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第104話 闘いの先

 まぶたの奥でまばゆい光を感じている。

 天井を見上げている?

 頬に刺激を感じた。

 アスカ、アスカ!

 ゆっくり目を開けると、スポットライトのまぶしい光が襲いかかった。

 思わず目を細める。

 次に父の迫力ある顔がアップで視界に入った。

「ここがどこか分かるか、アスカ!」

 ここはリングの上。

 さっきまでヒナとタイトルを賭けて闘っていた。ようやく理解した。

 私はヒナのクロスカウンターで失神したのだ。


 頬の刺激は父が起こそうと叩いていたのだ。

 私の頭を撫でる父の目尻が、かすかに濡れていた。声も鼻声だ。

 そして抱きしめられた。

「無事なようだな。よく頑張った」

 らしくない励ましが余計につらかった。

「ごめんなさい、負けました」

 すると抱きしめていた腕を離し、首を横に振った。

「そうじゃないんだ」

 状況が呑み込めない。私はリングを見回す。

 そこにヒナはいなかった。

 会場がざわついている。

 ヒナのセコンドの佐藤ヒカリ選手がこちらに近づいてきた。

 私はよろよろと立ち上がり、頭を大きく下げた。

「ありがとうございました。山本ヒナ選手と闘えてよかったです」

「こちらこそ。ヒナさんもあなたと闘えて本望、だったと思うわ」

 佐藤選手の目は、泣き腫らしたように赤くなっていた。

「あの、ヒナ、山本選手は? 姿が見えないですが」

 すると佐藤選手は目を逸らし、しばしの沈黙ののち、口を開いた。

「ヒナさんも意識を失って、あなた以上に深刻なダメージを負って、病院に搬送されたわ」

 何を言っているのかわからなかった。

 私が負けたのに、ヒナの意識が戻らない?

 そこへ沈痛な面持ちの実況アナウンサーがマットの中央に進み出た。

「えー。この試合、両者ノックダウンにより、ドローとさせていただきます。つきましては、ドロー防衛により、王者は依然として新藤アスカ選手となります!」

 会場は静まり返っていた。私の心も同じだ。

 隣に立った父が詳しい顛末を聞かせてくれた。

「最終ラウンドでの足を止めての打ち合い。最後にお前の右ストレートとヒナの右ストレートが同時にヒットし、ダブルノックダウン。二人ともすぐに立てなくなり、そのまま試合終了となったんだ」

 私の頭の中は混沌としていた。

「ヒナは、無事なんですか?」

「きっと大丈夫だ。あの子はブレイブカウだからな」

 父らしくない励ましの言葉だった。

 私は試合後のインタビューを断り、父とともにヒナの搬送された病院に直行した。

 そこにはヒナのお父さん、お母さん、そして愛もいた。

 ヒナのお母さんはずっと泣きじゃくっていた。

 私と父は彼女の両親に深々と頭を下げた。

「このたびは誠に申し訳ありませんでした」

「新藤さん、顔を上げてください。今回の件は、誰が悪いというものではありませんから」

 ヒナのお父さんが少し青ざめて映った。

「そうだよ、アスカ。ヒナもこうなることは覚悟していたかもしれないし。大丈夫、ヒナは必ず助かるよ。とっても強いから」

 つとめて笑顔を作っていた愛だが、彼女もつらいにちがいない。

 その後、父はヒナの両親と大人だけの話をし、私と愛は少し離れたところでお話をした。

 愛は試合を振り返り、率直な思いを語った。

「格闘技ってやっぱり、えぐい世界だね。ヒナがサッカーボールみたいにアスカの頭を蹴ったり、逆にアスカがジャンプしてヒナの膝を踏みぬいたり。友だちにここまでするんだ、って。でもそんな二人が楽しそうに笑っていたから、さらにドン引き。やっぱり私と二人じゃ住む世界が違うなって」

 続けて愛は言う。

「私ね、羨ましかったんだ。ヒナとアスカが。二人は共通の格闘技の世界を持っていて、お互いがお互いを強く思い合ってる。ホントを言うと、少し寂しかったんだ」

 知らなかった。愛にそんな思いをさせていたなんて。

 思えば、私は愛といるときも、ヒナの話題ばかりしていた。

 私は自分のことばかりしか考えていなかった。

「ごめんなさい。それでも、私はあなたのことを大切な友だちだと……」

 言い終える前に、愛に肩をポンポンと叩かれた。

「分かってるって!」

 愛はニカッと歯を見せ笑った。

 相変わらず笑顔が可愛いと、こんな状況でも思ってしまった。

「大丈夫。これからも私とアスカとヒナ、三人は友だちだよ。たとえ離れていてもね」

 愛から話は聞いていた。彼女は大阪の専門学校に行くのだ。

 本当であればお別れ会でもして、さわやかにさよならといきたかっただろうけれど、こんなことになってしまった。

 私たちが話しているところへ父がやって来た。

 表情がすぐれない。嫌な予感がした。

 父はゆっくりとはっきりとした口調で告げた。

「一命はとりとめた」

 まだ安心できなかった。

「だが、まだ意識が回復していない」

 愛がぎゅっと私の手を握ってくれた。

「大丈夫。きっと、大丈夫だから。きっとヒナは目を覚ますから」

 愛も涙声だ。

 私は「うん」と頷いた。


 父にひとまず家に帰ろうと言われ、一緒に帰ることにした。

 病院を出たばかりのところで、私は父に弱音を吐いた。

「私のせいかもしれない。私が格闘技の世界に誘いさえしなければ、ヒナは普通の女の子として平和に暮らせていたかもしれない」

 父はしばしの沈黙ののち、「うぬぼれるな」と言った。

 決して怒った調子ではないが、それがかえって私の心を突き刺した。

「たしかに誘ったのはお前だが、格闘技を続けることを決めたのはあの子の意志だ。そして強い決意と覚悟で今回の試合に臨んだ。こうなることは彼女も望んではいなかっただろうが、覚悟は決めていただろう」

 そして父は私の肩に手をおいた。

「辞めるとかバカなことは言うなよ。そんなことをしたらヒナが報われないぞ」

「そんなこと、しない!」

 私は父の言葉にすぐに反応した。

「私も引退試合の後で、右目の視力が悪くなった。多少の後悔はあるが、そのときの対戦相手を恨んだことはなかった。ヒナも同じだと思うぞ。あの試合、ヒナは何度も笑っていた。きっとお前と夢の舞台で闘えて、幼いときの夢を叶えられて幸せだったんだ」

 私も幸せだった。

 ヒナと残り三〇秒、悔いの残らない殴り合いをして、お互いのすべてを出し尽くした。

 だからこそつらい。

 お互い怪我をしつつも、健闘をたたえ合って、またしばらくして練習漬けの日常が待っている。

 そんな未来になってくれたら、どんなによかったか。


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