17.黄泉帰り
「は……?」
ナタリーはその言葉が受け入れられなかった。
「待て、空耳か? 一度死んでいると言ったのか、貴様?」
「うん、そう」
空耳であってくれ、というナタリーのささやかな願いは、無残にも打ち砕かれた。
「旅をする前。町に住んででさ。人が死なない日はなかったよ。みんななにかを奪いあってた」
クサヴェルの声に懐かしさはない。ただ、過去の事実を淡々と紡いでいく。
「野良犬がよく来てたよ。今思うと、あれ、たぶん魔物だった。でも食べるものなんて他にないからさ。犬を倒すときだけは協力して、肉は奪いあった。よく横から奪っていく大人もいたな」
「……それで、貴様はどうして死んだのだ」
ナタリーが問いかける。
「よくある話だよ。大人にイチャモンつけられた。『俺のものを奪う気だな!?』って。めちゃくちゃに殴られて蹴られて、骨もあちこち折れてさ。気付いたら死んでた」
思い出したように笑いながら語る。それがどれだけ凄絶なものか。ナタリーはなにも言えずにいた。
「そうしたら、悪魔さんに会った」
「……悪魔さん?」
「そう。おじさんっていったら変な顔された」
「だろうな」
悪魔をさん付で呼ぶ人はいないだろう。おじさん呼びなんて聞いたことがない。様を付けて崇拝している異教徒の話なら、ナタリーは聞いたことがあった。
「……ちなみに、その悪魔はどこにいたのだ?」
「なんか真っ暗な場所。上も下も、右も左も真っ暗。そこに」
ここで言葉を切り、洞穴の入り口を指さした。
「あの入口よりもーっと大きい顔……顔? 顔の骨が浮かんでた」
「……それ、普通に発狂しないか?」
「全然。でっかいなーって感想しか出なかった」
ナタリーは完全に絶句する。悪魔と相対しても、怖がることも怯えることもない。どれほど過酷な環境で生きざるを得なかったのだろうか。
「そうしたら、悪魔さんが訊いてきたんだよ。生き返ったらなにがしたい? って」
ナタリーはその言葉に耳を傾ける。教会ではよく人を堕落させるとか、自分の奴隷にするために理不尽な契約を言葉巧みに誘導すると聞く。本物の――彼の言うことが本当なら――悪魔はどう契約に持ち込むのか。
「美味しいものをいっぱい食べるとか、女の子に囲まれるとか、いろいろ言ってた気がする。でもぜんぶしっくりこなくてさ。思い浮かんだのが、幸せになりたいって言葉だった」
「……それで、悪魔は了承したのか?」
「めちゃくちゃ大笑いされた」
「そうか」
ナタリーはひそかに安堵した。嬉々として了承していたら、彼女の中の悪魔像が音を立てて崩れ落ちるところだった。
「で、おれの願いって、悪魔さんの大好物みたいなんだよね」
「そうか」
「だから、おれが幸せになれないで死んだら、奴隷になる。その約束で、おれは生き返らせてもらったんだ」
「なるほどな」
一応、話の筋は通っている。ナタリーは確認を込めて言った。
「それで、貴様は貴様の幸せのために、私を攫ったのか」
「そう」
即答されると微妙な気分になる。
「貴様、死ぬ前に神に祈ったこととかなかったのか?」
「えっとね……。あった、かな? 昔のことすぎて覚えてない」
「そうか……」
ナタリーはため息をついた。弱くなった火に薪をくべてやる。
「せめて、死ぬ前に天授者として覚醒していたら、天使様のお迎えがあったのかもしれないのにな」
「えー、それは嫌だ」
背を向けたままクサヴェルがむくれた。
「だって君に会えないじゃん」
「私がいずれ死んだら会えるだろう」
「今がいいのー」
聞き分けのない子どものような声だった。
ふっ、と。
小さく笑った事実に、ナタリーは愕然とした。
これまでも、小さな綻びはあった。
だけど、悪魔憑きに気を許したことはなかった。
でも。
今のは、なんだ。
なぜ、笑った?
なぜ、悪魔憑きに気を許した?
なぜ。
面白い奴だと、思ってしまった?
「あ、あ……あああっ!」
「ど、どうしたの?」
「うるさい、来るな! 悪魔憑き!!」
悲鳴のような叫びが洞穴に反響する。
ナタリーは手にしていた枝を投げた。鋭いそれはクサヴェルの背中にぶつかって落ちる。
「天地創造の折、光を与えし我らが主よ。迷える我らに導きの光を賜りし主よ。その御許より溢れし慈悲の光で穢れを洗い流し、我らに祝福を」
地面にうずくまり、ナタリーは祈りを捧げる。うずくまったまま両手を組んで頭上に掲げるのは、教会において最上級の祈りの姿勢だった。
「天地創造の折、光を与えし我らが主よ。迷える我らに導きの光を賜りし主よ。その御許より溢れし慈悲の光で穢れを洗い流し、我らに祝福を」
早口で何度も紡がれる祈り。その声が震えていることにクサヴェルは気付いた。
「我らに……我……あああああああああっ」
祈りが途切れた。慟哭が響き渡る。
クサヴェルは動けなかった。悪魔憑きの自分にできることはなにもない。
ただ後ろを見ないように、目の前の壁に額を押し付けた。
ナタリーの声だけが聞こえる。
火が、消えた。




