第12話 はじめての格闘技
そして入会初日。
アスカちゃんとともにチームスパークに向かった。
入会のための説明があるからだろう。
普段の開始時間の一時間前に来てくれと、事前にアスカちゃんに言われている。
これから格闘技をする人生が始まるのだ。
と言えば大げさだけど、私にとっては大きな決断だった。
でも。
私は源治さんの鋭い眼光を思い出していた。
怖れが態度に現れていたのだろう。
「心配しないで。お父さん、プロの人やプロを目指す人以外にはそれほど厳しくないから」
おそらくアスカちゃんは、私を安心させようとして言ったのだろう。
「そうなんだ。だったら安心、かも」
アスカちゃんの悪意のこもっていない眼差しがつらくて、私は顔をうつむかせた。
二人で歩きながら話しているとあっという間に時間が過ぎた。
家の扉を開けると眼前に源治さんが現れた。
「山本、ヒナさんだな。入会してくれてありがとう」
口元は笑っているが、目は笑っていない。
愛想笑いとは分かったが、仏頂面よりはましだ。
失礼ながら、ある程度の社会性は持っていると分かり、安心した。
私はぺこりと頭を下げた。
「本日からチームスパークに入会させていただきたく、参りました。よろしくお願いします」
するとハハハと源治さんは笑った。
隣にいたアスカちゃんも笑っていた。
「そんなにかしこまらなくてもいい。うちは初心者も歓迎だから。これまで格闘技の経験は?」
「いえ、格闘技はおろかスポーツの習い事はしたことないです」
「そうか。だがそれは悪いことばかりじゃない。総合格闘技以外の格闘技を学んでいると、その癖を修正する必要が出てくるときがある。格闘技初心者の方が、癖が少ない分、スポンジのように教えられたことを素直に吸収できるんだ」
アスカちゃんが付け加えて説明してくれた。
「本当の話。例えば空手から始めた人は、突きの癖を修正するのに、より多くの時間がかかる」
「道具一式は持っているか?」
「はい。用意してます」
前もってアスカちゃんに言われて、基本的な道具は買っておいた。
金具やポケットがついていると、引っかかって怪我させるおそれがあるので、ファイティングショーツはポケットなし。
口の中を怪我しないためのマウスピース、股間を守るファールカップ、打撃による怪我をしない、させないための膝やすねのサポーターなどなど。
「なら大丈夫だ。アスカ、更衣室に案内してあげなさい」
アスカちゃんに更衣室とは名ばかりの家庭用の洗面所に連れられた。
「安心して。大きなジムに比べたら設備は整ってないけど、お父さんの実力は本物だから」
着替え終えた。
私は洗面台の鏡で自分の姿を眺める。
自慢の長い髪はポニーテールにして結っている。本当はもっと短くした方がいいらしいけど、これを切る勇気はまだなかった。
服装もチェックした。
上半身はピンク色のラッシュガード。
水泳とかで使うピッタリと肌にフィットするもので良いと言われたので、そうした。
下半身はスパッツを履き、さらにその上からピンクの生地に赤い闘牛の柄の入ったファイティングショーツという出で立ちだ。
可愛らしさのピンクとカッコよさを表した闘牛の柄の合わせ技だ。
愛ちゃんに買い物につきあってもらい、選んでもらった自慢のコーデだ。
「すごく似合っている。強そう」
「えへへ、ありがとう。本当に強くなるために頑張るよ」
アスカちゃんは「うん」と返事をした。
どこか表情が硬かったのは、私の本気がどの程度なのか、分からなかったからだと思う。
アスカちゃんは黒のショーツ、上は競泳選手が着るような皮膚にぴったりと密着するラッシュガードを着ていた。
黒地に赤のラインの刺繍のあるシンプルなデザインだ。
胸の前には『神童』と金色のロゴが書かれていた。
「しんどう?」
するとアスカちゃんは不機嫌そうに説明してくれた。
「私のリングネームを広めたいって、お父さんがつけさせたの。正直恥ずかしい」
「新藤アスカだから神童。すごく良いニックネームだと思う」
「でも自分で使う言葉じゃないと思う」
アスカちゃんの不満げな顔が可愛らしくて思わず笑ってしまった。
トレーニングルームに入ると、ツンとくるにおいに鼻が反応した。
汗だ。
この部屋でアスカちゃんを含めた何人もの選手が汗を流し、練習してきたのだろう。
不快ではなかった。
むしろ格闘技の世界に足を踏み入れたという実感が湧いて興奮を覚えた。
壁には練習用のグローブや、すねや膝につける防具が掛けられており、八角形の金網に覆われた試合場がしつらえてある。
アスカちゃんが解説してくれた。
「総合格闘技の試合をする場所は、金網とリングに大きく分けられる。この間、ヒナが観た試合映像の場所はリングだったけど、これは金網」
「どう違うの?」
「リングの場合、周りをロープに囲まれているけど、ロープに体が引っかかると邪魔になるから、引っかかったらリングの中央に戻される。金網の場合は、金網に相手を押しつけて闘うという戦略ができる。どちらが優れているということはないけど、リングと金網で闘い方が変わってくる」
「アスカちゃんはどっちが好きなの?」
「金網。相手を金網に押しつけて一方的に殴れるから」
「うわ、ちょっとこわーい」
冗談めかして言うと、アスカちゃんはどこか恥ずかしそうだった。
「まだ金網で試合した経験ないけど。あっ、お父さんが来た」




