24.いたみ
「いっ……あ、があっ……!」
熱い、痛い、熱い!
たまらず倒れ込んだ男をナタリーは見下ろす。
「よっ、と……えええっ!? だ、大丈夫!?」
「貴様はどっちの心配をしているんだ」
斜面を登り切ったクサヴェルが、短剣をしまい慌てふためく。ナタリーはそれに心底呆れながら、男に言った。
「二手に分かれて攪乱し、聖武具が手元に戻る性質を利用しての不意打ちだったが……。こうも簡単にうまく行くとは思わなかったな」
「ぐ……っ、あ……!」
「痛かろう。悪魔憑きにとって聖武具は毒だ。次の一撃で葬ってやる」
「……寄る、な……!」
男は苦痛に呻きながら、這って後ろへと下がった。
「なにが悪魔憑きだ、なにが聖騎士だ! お前たちは、結局自分が可愛いだけだろう!」
近付こうとしたナタリーが止まる。
「……そうかもしれないな」
「都合の悪い奴は異端者として殺される。それ以外の奴は信徒とか言って搾取する! 誰も逆らえないから、恨みつらみは弱い奴に向けられる! お前らのせいで弟は……!」
不意に、言葉が途切れた。男がなにかに気付いたように目を見開く。
クサヴェルが周囲を見回したが、なにもない。冷たい風が吹くだけだった。
ナタリーが問う。
「どうした」
「……いいや」
男はゆるく首を振った。
「思い出しただけだ。弟が死んだときのことを」
「そうか」
ナタリーは近付き、男から斧を引き抜いた。痛みに男が呻く。
「殺すの?」
クサヴェルは訊いていた。
「そうだ」
「悪魔憑きだから?」
続けて問われて、ナタリーは言葉に詰まる。
「…………。聖騎士と出くわした以上、悪魔憑きは生かしておけない」
「でも、俺は生きてる」
「それは貴様が死ねないからだろう。本来なら最初に出会った時に私の一撃で死んでいたんだぞ」
「理屈じゃあ、そうだよ。でも俺は死なない。死ねない。だから君と旅が出来てる。……ねえ、本当に助かる道はないの?」
「くど……」
「しつこいなあ、君」
ナタリーの言葉を男が遮った。
男は脇腹を抑えながら、仰向けに転がる。血が広がる。汗が止まらない。呼吸が速くなっている。顔も青白くなっている。その左頬には、鎖のような痣が浮かんでいた。
「俺は弟を救えなかった。君たちも殺そうとした。それで死ぬんだ。天罰だよ」
「でも――」
「ああ、じゃあこれならいいかな。先輩として、悪魔憑きがどう死ぬのか見せてあげるよ」
「それも嫌だ!」
クサヴェルは叫んだ。男の傍に膝をつく。
「なんで死ななきゃいけないの!? おれたち、なにか悪いことした!?」
「貴様はともかく、こいつは一つの村を滅ぼしたぞ」
「それは、そうだけど! 悪魔憑きになったのは、願いがあったからで……! その願いも、持っちゃダメなの!? 幸せになりたいとか、弟を取り戻したいとか! ねえ、神様も悪魔も天使も、なんでそういうことをするの!?」
ナタリーは答えられなかった。
クサヴェルの問いは、彼女に向けられたものではない。だが、答えに一番近いところにいるのもナタリーであった。
唇を噛む。
「……こいつを放置していれば、また罪のない人々が殺される。私は、その悲劇を増やさないために、こいつを殺す」
「……答えになってないよ」
「いいんだ、少年」
男がクサヴェルの胸を叩いた。本当はもうちょっと強く叩きたかったのだろう。だが血まみれの手は、ほとんど押し付けられる程度の力しか残っていなかった。
「俺は疲れたよ。もういない弟の影を追うのは。もう……これ以上、生きたくないんだ」
クサヴェルは口を開こうとした。舌が上手く動かない。唇がわななく。
この男は、たしかに自分たちを殺そうとした。こちらも本気を出さなければナタリーが死んでいた。
でも。それでも。
死んでほしくないと願ってしまった。
「……じゃあ、名前だけでも教えてよ」
「は?」
男がきょとんと眼を見開いた。
「おれ、あんたの名前を知らない。ただの『他の悪魔憑き』で終わらせたくない」
「…………ふはっ」
男はたまらず噴き出した。脇腹が痛む。
「お前、変な奴って言われるだろ」
「それは、もう。あの子に散々」
「だろうな」
男は痛む脇腹を抑えながら、小さくひとしきり笑った。
「ふっ、くくっ……。少年、俺の名前はキケだ。覚えておけ」
「キケ、キケ……。うん、覚えた」
何度も口の中で繰り返し呟き、クサヴェルは頷く。
「おれも教えとく。おれの名前は、クサヴェル」
「クサヴェル、か……。似ても似つかないな」
「だから最初から言ってるじゃん。別人だって」
「そうだったか」
(……ああ、でも)
男――悪魔憑きキケはクサヴェルの顔を覗き込む。
「……やっぱ、そっくりだ」
「まだ言うの?」
「お前の、その、無邪気そうなところ……。あいつそっくりだ」
この世に楽園があると信じて疑わなかった小さな弟。いつか絶対にそこに行くんだと、木の棒や布に切れ端で冒険の準備をしていた。自分はそれに呆れながらも、否定しなかった。
信じていたかったのだ。
誰も信じられないこの世界で、眩しい夢に、いつしか自分も連れて行ってもらいたかった。
教会が食料を奪い、幼い子供を攫いに来て、すべてが崩れ去った。
町の外の木から実を取ってきて、それを他の子どもたちに見られて。
実のなる木のありかを吐けと、殴られ、蹴られた。
二人とも絶対に喋らなかった。
そのうち、頭を強く殴られた。大きな石をぶつけられたのかもしれなかった。
意識が沈んだキケを拾ったのは、恐ろしい形相の存在だった。
慌てふためく彼に問われたのは、生き返った後のこと。
キケは迷いなく答えた。
「弟を助けたい」
なにもかもを切り裂いて、弟を必ず守る。
それは、耳まで裂けるほど笑って了承した。
再び意識が浮上したキケが見たのは。
全身から血を流し、頭が大きく抉れた小さな体だった。
(ああ、とんだ喜劇だ)
悪魔は最初から知っていたのだ。
キケが生き返っても、弟はすでに助からないということに。
壊れたキケの旅路を、悪魔はさぞ楽しく見ていたことだろう。
(でも、もういい)
弟は――デミトリは生き返らなかった。つまり、悪魔の手に落ちなかった。
そこに一片の希望があれば、キケは自身に待ち受ける地獄も耐えられる。
「もういいか」
聖騎士が言った。
「ああ。……せめて、一思いにやってくれ」
キケはそう言って目を閉じる。抵抗する力も残っていなかった。
「……離れていろ」
ナタリーはクサヴェルにそう言う。クサヴェルは二人を交互に見つめ、なにか言いたそうな顔でゆっくりと後ろに下がった。
ナタリーは斧を握り直す。手の平に汗がにじむ。いつも難なく振り回せているはずの斧がやけに重かった。
ゆっくりと、持ち上げる。断頭の刃が上がる。
なかなか衝撃が来ず、キケが目を開けた。
二人の目が合う。
「……面白いものを見た」
唇を一直線に引き結び、眉間に大きく皺を寄せ。
泣きそうな顔で斧を振り上げるナタリーを見て、キケは笑った。
そうして、もう一度目を閉じる。
悪魔憑きは抵抗していない。その気力が残っていない。
はやく、彼を救ってやらねば。
「……あ、……っ、……――あああああああああああああっ!!」
悼むような絶叫を乗せて。
斧が振り下ろされた。




