第101話 進化
自然と笑っていた。
ヒナの攻撃が効いていないわけじゃない。
むしろ逆。
それでもこの試合が楽しすぎて笑みがこぼれた。
でも、いま、私はピンチ。
油断してはいけない。
「ヒナ、アスカの右手を両腕でひねろうとしている? V1アームロックか!?」
私は下から、膝でヒナの脇腹を蹴った。
効いた?
ヒナの腕から、ひねる力がなくなった。
V1を諦めた?
でも依然として両腕で右手を掴んだまま。
突如、ヒナが私の上で、こまのようにくるっと180度回転した。
「なんと美しい! サイドからの腕十字だぁ!」
ヒナの動きがあまりにも洗練されていて、反応が遅れてしまった。
相当練習してきたにちがいない。
私は伸ばされそうになっている右手を左手でつかみ、腕十字を防ぐ。
でもヒナのパワーはすごかった。
強引に引っ張られ、右腕は真っ直ぐに伸ばされようとしていた。
一か八か。
危険な賭けだけど、やるしかない。
伸びた!
そのとき私は、伸びきった腕を折られる前に動いて、ガードポジションの上を取り返した。
会場からは称賛の声が上がる。
女子は関節の柔らかい選手が多い。私もその一人。
ギリギリ折られる前に脱け出せた。
私は右腕に意識を向ける。筋を痛めているが、折れてはいない。
パンチは辛うじて打てそうで安堵した。
直後、顎に蹴り上げをもらった。
「馬鹿、油断するな!」
父の激昂が会場に響き渡る。
私は寝技に固執することをやめ、立ち上がって距離をおいた。
ヒナは寝転んだ状態から、こちらに手招きしている。
対する私は、黙ってヒナを見下ろす。
やがてレフェリーがヒナに立つよう促した。
スタンド勝負からの再開に、観客が歓びの声を上げた。
私はプロになってから下からの関節技や、自分が下になるリスクのある技は避けてきた。
アルティメットフォースの主戦場はアメリカ。アメリカにはレスリングの強豪が山ほどいる。
彼ら彼女らは上からの抑え込みが強く、安易に下になったら、そこから挽回するのは至難の業。
それを意識して、いままで避けてきた。
でも、だからこそ、意表をついて下から狙えば、奇襲となり、一本が獲れるのではと目論んだけれど、甘かった。
ヒナのグラウンド技術は格段に進化している。
立ち上がったヒナの瞳は爛々と輝いていた。
口元にも獣のような笑みを浮かべている。
私もおそらく笑っているだろう。
いま、とっても楽しい。
スタンドで仕切り直し。
ジャブ。
ヒナもジャブを放つけど、私のほうが速く届いた。
私のほうがリーチがある。それにパンチの速さも。
ヒナはもらいながら前に出た。
タフ。
でも。
「ヒナ、アスカの右フックでグラついた!」
ヒナの頬に私の拳がめり込み、ダウンはしなかったものの、大きくよろめいた。
あれは私が昇竜とRFC協賛のトライアルマッチで勝利した夜のこと。
酒を飲み、いつになく饒舌になった父が語っていたこと。
「お前のパンチはマイクタイソンを超えている。必ず世界を獲れる!」
酔った勢いでしか娘を褒められない不器用な父だけど、私はこの言葉がとてもうれしかった。
そして自分のパンチに対する自信がついた。
拳を極めるためにプロボクシングのジムにも出稽古に行った。
ヒナ、あなたのパンチも女子にしては重い。
でも私とはもって生まれたものが違う。
パンチで私に勝とうとは思わないほうが……。
「ヒナもやれっぱなしではない! ここに来て右ストレートを放った!」
あまりにも速く、ヒヤッとした。
私はとっさに頭を左に振ってかわし……。
「おお! ヒナの裏拳!」
まっすぐ放たれる右ストレート。
それをかわされた直後、右拳を引かずに、そのまま手の甲側を使って打ってきたのだ。
不意をつかれ、左に一瞬よろめく、ことすらヒナは許してくなかった!
裏拳と蹴りで挟みこむようにしてのハイキック!
「右ストレートからの裏拳! 追い打ちのハイキック! 怒涛の三連撃だぁ!!」
裏拳で左に崩されながらハイキックで挟み撃ちにされたのだ。
脳が、揺れた!
倒されはしないものの、膝が振るえる。
私は追撃を食らわないよう、必死に拳をこめかみ付近までかかげる。
突如、脇腹、みぞおちに衝撃が走る。
左のボディフック、右のボディストレートのコンビネーション。
おまけの右足へのカーフキック!
激痛が膝下の薄い筋肉に走る。
観客の声援をかき消すほどの、父の怒号が会場内に響き渡る。
「防戦一方になるな! 動け!」
ヒナは渾身の右ストレートを振るった!
狙っていたね。
私は両足タックルに行った。
ヒナは踏ん張る。
私は負けじとそのまま前進すると、ヒナも青コーナーに後ずさりした。
自軍のセコンドの声を聞きやすくするためにわざと後退したのだろう。
それならそれでいい。
コーナー際で動けなくし、一方的にボコボコにする。
佐藤ヒカリ選手の指示が飛ぶ。
「いいわよ。側頭部に肘を入れるのよ!」
側頭部に肘が、ガンガンと襲い掛かる。
食らってみてわかる。とても嫌な技。
私は胴タックル切り替えた。
ヒナは青コーナーに背をもたれており、なかなか倒しづらい。
「一旦距離をおけ! 打撃で勝負だ!」
父の命令のおかげで冷静になれた。
私は離れ際の攻撃を気にしつつ、タックルを解除した。
再びスタンドの攻防に移ったことで、会場からは歓声が湧いた。
スタンドで遅れをとったことはショックだ。
パンチでは誰にも負けないと自負していたけれど、ヒナに押され、タックルに逃げてしまった。
寝技だけじゃなかった。打撃でもヒナは進化している。
いや、あらゆるパラメータが急上昇している。
残り時間は半分。2分30秒。
焦りはある。
寝技でも打撃でも押された。
悔しさはある。
でもそれ以上に、私はこの激闘を楽しんでいた。
いままでだって楽な試合は一度もなかった。
でもこれほどまでに私が圧倒される試合はなかった。
ヒナは目を細め笑っていた。
彼女も同じ気持ちなのかもしれない。
私も笑い返す。
笑いながらあることを願ってしまっていた。
この試合が、ヒナと拳を合わせるこの時間が、永遠に続いていほしいと。




