29.覚醒
暗く湿った道を歩き続けていると、次第に目が慣れてきた。
人が通ることを想定して造られたのだろう。天井が高く、道幅も広い。三人は余裕で並んで歩けるだろう。レンガで足元まで舗装されているから歩きやすかった。
「あー、重い。これ、どうやったら取れるのかな?」
恨めしそうに手首の枷を睨んで、クサヴェルはぼやいた。
「取ればいいだろう」
「それができれば苦労しないって。がっちがちに固定されてる」
どんな屈強な人物でも、これを壊すのは至難の業だろう。そう思うくらいには金具で厳重に固定されているのだ。六角形の輪を何度も回そうとしているが、右にも左にも回らない。
ナタリーが立ち止まってクサヴェルを見た。
「こう言ってみろ。『錘よ、外れろ』」
「? ……錘よ、外れろ」
クサヴェルは首をかしげながら、それを復唱する。
いじっていた輪がひとりでにくるくると回り出した。
「え?」
金具が外れ、錘自身の重さに従ってそれが落ちる。もう片方の手も同じだった。
「うわ、あっぶな」
足の真横に落ちて、危うく潰れそうだった己の足を上げる。
「えー、すごい。どういうこと?」
跡がくっきり残った手首をさすりながら、クサヴェルは錘とナタリーを交互に見つめた。
ナタリーはそれに対し、手で額を抑えている。
「やっぱり自覚がなかったか……。あのキケとかいう悪魔憑きと対峙した時、貴様、折れた短剣を完全に修復した上に手元に戻しただろう?」
「あー、そういえばそうだったね」
「あれで一つ、思い当たる事象があった。貴様の能力はおそらく〝言霊〟だ」
「ことだま?」
「簡単に言えば、言ったことが現実になる。貴様が常々『死にたくない』、『こんなことは嫌だ』と語っていたことがあったな。あれが現実化して、貴様は死にたいと言わない限り死ねない体になり、嫌だと言った現象には遭遇しなくなった」
クサヴェルは自分の言葉を思い返した。
死ぬのは嫌だ。飢えるのは嫌い。痛いのも苦しいのも嫌だ。
そして、ナタリーと幸せになりたい。
「……痛いことはあったけどね。あの光の箱とか」
「だが死ななかった。それだけ死にたくないと思い、言い続けていたからだろう」
「じゃあ、武器が通じないのも?」
「おそらくそうだろう。聖武具は悪魔憑きを滅する唯一の道具だ。死にたくないと言えば、天敵を無効化させてしまうのも道理だ」
「ふーん」
クサヴェルは生返事で自分の手を見つめた。
「あ、じゃあ、短剣よ、戻ってこい! って言ったら――」
カチャン、と音がした。足元に愛用の短剣が二本転がっている。
「やっぱり!」
「本当に便利だな」
「じゃあ、じゃあ! ナタリーの聖武具よ、彼女の手元に戻ってこい!」
「え」
ナタリーが言葉に詰まると同時に、右手に冷たい金属の感触があった。半端に開いていた手を慌てて握り、その形を認識する。
おそるおそる開いてみれば、没収された斧がブローチの形でそこにあった。
「……どうして」
「え? だってそれ、ナタリーのものじゃん」
なにか悪いことした? と言いたげな顔でクサヴェルは首をかしげる。
「……いや」
ナタリーはそっと、両手でブローチを握り込む。胸に押し当てて、痛いほどこみ上げてくる感情を制しようとした。
「いや……」
自らを異端者だと断じた。聖武具を持つ資格はもうないと思っていた。
クサヴェルの能力のおかげでも、こうして手元にやってきてくれた。まだ持つ資格があると言ってくれるような気がした。
「ありがとう」
自然と、口からこぼれ出た。
クサヴェルはぽかん、と口を開ける。それから唇の端がむずむずして、変な三日月のような笑みになる。両手で押さえないと、もっと笑みが広がっていきそうだった。
「……初めて、お礼を言われた。すっごく嬉しい」
「そうだったか?」
そういえば、そうだったかもしれない。
ブローチを胸元に挿して、ナタリーは言う。
「行くぞ。聖騎士は執念深いからな」
「うん」
ベルトに短剣が刺さっているのを確認して、クサヴェルも頷く。
「――いたぞ!」
どこから響いたのかわからない。
だが鋭い声に、二人は同時に走り出した。
「そういえば、これってどこに繋がってるっけ!?」
走りながらクサヴェルは問うた。
「孤児院以外は知らない! 緊急避難用の通路だとすれば、東の谷にも出られるはずだ!」
「谷!? 渡れるの!?」
「渡れるだろう! 貴様の力なら!」
クサヴェルははっと、なにかに気付いたような顔になる。
「……よし、そこに行こう!」
後ろから、通り過ぎた他の通路から、待て、止まれと声が響く。
「ねえナタリー!」
「なんだ!?」
「ナタリーなら、ここの壁壊せるよ!」
「……そうか」
ナタリーがブローチを外す。手の中でみるみるうちに大きくなる。
「聖武具!?」
「なんで……!」
驚愕する聖騎士たちの前で立ち止まり、大きく振りかぶる。
「――ふんっ!」
彼らのはるか手前で振り抜いたそれは、壁を大きく抉る。
崩れた壁の範囲は縦に広がり、天井が音を立てて崩落した。
「うわああっ!?」
聖騎士たちの悲鳴を後ろに、ナタリーは斧を小さくして再び走り出す。
クサヴェルが声をかける。
「すごい! やったね!」
「――ははっ」
ナタリーは笑った。
かつての仲間への罪悪感が、ないわけではない。
それ以上に、胸をすくような爽快感があった。
誰かに命令されたわけではない。クサヴェルのヒントと言霊をもとに、自分で考え、実行した。
体の中から力が湧く。今まで不安定だった輪郭が、しっかりと形を得るような感覚。
充足感や達成感と呼ばれる感覚だと、ナタリーが知るのはもう少し先のことだった。




