第6話「推しに会った、というか推しのライブを袖で観た、というか尊死した」
第6話「推しに会った、というか推しのライブを袖で観た、というか尊死した」
◆
ライブが終わった。
楽屋に戻って、椅子に座って、私はしばらく動けなかった。
手が震えていた。足も震えていた。心臓がまだうるさかった。
「あかり生きてる?」
「……生きてる」
「顔が死んでる」
「生きてる」
ノエルはペットボトルの水を渡してくれた。飲んだ。冷たかった。少し戻ってきた。
ステージの余韻がまだ体の中にあった。
二千人の歓声。桜色のペンライトが揺れていた光景。ノエルの声が会場に広がっていく感覚。あの一瞬一瞬が、全部まだ手のひらの中にある気がした。
「楽しかった?」とノエルが言った。
「……わからない」
「わからない?」
「怖かったのか楽しかったのかまだ整理できてない」
「それ、楽しかったってことだよ」
ノエルはにっこりした。
そのとき、楽屋のドアがノックされた。
◆
「失礼しまーす」
ドアが開いた。
入ってきたのは——
金髪だった。
背が高かった。
オーラがあった。
私は固まった。
星宮れい。
本人だった。
衣装のままだった。ライブ直後の、あの衣装のままだった。私が何度もライブ映像で見た、あの衣装が、今、目の前に——
「お疲れ様。すごく良かったよ」
れいちゃんがにっこりした。
私は固まったままだった。
「あかり?」とノエルが言った。
「…………」
「あかり、固まってる」
「…………」
「あかり」
「…………尊い」
「日本語で」
「尊い……」
れいちゃんがくすっと笑った。
「社長から聞いてたよ。私のオタクなんだって?」
「…………はい」
「ライブ、観てくれてた? 袖から」
私は頷いた。
袖から観ていた。
前座が終わって、出番が終わって、でも楽屋に戻れなかった。気づいたらノエルと二人で袖に張り付いて、れいちゃんのライブを端から端まで全部観ていた。
本人に言うと死ぬので言えなかった。
「どうだった?」
「…………」
「あかり」とノエルが言った。「感想言って」
「…………完璧でした」
「ありがとう」とれいちゃんが言った。「あなたたちも完璧だったよ」
「…………恐れ多いです」
「恐れなくていいよ。同じ事務所なんだから」
同じ事務所。
その言葉が、改めて実感として入ってきた。
「あの歌詞、誰が書いてるの?」
「……私です」
「やっぱり」とれいちゃんが言った。「社長から聞いてたけど、ちゃんと確認したかった。あの『見えない場所を見ようとして』のくだり、刺さった。ライブで使わせてほしいくらい」
私の心臓が止まった。
「え」
「冗談じゃなくて、本気で考えてる」
「…………死んでいいですか」
「ダメ」とれいちゃんが言った。
「ダメ」とノエルも言った。
二人に同時に止められた。
「これからよろしくね」
れいちゃんはそう言って、楽屋を出た。
ドアが閉まった。
私はそのまま崩れ落ちた。
「あかり!?」
「生きてる……生きてるけど……」
「どうした!?」
「れいちゃんに歌詞を褒めてもらった……」
「うん」
「れいちゃんのライブを袖で全部観た……」
「うん」
「れいちゃんと同じ事務所になった……」
「うん」
「……処理が追いつかない……」
ノエルはしゃがんで、私の顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない。幸せすぎて大丈夫じゃない」
ノエルは笑った。
声に出して、笑った。
◆
スマホを開いたのは、楽屋を出てからだった。
通知が、また死んでいた。
SNSを開いた。「Lumière Ange」で検索した。
出てきた、出てきた、出てきた。
「前座が良すぎた件について誰か語り合える人いませんか」
「あの金髪の子の声、人間じゃない。何者」
「ギター弾いてた子初々しくて推せる〜!!あの緊張してる感じがいい」
「バズってた歌ってみたの子じゃん!?え、デビューしてたの!?」
「歌詞が刺さりすぎて泣いてるんだけど れいちゃんのライブ前に泣かせないでほしい」
「Lumière Angeってどこの事務所 調べたら藤堂プロじゃん え れいちゃんと同じとこ え?」
「ギターの子さあ、弾き始める前に一瞬止まったじゃん あそこで心臓持っていかれた」
最後のやつで、私は変な声が出た。
「どうしたの?」とノエルが言った。
「……見てた人がいる」
「何を?」
「私が弾けなかった瞬間」
「あ、あそこ」
「見てたんだよ。しかも心臓持っていかれたって」
「かわいかったもん」
「かわいくない!!恥ずかしい!!」
「かわいかった」
私はスマホを握りしめた。
もう一個通知が来ていた。
森くんからのLINEだった。
「神崎さん」
「神崎さん」
「神崎さん」
「え」
「えっ」
「えっ??」
「神崎さん……もしかして……」
「もしかしてって何」
既読をつけてから返した。
三秒で返信が来た。
「え?神崎さんいま連絡取れる状況なの???」
「取れる」
「え???今どこにいるの???」
「渋谷」
「え??????」
私はスマホをしまった。
「誰?」とノエルが言った。
「バイト仲間。たぶんバレた」
「バレてよかったじゃん」
「よくない。明日バイトで顔合わせるのが怖い」
「なんで」
「オタクが同志をステージで見た時のテンションが想像できるから」
ノエルは首をかしげた。
「それっていいことじゃないの?」
「……まあ」
悪くはなかった。
◆
渋谷の夜は、まだ明るかった。
二人で並んで歩いた。衣装から着替えた私服で、ネオンの中を歩いた。
ノエルはきょろきょろしていた。いつもそうだ。何を見ても新鮮そうにする。
「ねえ」とノエルが言った。
「なに」
「楽しかった?」
さっきも聞かれた。さっきは「わからない」と答えた。
今は。
「……楽しかった」
ノエルが振り返った。
「ちゃんと言えた」
「うるさい」
「えらい」
「うるさいって言ってる」
ノエルはにっこりした。
私は前を向いて歩いた。
渋谷の光が、アスファルトに反射していた。
今日、私はステージに立った。
二千人の前で、ギターを弾いた。
推しに歌詞を褒めてもらった。
SNSで「推せる」と言われた。
全部、今日一日に起きたことだった。
ポエム帳に書いてきた言葉が、少しずつ、世界に出て行っている気がした。
「ノエル」
「なに?」
「来てくれてよかった。アキバの路地裏に」
ノエルは少し止まった。
それから、また歩き始めた。
「私もそう思う」
声が、いつもより少しだけ柔らかかった。
夜の渋谷を、二人で歩いた。




