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第107話 来訪者③

 勝っても負けてもドローでも練習の日々は続く。

 私は走り込みをしていた。

 毎朝10キロ走ることを日課にしてきたけれど、1日だけサボってしまった。

 ヒナとドロー決着となった日の翌日。

 これではいけないと自分を奮い立たせて、今日は1日分を補うため、20キロ走ることにした。


 走っている最中に声をかけられた。

 いまはチームスパークの最寄り駅の近くだった。

「やっほー、相変わらず熱心だね~」

 モデルを辞めたから、あまり痩せる必要がなくなったから、愛の顔の輪郭は少しふっくらしていた。でも相変わらず可愛かった。

 むしろ、健康的になっていて、今のほうが私は好き。

 トレードマークの二つに結っていた髪は健在だけど、少し短めになっている。

 服装は、ロングのジーンズにカーディガンというおとなしめの出で立ちだ。

 ちなみに私は黒のジャージの上下。


 私は足を止めてしまいたくなった。

 でも一度中断すると再開するのがめんどうになる。

 私はその場で足の上下動を継続しつつ、愛に声をかけた。


「いま練習の最中」

 しまった。

 私は言葉が足らない。

 練習の最中だから邪魔するなという意味で捉えられたかもしれない。


「あはは、ごめーん。約束の時間より早く来ちゃってさ。チームスパークで、アスカの親父さんに聞いたら、いつもこの辺りを走っているって聞いたからさ」


 今日、愛が大阪から帰ってくることは事前に連絡があった。

 ただ、約束の時間まで空きがあったから、その間に練習しておこうと思っていたのだ。

 私はゆっくりと足の上げ下げの速度を落とし、その場で立ち止まった。

「かまわない。私も早く愛に会いたかったから」

 愛は笑う。

「嬉しいこと言ってくれるねえ。練習はいいの?」

 私は歩きながら言った。

「いい。今日は日曜日で自主練だったから。むしろ最近、オーバーワーク気味だったからちょうどいい」


 最初にカフェで食事をしたあとで、ヒナのいる病院に向かった。

 ヒナが眠りについてから一か月が過ぎていた。

 愛がヒナの足を見ながら言う。

「足、ずいぶん細くなってるね」

「人は下半身から衰えるとよく言われる」

 愛はヒナに語りかける。

「ヒナ、10日前以来だね。私はさ、いま大阪でファッションデザイナー目指して頑張ってるよん。先生の中には合わない人とかいて、難しい宿題もあって、それでも、まあ楽しいことしてるから、我慢できるかなって。そんなところかな」

 そうしてしばらくヒナに語りかけたのち、ヒナのほっそりとしてしまった手に触れた。

「ねえ、アスカ。格闘技で意識不明になった選手が、回復する見込みってあるの?」

 こういうとき、励ましの言葉を投げかけるべきか、真実を告げるべきか。

 嘘はつきたくなかった。

 迷った末、私はできるかぎり正しい情報を伝えることにした。

「回復する見込みはある。でも復帰して元の状態に戻れるかは分からない、らしい」


 しばし沈黙が場を支配した。

 私は何も言えなかった。


 沈黙を破ったのは愛だった。

「まあ、大丈夫っしょ。ヒナは、強いから。絶対に眠りから覚めて、おいしいものバクバク食べて、またいつものふっくらとしたヒナに戻るって」

 私は頷いた。

「うん」

 愛が顔をうつむかせ言った。

「こんなこと言ったら、ヒナが怒るかもしれないけれど、アスカとの試合を一生の思い出にしてさ。回復しても、もう格闘技は辞めてほしいなって思っちゃうんだ」

 イエスともノーとも言えなかった。

 たしかにヒナは私が誘ってから格闘技を始めた。

 でもそこからの練習の日々、そして試合での活躍を選んだのは、彼女の意志だ。

 ヒナは私と同じかそれ以上に格闘技を愛している。と思う。

 最終的にはヒナが決めることだけれど、ヒナが簡単に格闘技を手放せるとは思えない。


 お見舞いを終えた私と愛は、いっしょに夕飯を食べたのち、解散することにした。

 愛は一泊の予定だったらしく、これから予約していたホテルに行く。

「今日は楽しかったよー。途中、暗い話してごめんねー」

「そんなことない。愛が来てくれてうれしかった。今度は私も大阪に行く」

「うん。待ってるよー」

 愛を見送ったあと、私は病院で愛が語っていたことを思い出す。

 ヒナに格闘技を続けてもらいたいかどうか。

 正直なところ、眠りから覚めてリハビリをして再びトレーニングが再開できたとしても、

かつてのパフォーマンスを取り戻すことは難しいはず。

 もうチャンピオンは難しいかもしれない。

 それでも、と思う。

 私はヒナに格闘技をやめないでほしい、と思ってしまっていた。


 家に着くと、父が出迎えてくれた。

「おかえり。楽しかったか?」

「うん」

 キッチンにはカップラーメンの容器があった。

 父は、私の健康管理には厳しいけれど、自分の食事にはあまり気を遣わず、お金をかけない。

「風呂を焚いている。入ってくるがいい」

「お父さん、話したいことがある」

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