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加護憑き少年、一目惚れした聖騎士の少女と旅をする  作者: 長久保いずみ


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30/31

30.東の谷

「ああ、くそっ。貴重な〝水〟が……!」


「今はそれどころじゃない! おい、進めそうか?」


「はい、上に隙間があります。一人ずつなら……」


 ドォン、と地響きに似た音が響く。聖騎士たちは思わず身をすくめた。


 遠くでなにかが崩れる音がした。おそらく、また進路を塞ぐために壁を叩いたのだ。


「……ナタリー副団長」


 誰かが呟く。


「本当に、異端者になっちゃったんですね」


 誰も答えない。土埃が薄く舞う。


「……まっすぐ進んでも時間がかかる」


 やがて、隊長格の聖騎士が呟いた。


「このまま進んでいけば、おそらく東の谷に向かう。そこへわざと誘い込むぞ」


「殺さないのですか?」


 驚く部下に隊長は答える。


「死なないというのなら、自分から死にたくなるようにしてやるまでだ」


◆   ◆    ◆


 気が狂いそうになるほど同じ景色の中を進み続けて、どれほど経ったか。


 定期的にナタリーが道を塞いでくれているおかげか、追手の気配はなくなっていた。


「あ」


 しばらく走っていると、壁にぶち当たった。


 行き止まり、ではない。朽ちかけているが梯子が上に伸びていた。見上げれば、黒っぽい空が丸く切り取られている。


「先に行く?」


「追手が先回りしている可能性がある。お前が先に行け」


 クサヴェルは頷いて、梯子にそっと足をかけた。ミシミシと鳴ったり、柔らかくなっている場所もあったが、耐久力はぎりぎり残っているようだ。


 慎重に一段ずつ登っていき、最後の三段は腕の力だけで飛びつくように登った。


 あたりには、誰もいなかった。


 なぜこんなところに井戸が、と思うほどなにもない。大きな家の屋根と思しきものが、骨組みだけ残して力なく置かれていた。


 クサヴェルはそっと井戸から這い出て、中に向かって手招きする。


 ナタリーが上がってくるまで、彼は注意深く周囲を見回した。あたりには雪がかすかに残るだけ。隠れられる場所はほとんどない。かといって、遠い地平線の向こうからなにかが来ている様子もない。


 ナタリーが慎重に井戸から顔を出した。


「追手は?」


「いない。たぶん」


「よし」


 彼女も井戸から出たのを見て、クサヴェルは訊ねる。


「東の谷ってどっち?」


「こっちだ」


 ざっと辺りを見回して、ナタリーは屋根の残骸の向こうへ歩き出した。念のため屋根の裏側も警戒していたが、誰もいなかった。


「谷って言うけど、越えられるの?」


「越えられないだろうな。何百年も前の天変地異でできた、巨大な裂け目だと言われている。教会の地図で見ただけだが、簡単に飛び越えられるような大きさではなかったぞ」


「へー……え?」


 しばらくと歩かずに、クサヴェルは自分の目を疑った。


「ちょっと待って。向こうに崖があるんだけど」


「ああ、見えるな。これほど井戸に近いとは思わなかった、けど……」


 言葉を失う。


 手前の崖と、奥の崖。見えるのだから意外と近いのでは、と期待してしまった。


 うすぼんやりと見える砂色の壁。向こうの緑地も見えるが、そこに立っている木が親指ほどの大きさに見える。


 崖と崖の間の距離は計り知れない。人間の歩幅では到底たどり着けない距離。


 下を見れば、どこまでも深い奈落が広がる。落ちればまず全身がバラバラになるだろう。かといって慎重に降りられる場所を探しても、手足を引っかけられる場所がない。長年の風雨によって、嘲笑うほど滑らかな面ができていた。


「……これは、ちょっと……」


「……私も予想外だ」


 並んで崖の淵に座る。


「もうちょっとデコボコしてくれれば、時間がかかっても降りられると思ったんだが」


「この高さはちょっと、いやかなり怖い。おれも覚悟決める時間が欲しい」


「その必要はない」


 不意に第三者の声が響いた。振り向く前に、二人になにかが掛けられる。


「うわっ、なにこれ、くさっ!」


「……いつのまに」


 顔に(したた)る液体を鬱陶しそうに拭いながら、ナタリーは聖騎士らを見る。


 後ろで金属音がしたと思えば、火が見えた。ナタリーは後ずさろうとして、後がないことに気付く。


 彼女を守るように、クサヴェルは前に出た。


「追ってきたんだ。しつこいね」


「悪魔憑きと異端者は必ず殺す。それが我ら教会の存在意義だ」


 後ろで火がなにかに移される。聖騎士たちが動いて、火がよく見える。


「異端者よ」


 聖騎士はナタリーをそう呼んだ。


「なぜだ。貴殿は優秀な聖騎士であった。なぜ悪魔憑きの側に堕ちた!」


「……個人の意思を持たず、神の意思を代行する。それが聖騎士の在り方だ」


 ナタリーはゆっくりと答える。


「私は自分の意思に気付いた。考えを知った。なにが好きで、なにが嫌いか。……もう私は、貴殿らのような人形ではない。一人の人間だ」


「……そうか」


 聖騎士は一瞬だけ目を伏せた。


「残念だ」


 後ろの聖騎士たちが弓を構える。番えた矢の先に、火が揺らめいていた。


「……〝禁忌の水〟か!」


 ナタリーが声を上げる。聖騎士の一人が頷いた。


「さすがに知っていたか」


「なに、それ?」


 クサヴェルが小声で訊ねる。


「教会が保管、管理している旧時代の道具の一つだ。臭いがよく燃える。それに水が燃えているから、ただ水をかけただけでは簡単に消えない」


「……ちょっと待って、もしかしておれたちにかかった水って……?」


「理解が早くて助かる」


 聖騎士がどこか嘲笑うように言った。


 手が上がる。弓が引き絞られる。


「この世から塵も残らず消え失せろ、悪魔憑き!」


 手が振り下ろされた。


 同時にクサヴェルは、ナタリーを抱きしめて崖に向けて飛んだ。


 向かう先は奈落。冷たい風が二人を包む。内臓がぐわっと持ち上がる恐怖。


 水や風の冷たさだけではない。頭の先から爪先まで、一気に体温が下がった。


「……!」


 ナタリーはなにか言おうとした。舌がもつれてうまく言葉にならない。


 黒い空の向こうからは、火矢が飛んでくる。あれがかすりでもしたら、一瞬で二人とも火だるまになる。


 火が、迫る。


「……いや」


 つい数十分前の恐怖が甦る。


 熱くて、息苦しい。存在を否定されたような熱量。


「いやだ」


 ナタリーはクサヴェルの服をぎゅうと握りしめた。


「嫌だ! 死にたくない!」


 仮に死ぬんだとしても、もう火に包まれるのはごめんだ!


「大丈夫!」


 ナタリーの頭を、体を、クサヴェルが抱きしめ返す。


「ナタリーを死なせない! 俺も死なない! 二人で生き延びる! 絶対に!」


 凛とした声だった。どこから来るかもわからない、自信に満ちた声。


 ナタリーの強張っていた体が緩んだ。同時に、停止していた思考が再起動する。


(……そうだ。触れさせなければいいんだ)


 火矢が迫る。しかしそのスピードは恐ろしいほど遅い。


 ナタリーは左手でクサヴェルを掴んだまま、右手でブローチを探り当てた。


 濡れていたらどうしよう、と一瞬躊躇う。


 だけど、あれを撃ち落とすにはこれが一番だ。


 手の中でブローチが大きくなる。


 聖武具(セイクリッド)は、所持者の意思によって自在に大きさを変えられる。


 だったら、普段よりもずっと大きくすることも可能だ。


 ナタリーには、それを振り回すだけの力が与えられてる。


「っらあ!!」


 気合を込めて、一閃。小気味いい音を立てて、矢の群れがことごとく撃ち落とされた。


 追撃の矢は来ない。


「すごい!」


 目で追っていたクサヴェルが感嘆の声を上げた。斧をブローチに戻したナタリーは、得意げに鼻を鳴らす。


「ふん、伊達に最年少で旅団副団長に任命されたわけではない」


「すごいや。……あとはおれに任せて」


 ぎゅっと、さらに力強く抱きしめられる。


 空中で体を捻り、クサヴェルが地面に背を向ける形になる。


 ナタリーは彼の胸にしがみついて、ただその時を待った。


 クサヴェルは死なない。彼がそう言ったから。


 やがて、小さくなにかが潰れるような音が、谷底から響いた。

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