんが近づいてきて小声で警告した。

「そろそろ帰った方が良い。ヒナにまでお父さんのイライラが飛び火するかもしれない」

「わかった。そうするね」

 私は、皆にありがとうございましたとお礼を言った。

 ジュリちゃんはこちらに見向きもしない。

 源治さんは無愛想に一瞥しただけ。

 米田さんらは笑顔でお疲れさまと言ってくれた。

 アスカちゃんは「じゃあ」と軽く手を挙げた。


 ジムを出ると、車のフロントライトの光が襲いかかる。

 父の車だ。

 駆け寄ると、サイドガラスが開かれ、父が顔を出した。

「遅いから迎えに来たよ」

 助手席に乗り込んだ。

「ごめん。練習の見学をしていて遅くなっちゃった」

「怪我はしてないかい。いじめられはしてないかい?」

 あまりの心配ぶりに苦笑するしかなかった。

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ」

「続けていけそうかい?」

「うん。厳しそうな雰囲気だけど、なんとか」

「いじめとか体罰とかされたらすぐに言うんだよ。それともう続けたくないと思ったら無理してやる必要はないからね」

「入会したばっかりなのに、水を差すようなことを言うのはやめてよ」

 唇をとがらせる私に、お父さんはハハハと笑う。

「ごめんごめん」

 とにもかくにも、こうして私の格闘技人生が幕を開けたのだった。

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