11.幸せの定義
クサヴェルはナタリーを連れて森を歩いた。ナタリーは後ろから付いてくる。
「ねえ、こっち来てよ。後ろじゃ顔が見えない」
クサヴェルが振り返ると、ナタリーは首を横に振った。
「貴様がなにをしでかすか、まったく予想がつかない。こうして後ろから見張らなければ、私の気が済まない」
「えー、なにもしないよ。強いていうなら、君がどっか行っちゃわないか心配なだけ」
「それが気持ち悪いと言っているんだ」
ナタリーは嫌悪感を隠そうともせずに言う。
「悪魔憑きは欲求が肥大化して周囲を巻き込むと言うが、貴様は肉欲か?」
「肉は好きだよ。美味しいし元気が出る」
「そっちの肉ではない! ああもう、調子が狂う……!」
ナタリーはフードの上から頭を抱えた。クサヴェルは一度立ち止まり、振り返る。
「そんなに難しく考える必要はないと思うんだけどな。最初から言ってるじゃん。おれは幸せになりたいだけ。そんで君にも幸せになってほしい」
「私の幸せは神の御意思に沿うことだ」
ナタリーはクサヴェルを睨みつける。
「断言してやろう、悪魔憑き。私を好いている間は、貴様は絶対に幸せになれない。なぜなら私が幸せでないからだ」
「…………」
クサヴェルは腕を組み、顎に手を添えて考え込む。
「うーん……。じゃあ、おれを殺したら、君は幸せ?」
「え?」
「おれは死ぬのが嫌だから、死んだらきっと悪魔の奴隷になる。でも、君がおれと一緒にいたら幸せになれないんだったら、おれが死んで君が幸せになれるんだったら……。おれは、君のために死ぬよ」
ナタリーは呆然とクサヴェルを見つめた。
クサヴェルの顔色は悪い。だけど、目に迷いはない。もしも〝その時〟が来たら、彼は無抵抗に命を差し出す。その覚悟の色が見えた。
「…………」
ナタリーの唇が震える。
ならば、死ね。
そう言うだけでいい。福音旅団の迎えがきたら、彼らと共にクサヴェルを処刑して、元の巡礼の旅に戻るだけだ。
それでいいはずなのに。
(なぜ、躊躇う?)
ナタリー自身にもわからなかった。
(魔物の肉を食べたからか?)
すぐに浮かんだ理由はそれだ。穢れた魔物の肉を食べてしまったから、ナタリーの思考が、教会の教えが穢されてしまった。
(悪魔憑きは世界の敵だ)
だから、祓わなければならない。
自ら命を差し出そうとしているのなら、これ以上ない好機だ。
――君は、それで幸せなの?
不意にクサヴェルの言葉が蘇る。
(私の、幸せ……)
――そもそも。
(そんな時なんて、あっただろうか)
「副団長ー!!」
耳をつんざくような大声が森に響き渡った。
驚いた鳥たちが一斉に羽ばたく。
「うわっ」
先に気付いたのはクサヴェルだった。あからさまに嫌そうな顔をして、ナタリーの手を取る。
背中を氷の剣でなぞられたような怖気が走った。
「――触るな、悪魔憑き!」
ナタリーが気付いた時には、そう口走って彼の手を振り払っていた。
「あ……」
声にならない声をこぼしたのは、どちらだったのか。
「副団長、御無事ですか!?」
「副団長に近付くな、悪魔憑き!」
「ここで我らの聖武具の錆にしてくれる!」
駆けつけた福音旅団の隊員たちが、ナタリーをクサヴェルから引き離す。開いた空間には三人ほどの隊員が割って入り、それぞれが銀色の武器を彼に突き付けた。
「え、え……え?」
クサヴェルは思わず両手を顔の横まで上げる。
「おれ、なにもしてないよ?」
「「「しただろ!!」」」
怒声で返される。
「えええ……」
クサヴェルは眉をへにょりと下げた。
「気を付けろ!」
ナタリーが副団長として叫ぶ。
「そいつは悪魔の加護で体が異常なまでに頑丈だ! まとめてかかれ!」
「「「はいっ!」」」
隊員がクサヴェルに襲い掛かった。
これで悪魔憑きが死ぬ。世界がまた少し、平和になる。
――本当に?
(本当だ)
心の声を打ち払う。
「ナタリー副団長」
体を支えるようにして肩を掴んでいる男――ゼルニケが言った。
「良かった……本当に、御身が無事で良かった……」
「……お前たちも、よく駆けつけてくれた」
物言いに少し引っかかったが、それでもナタリーは頷く。
「はい。教会に戻ったら禊をしましょう。悪魔憑きの穢れが御身を蝕む前に」
「私を神のように扱うな。神に対する冒涜だぞ」
「冒涜なものですか」
ゼルニケがナタリーを見る。その目はまっすぐこちらを射抜いている。
「副団長。あなたは誰よりも気高い。我が旅団内で、いえ教会の中で、誰よりも教義を理解し、体現しているあなたは、この世に降りた神の代行者です」
「……ゼルニケ?」
様子がおかしい。
いや、前から思い込むと一直線なきらいはあった。だがここまで盲目的なのは初めてだ。
離れようと一歩ずれる。だが肩を掴むゼルニケの手に力がこもって、それ以上動けなかった。
「あなた様をお守りできなかったことは、福音旅団として、聖騎士として一生の不覚です。これからは、いえこれからも、自分がずっとおそばにいます。誰にも触れさせません。あなたは自分のものです」
ゼルニケの息が荒い。ナタリーをまっすぐ見つめる彼の目に、見たことのない熱量を感じた。
(――気持ち悪い!)
ナタリーはゼルニケの腕を取ると、そのまま大きく投げ飛ばした。
「ぐはっ!?」
どかん、と大きな音を立ててゼルニケの体が木にぶつかる。
三対一で戦っていたクサヴェルたちも、何事かとそちらを見た。
「…………」
「な、ナタリー副団長……?」
自分を抱きしめるように腕を回して震えるナタリーを、木の根元で転がったゼルニケが呼ぶ。
「その名を口にするなあ!!」
それを吹き飛ばすような絶叫がナタリーの口からほとばしった。
「気持ち悪い、気持ち悪いぞ、ゼルニケ! 貴様、私と十は年が離れているだろう! 『妹ができたみたいで嬉しい』とか言っていたくせに、私を性の対象として見ていたのか!?」
「「「ええっ!?」」」
隊員たちがドン引きの声を上げる。同時に物理的にも距離を取った。
「マジで?」
「え、ゼルニケさんって小さい子が好み……?」
「たしかに教会の横にある孤児院によく顔を出していたけど……まさか……」
「待ってくれ、誤解だ!」
ゼルニケがガバッと起き上がる。
「小さい子が楽しそうにしているのを見ていると心が温かくなるんだ! 決してそういう目で見ていたわけではない!」
「じゃあナタリー副団長は?」
「彼女は現世に降臨せし女神だ! この世を浄化してくれる! 我々を救ってくださる! その小さな体から溢れる大きな愛で我々を包み込んでくださるのだ!」
「うわぁ……」
質問した隊員がさらに引いた。
その後ろからクサヴェルが顔を出す。
「えーと……副団長さん。そいつの側にいたら危ないんじゃないの?」
その言葉に、クサヴェル以外の全員がハッとした。
飛び出しかけたゼルニケを隊員の槍が牽制し、その隙にナタリーがクサヴェルたちの方へ大きく回り込む。
「だ、大丈夫?」
「……今回ばかりは礼を言う。助かった」
「ああ、うん。それは嬉しいんだけど……」
「きぃえええええええええっ!!」
聖武具で牽制されているゼルニケがついに雄叫びを上げた。隊員たちは腰が引けながらも、絶対に逃げようとはしない。
「教会って、ああいうのもいるの?」
「あんなのがそうそういてたまるか。今の今まで露呈しなかったんだぞ。貴様が私を攫ったのがトリガーになったのだろうな」
「副団長! 冷静に分析していないでどうにかしましょう!?」
「おい悪魔憑き! お前、あとで殺してやるから絶対に逃げるなよ!?」
「……って、言われても」
クサヴェルはゆっくりと短剣を取り出した。
「好きな子のピンチに逃げるとか、ダサくない? せめて逃がすくらいはしてあげたいよ」
「……ふはっ」
ナタリーは笑った。
「貴様、私がおめおめと逃げる腰抜けに見えるのか?」
「え? いや、そうは言ってないよ」
「そうか。だが貴様のおかげで一つ決心できた」
ナタリーは胸のブローチを外した。銀色の巨大な斧になる。
「お前たちは下がっていろ」
「し、しかし、副団長……!」
「いい機会だ」
隊員を押しのけ、前に出る。
「『教会内に暴力的な異教徒の侵入を許した』際の対処――その実践編だ」




