第14話 はじめての寝技
「次は寝技だ。この寝技の攻防が、総合格闘技の一番の特徴だ。最初は基本動作をやろう」
アスカちゃんが手本を見せてくれ、私も真似した。
時折、源治さんがアドバイスをくれた。
前転から後転などのマット運動をやった。
前転するたびに頭がくらくら揺れた。
慣れない動きばかりで難しいけど、新しいことを始めるのは楽しかった。
基本動作で印象に残っているのはエビだ。
甲殻類のエビが後ろに向かって泳ぐような動作をするのでこう呼ばれているらしい。
床に対して横に寝転び、そこから足で床を蹴って後ろにお尻を向けて移動するという動作だ。
たしかにエビだなと思った。
自分が寝転んで下になったときに動くための、とても重要な技術らしい。
と、こんな具合に基本動作を軽くしただけで疲れてしまった。
「次は寝技におけるポジショニングの説明をする。退屈かもしれないが、大事だからよく聞いてくれ。まず試合は立った状態、『スタンド』から始まる」
源治さんは続けて説明した。
「そこから寝技の状態、いわゆる『グラウンド』に持ち込みたい。ならどうするか。というところで、テイクダウンをしたい。テイクダウンとは、要は相手を押し倒してグラウンドに持ち込む動きだ。あるいは自分から引き込んで下になるという方法もある。アスカ」
私はアスカちゃんと向き合う。
すると視界からアスカちゃんが急にいなくなった。
と同時に私はマットの上に仰向けになっていた。
これが『テイクダウン』というのか。
衝撃は先程教えてもらった後ろ受け身で緩和できた。
私は突如として思い出した。
これは幼稚園のとき、アスカちゃんがいじわるな男の子に仕掛けていた技だ。
タックルという言葉とあのときの動きが結びつき、軽い感動を覚えた。
現在、アスカちゃんが上で私が下だ。源治さんが横から説明した。
「いまアスカが仕掛けたのはタックル。正確には両足タックル、『ダブルレッグ』ともいう。他にも片足を掴んで倒す片足タックル、別名『シングルレッグ』もある。胴に組みつく『胴タックル』もある。そしてここからがグラウンド、寝技の始まりだ」
源治さんは説明を続けた。
「今、君の足がアスカの胴体に挟まっている。この状態を『ガードポジション』というんだ。下からも攻撃ができる、上と下が五分五分といっていいポジションだ。柔術やグラップリングという打撃のない競技だと自分から下になってこのポジションになる者も多い。ちなみに下の人が上の人の『足一本』に両足をからませた状態を『ハーフガード』というんだ。ハーフはパウンド、グラウンド状態でのパンチのある総合だと不利だけど、まだ下からの対処も可能なポジションだ」
次に両足をばたんと左にさばかれ、横から抑え込まれた。
「今の、邪魔な足をさばいてガードを越える技術が『パスガード』。上が有利なポジションに移行するための技術だ。で、いまアスカが横から抑え込んでいる体勢は『サイドポジション』という。柔道でいう横四方固めだ」
今度はアスカちゃんが仰向けになっている私の胴体を両膝で挟んで、馬乗りになった。
「これが『マウントポジション』だ。先ほどのサイドポジションといっしょで上が圧倒的に有利。ここからは上から殴り放題だし、サブミッション、要は関節技や絞め技を極め放題だ」
「そういえば下からのパンチって効かないんですか」
「そうだな。どうしても上から振り下ろすパンチの方が重力が加わっているから強い。ガードポジションの下からの打撃で勝利した選手もいなくはないが、やろうとしない方が無難だ」
今度は亀のように背中を上に向けてくれと言われた。
そこにアスカちゃんが覆いかぶさった。
「これがバックポジション。背後からリアネイキッドチョーク、柔道でいう裸絞めや腕を極める腕十字とかが狙える。背後に回られた相手は、死角から一方的に攻撃されつづけるという不利な状況に陥る」
アスカちゃんが立ち上がり、私も起き上がった。
「ざっとこんな感じだ」
「マウントとかとられたら、もうおしまいなんですか?」
私の素朴な疑問に源治さんは答えてくれた。
「たとえマウントやバックをとられても、そこからエスケープ、逃げる方法はたくさんある。『スイープ』といって下の者が上の者をひっくり返し、上下逆転する技術もある。絶対に無敵のポジションや技というのはない」
「なんだか頭がパンクしちゃいそうです」
そう言うと、源治さんはうんうんと頷いた。
「総合格闘技は覚えることもやることも多いからな。だが練習は裏切らない。地道にやっていけばできるようになる」
「はい。頑張ります。それとなんですけど、関節技で、腕十字を教えてもらいたいです」
アスカちゃんの顔がこわばって見えたのは、喧嘩で使ってしまったという負い目があったからかもしれない。
私はただ喧嘩と試合映像で観たあの技が美しいと思ったからなんだけど。
「すみません。まだ初心者の私には早すぎますよね」
「いや、そんなことはない。わかった。形だけでも教えよう」
そう言うと、源治さんはアスカちゃんに指示を出した。
アスカちゃんが上で、源治さんが下。
両足でアスカちゃんの胴体を挟んだガードポジションの体勢だ。
ガードポジションにもいろいろ種類があって、これは『クローズドガード』というらしい。
そこから両足でアスカちゃんの体勢を前に崩し、彼女の右手首を捕えて、くるっと半回転すると、アスカちゃんの右腕に源治さんの両脚が挟まれ、腕が伸びた状態でロックされた。
アスカちゃんは源治さんの体を二回叩いてタップした。
「練習で怪我をしたら元も子もない。逃げられないと思ったら早めのタップが大事だ」
源治さんは、腕十字を解除して立ち上がった。
「本当は同じ体格の者同士がやった方がいい。アスカ」
呼ばれたアスカちゃんが上になり、今度は私がやってみる番だ。
両脚でアスカちゃんの体をしっかり挟んで、足を使って体勢を崩して、と。
思った以上に力がいる。
アスカちゃんは体の力が強く、なかなか体勢が崩れない。
えっと。
アスカちゃんの右手首を掴んで、そこからは、どうだっけ?
源治さんに、もっと足を使ってバランスを崩すよう言われた。
まだ力が弱いのか、アスカちゃんの体勢は崩れない。
もっと強く!
そこから半回転しようとしたが、なかなかできず、源治さんに体を動かしてもらい、一応形にはなった。
でも肝心の腕十字が効かなかった。
「相手の肘が自分の足から抜けていると腕が伸びないぞ」
む、むずかしー!
こうした技の反復練習を、ドリル、もしくは打ち込みというらしい。
学校の勉強も暗記は苦手だけど、格闘技はそれ以上だ。
悪戦苦闘の末、一回だけタップを奪うことができた。




