第94話 神童
男の子がよかったとは、さすがの私でも言えなかった。
ようやくできたはじめての子どもだったからだ。
女の子であっても、子どもはやはり可愛かった。
生まれたばかりのアスカを見ていると、愛おしいという気持ちが芽生えた。
王座から陥落し、もう選手としても下り坂のときだった。
でもアスカを見ていると、もっとこの子のために格闘技を頑張ろう。
そう思えた。
格闘技をさせるつもりはなかった。
男だったら私と同じ道を歩んでほしいと思っていただろうが。
だが、私の考えを変える出来事が起こった。
はじめてアスカに拳の握り方を教えたときのことだった。
サンドバッグを殴らせたところ、アスカのパンチの異様さに気づいた。
サンドバッグが縦に揺れたのだ。
未熟なものだとサンドバッグがパンチに押されて後ろに振れるものだ。
次いでミットを打たせた。
打たれた瞬間、手にしていたミットが吹っ飛んだ。
私は確信した。
アスカは天性のハードパンチャーだと。
ナジーム・ハメドというボクサーがいた。
ノーガードで相手を挑発し、上体をそらせた状態からノックアウトできるパンチを打つという独特のファイトスタイルで有名だった。
彼のトレーナー、エマニュエル・スチュワードは、「もしレノックス・ルイスとハメドが同じ階級だったら、ハメドのパンチ力のほうが上だ」と言ったという。
レノックス・ルイスも偉大なヘビー級王者だった一人だが、それに匹敵するほどハメドのパンチ力はすごいと言いたかったのだろう。
それにならい、私ならこう言う。
もしマイク・タイソンとアスカが同じ階級で同じ性別なら、アスカのパンチ力のほうが上だと。
私は誓った。
この子を必ず総合格闘技のチャンピオンにすると。
アスカは私の期待に応えてくれた。
厳しいことも言ったし、厳しい指導も課したし、ときには殴った。
父親失格だと我ながら思う。
それでも文句を言わずついてきてくれた。
そうして手にしたRFCのチャンピオンベルト。
アスカは私の自慢の娘だ。
神童だ。
そのアスカが、私の最高傑作が、いま崩れ落ちようとしている。
アスカは、サッカーボールキックの猛攻を浴びている。
私は叫んだ。
「足先をヒナに向けろ!」
言われた通り、アスカはマットの上で周り、足先をヒナに向けた。
ヒナは依然として立っている。
猪木アリ状態。
アスカも下から、さきほどのヒナのように蹴り上げで抵抗できる。
これでサッカーボールキックは蹴りづらくなった。
山本ヒナ。
私の予想をことごとく裏切る女。
私の期待に応えてくれるアスカとは対照的だ。
ヒナは立った状態から、アスカの足にローキックを二、三発蹴った。
私は敵意のまなざしをヒナに向けてしまっていた。
ヒナとアスカが出会ってから私の計画に狂いが生じた。
ヒナとさえ出会わなければ、アスカはアルティメットフォースへ行くのをためらわなかっただろう。
ヒナはアスカの格闘技人生における雑音以外の何物でもない。
だが、同時に思い出す。
私が手術を無事に終えたとき、自分のことのようにヒナが喜んでいたことを。
根はやさしい子なのだ。
もしアスカと同じ世界に足を踏み入れさえせず、ただの友達としてい続けてくれたなら良かったのにと思わずにはおれない。
残り二分。
依然として猪木アリ状態が続いている。
最初のフックでダウンを奪ったまではよかった。
マウントからのパウンドも申し分ない。
ただ、蹴り上げから流れが変わってしまった。
「アスカ、隙を見て立ち上がれ!」
アスカは真剣なまなざしをヒナに向けている。
対するヒナは。
「おおっとぉ! ヒナ、高くジャンプした!」
実況が叫ぶなか、アスカの顔面が踏み抜かれた。
踏みつけだ。
これもアルティメットフォースでは禁止されている技だ。
RFCの選手がアルティメットフォースに参戦したときに、最初に直面する壁がルールの違いだ。
四点ポジションの膝蹴り、蹴り上げ、サッカーボールキック、踏みつけ。
これらRFCで使える技術が、アルティメットフォースでは使えなくなる。
ルールに慣れない状態で闘い、初戦を落とす選手を嫌というほど見てきた。
そうならないよう、アスカには防衛戦の練習と同時に、アルティメットフォース向けの練習も並行して行わせた。
それがあだとなった。
アスカは、勉強はできないが、地頭は良い。
二つの団体のルールの違いを頭では理解しているはずだ。
ただ、身体にしみこませた動きが頭についていかないのだ。
これは私のミスだ。
再び足先をヒナに向け、ようやく立ち上がった。
当然ながら追いかけるヒナだが、アスカがフックの連打を振るうと何発か当たった。
それでもヒナは、返す刀でフックの連打を打ち返してきた。
アスカのほうが何発か被弾し、そして後ずさった。
序盤にフックでダウンを奪われたにもかかわらず、それでも前に出続ける精神力。
敵ながら感心してしまう。
私は大声でアスカに檄を飛ばした。
「ここから軌道修正して巻き返しを図るぞ!」
認めざるを得ない。
私の失態を。
そして山本ヒナをあなどっていたことを。
認める。
コイツは過去最強の対戦相手だ!




