第106話 来訪者②
ヒナが眠りについてから二週間が過ぎた。
点滴からしか栄養をとっていないからか、少しやつれている。
かつてふっくらだったほっぺは、へこんでいた。
病室に入ると、そこには先客がいた。
沙世さんと美香さん、そしてヒカリさんだ。
ヒカリさんは髪を坊主頭にしていた。
「髪、切ってますね」
私の指摘に、ヒカリさんは苦笑いを浮かべた。
「負けっちゃったから。自分への戒めとしてね」
先日、RFCの女子バンタム級タイトルマッチが行われ、そこでヒカリさんは対戦相手のバックチョークで敗れている。
「完封負けでショックだったわ。引退も考えたけど、もう少し続けてみるわ」
美香さんが励ます。
「ヒカリ先生ならまた這い上がれますよ」
沙世さんも。
「そうですよ。私もデビュー戦で負けちゃったけど、まだ頑張りますし」
沙世さんは昇竜でプロデビューしたものの、デビュー戦は対戦相手の寝技に苦労し、一本負けは回避できたけれど、判定負けを喫してしまった。
私は沙世さんに言った。
「デビュー戦、観た。負けたけど、いい試合だった。あなたはこれから強くなる」
沙世さんは「ありがとう」と笑った。
ヒナが意識不明になってから、最初に沙世さんと美香さんと話したときは、ここまで打ち解けて話せるようになるとは思いもしなかった。
はじめ、沙世さんと美香さん、特に沙世さんは私に敵意を向けていた。
当たり前だ。彼女たちの仲間に重症を負わせたのだから。
私は美香さんに向けて言った。
「美香さんも、アマチュア昇竜で準優勝おめでとう。試合映像はなかったから、結果をホームページで観た」
美香さんは恥ずかしそうに笑った。
「えへへ。けっこうギリギリでしたけど」
「この調子でいけばプロに……」
美香さんは顔を伏せた。
「すみません。私、正直なところ迷っています。人のせいにするのは違うと思うんですけど、ヒナさんのいまの姿を見ていたら、もし自分がこうなったとき、後悔はないと言い切れるのか自信がなくて」
皆の表情が途端に暗くなった。
私は迷った末、答えた。
「謝ることはないと思う。絶対に大丈夫とは言い切れない。誰にもあなたのことを責める権利はない。でもヒナは……」
「ヒナさんは……?」
美香さんが顔を上げた。
ヒナは後悔していないと思う、とは言い切ることはできなかった。
だってヒナをこんなにしたのは、他ならぬ私だから。
それなのにヒナの気持ちを勝手に代弁するわけには……。
「ヒナさんは後悔していないと思うわ」
ヒカリさんが代わりに言ってくれた。
美香さんは問いかけた。
「こんなにやせ細っていて、意識が回復するかどうかも分からないのにですか?」
沙世さんはしゅんと顔を下に向けた。
ヒカリさんは美香さんの肩に優しく触れる。
「私とアスカさん、そしてヒナさんがいる世界は危険と隣り合わせ。先の見えない恐怖が常につきまとう。それでも試合をしている瞬間は、痛い思いもするし、怖い思いもするし、でもそれ以上に熱く激しく楽しくもある。そして何より勝ったときの喜び。あなたにも経験があるんじゃない?」
美香さんは首を横に振る。
「そりゃ勝ったらうれしいですよ。でも負けたら悔しいし、パンチもらったら痛いし、私はヒナさんのようには……」
私は格闘技が身近にあったから、殴られたり蹴られたりが当たり前だと思っていた。
だから美香さんの葛藤がいまいち理解できない。
沙世さんが誰に語りかけるというでもなく、話しはじめた。
「アスカさんと試合をしていたとき、ヒナはとても楽しそうだった。笑ってすらいた」
つづけて沙世さんは言う。
「たぶんヒナは覚悟していたんだろうけど、私も美香といっしょ。ヒナのような覚悟はない。それでも私は格闘技を続けるよ。どこまでいけるか分からないけど、ヒナほど遠くへはいけないだろうけど、私なりの覚悟で、その少し手前くらいは行けるかなって思ってる」
「私なりの覚悟……」
美香さんはおうむ返しした。
ヒカリさんは優しく語りかける。
「0か100か、どっちかに決めなくちゃいけないということじゃないと思うわ」
美香さんは頷いたあと、自分の今の気持ちを語った。
「私は、格闘技を続けます。さすがに大きな怪我とかしたら辞めますけど。プロは、ごめんなさい、もう少し考えます」
美香さんが今後、プロを目指すかどうかはわからない。
どちらの道に進んでも、彼女が幸せになれることを願っている。
病室のベットに眠るヒナの顔は、いつもより穏やかな気がした。




