第8話「テレビに出る、変な感じがする、そして幼馴染が現れた」
第8話「テレビに出る、変な感じがする、そして幼馴染が現れた」
◆
MUSIC CANVASの収録は、都内のスタジオで行われた。
出発前に社長から一言あった。
「収録中は、オタク感を抑えてください」
「……わかってます」
「本当にわかってますか」
「わかってます」
「他の出演者を見て固まらない。目を輝かせない。『尊い』と呟かない」
「言いません」
「過去に言いそうになったことがありますか」
「……ノーコメントで」
「注意してください」
わかっていた。わかってはいた。
楽屋に通されて、スタッフさんに挨拶して、メイクを直してもらって——その間ずっと、なんか変な感じがしていた。
「どうしたの?」とノエルが言った。
「なんか……背中がゾワゾワする」
「緊張?」
「違う。なんか……痒い感じ」
「蕁麻疹?」
「そういうんじゃないんだけど」
うまく説明できなかった。
緊張とも違う。怖いとも違う。なんか、虫の知らせみたいな、落ち着かない感じ。
「気のせいじゃない?」とノエルが言った。
「……そうかも」
私はミラーに向き直った。
メイクさんが仕上げをしてくれていた。
でも背中のゾワゾワは、消えなかった。
◆
収録前の待機室で、他の出演者と鉢合わせた。
今日の出演は三組。Lumière Angeと、シンガーソングライターの女性と——
その女性を見た瞬間、私は固まった。
(白石ことりじゃないか)
インディーズから叩き上げで今年メジャーデビューしたシンガーソングライター。透き通るような声と、日常を切り取った歌詞が特徴で、私は去年から追っていた。アルバムは全部持っている。ライブにも二回行った。
固まっていた。
ノエルが私の脇をつついた。
「あかり」
「……わかってる」
「目が輝いてる」
「……わかってる」
「社長に言われてたでしょ」
「……わかってる」
深呼吸した。
落ち着け。プロとして来てるんだ。オタクとして来てるんじゃない。
白石ことりさんがこちらに気づいて、会釈した。
私は会釈を返した。
平静を保った。
保てた、と思う。
「さっきちょっとだけ『尊……』って言ってたよ」とノエルが言った。
「言ってない」
「言ってた」
「言ってない」
「あかり」とノエルが言った。
「なに」
「あの人たちも来たよ」
ノエルが指さした先に、四人組がいた。
全員、黒い衣装だった。全員、顔がよかった。全員、オーラがあった。
(GODSYか)
今の日本で一番売れているヴィジュアル系アイドルグループ。チケットは秒でソールドアウト。雑誌の表紙を総なめにしている。私はオタクなので当然知っていた。
ただ、男性アイドルは守備範囲外だった。
かっこいいとは思う。すごいとも思う。でも白石ことりさんを見た時みたいな「カチカチ」は来なかった。オタクの熱量というのは不思議なもので、ちゃんと好きじゃないと発動しない。
そして。
四人のうちの一人が、こちらを向いた。
背中のゾワゾワが、一気に強くなった。
顔を知っていた。
でも——なんで知っているのか、一瞬わからなかった。
雑誌で見た顔だ。テレビで見た顔だ。でも、それだけじゃない気がした。
男は私を見た。
一秒、見た。
それから、すっと視線を外した。
「知り合い?」とノエルが言った。
「……ううん」
でも背中のゾワゾワが止まらなかった。
◆
収録は順調に進んだ。
Lumière Angeの出番は二番目だった。
カメラの前に立って、ギターを構えて、ノエルが歌って——テレビ収録というのは、ライブとも動画とも違う独特の空気があった。静かで、でも密度が高い。
弾き終わって袖に戻ったとき、GODSYが入れ替わりにステージに向かうところだった。
すれ違った。
また背中がゾワゾワした。
男が、また一瞬だけこちらを見た。
私は思わず目を逸らした。
なんなんだ、あの感じは。
◆
収録が全部終わって、楽屋に戻る廊下で。
「神崎あかり」
後ろから声がした。
私は止まった。
振り返った。
GODSYのセンターが立っていた。
背が高かった。衣装のまま、廊下に立っていた。
顔が、よかった。
というかこの顔、どこかで——
「……知り合いでしたっけ」
男は少しだけ眉を動かした。
「覚えてないのか」
「……すみません」
「月城聖。小学校が一緒だった」
私は三秒固まった。
月城聖。
つきしろ、ひじり。
つきしろ……
「……え」
「思い出した?」
「……ひじり?」
「そう」
思い出した。
思い出してしまった。
小学生のころ、同じクラスだった男の子。地味で、おとなしくて、休み時間も教室の隅にいた。あだ名は「つっきー」だった。
この人がつっきーか。
全然わからなかった。
「でかくなったな」と私は言った。
「そりゃそうだろ」
「顔も変わったな」
「十年経ってるから」
「なんでアイドルになったの」
聖は少しだけ、間を置いた。
「お前のせい」
「は?」
「お前がアイドルオタクだったから」
私は意味がわからなかった。
「……どういう意味?」
「お前が俺を見る目で、俺を見てほしかった」
私はしばらく考えた。
真剣に考えた。
「……つまり、推しを見る目で見てほしかった、ってこと?」
「そう」
「それで、アイドルになれば私が推してくれると思ったの?」
「……まあ、そういうことだ」
「……その発想はなかった」
「なかったのか」
「推しって、なんというか、こう——遠くにいるから推せるんだよ。ステージの向こうとか、スクリーンの中とか。隣のクラスの男子を推すっていう回路が私にはなくて」
「…………」
「むしろ幼馴染がアイドルになってたら、ちょっと複雑な気持ちになるかも。応援したいけど、なんか、知ってる人がステージに立ってる感じで——」
「……そういう話をしてるんじゃない」
「違うの?」
聖はため息をついた。
「お前は本当に」
「なに」
「……なんでもない」
「……なんか、ごめん」
「謝るな。そういう話じゃない」
聖はまっすぐ私を見た。
「俺と付き合わないか」
私はまた三秒固まった。
「……は?」
「聞こえてたよな」
「聞こえてたけど」
「付き合わないか」
「いや、急すぎる」
「急じゃない。十年待った」
「十年!?」
「小学校のころからずっと」
「……それは知らなかった」
「知らせてなかったから」
私は頭をかいた。
なんか、ものすごく、処理が追いつかなかった。
その時。
「あかりー! 何してるの?」
廊下の向こうから、ノエルが走ってきた。
聖を見た。
ノエルの顔が、一瞬だけ変わった。
笑顔のままなのに、目が変わった。
「誰?」とノエルが言った。
「幼馴染」と私は言った。
「ふーん」
ノエルは聖を見た。聖はノエルを見た。
二人の間に、なんか変な空気が流れた。
「ノエルです」とノエルが言った。
「月城聖」と聖が言った。
「あかりの相方です」
「知ってる」
「仲良くしてください」
「するつもりはない」
ノエルの目が、また変わった。
「……ふーん」
今度のふーんは、最初のふーんと声のトーンが違った。
私はなんとなく二人の間に割って入った。
「ほら、ノエル、帰るよ」
「うん」
「聖も、えっと……またいつか」
「答えを聞かせてもらう」
「……考えておく」
「期待してる」
私はノエルを引っ張って歩き始めた。
廊下を曲がったところで、ノエルが言った。
「あかり」
「なに」
「好きなの? あの人のこと」
私は少し止まった。
「……わからない」
「わからないの?」
「考えたことなかった。恋愛とか、そういう方向で人を見たことが、あまり」
ノエルは少しだけ黙った。
「そっか」
「なんか変?」
「変じゃない」
ノエルはまた歩き始めた。
私も歩いた。
背中のゾワゾワは、まだ少し残っていた。




