第5話「ライブします、前座で、推しの、えっ?」
第5話「ライブします、前座で、推しの、えっ?」
◆
「ライブしましょう」
社長はそう言った。
「えっ」と私は言った。
「来月、星宮れいのライブがあります。その前座として出てもらいます」
「えっ」
「Lumière Angeのデビューライブです」
「えっ」
「何か質問は?」
「えっ」
「あかり」とノエルが言った。「えっ以外の言葉出る?」
「……えっ」
出なかった。
社長はカレンダーを指さした。来月の第三土曜日に丸がついていた。
「会場はZepp渋谷。キャパ二千人。前座の持ち時間は三十分」
「えっ」
「三曲か四曲想定しています」
「えっ」
「準備期間は一ヶ月」
「えっ」
「あかり、落ち着いて」とノエルが言った。
「……落ち着いてる」
「全然落ち着いてない。顔が白い」
社長は私をまっすぐ見た。
「怖い?」
「怖い、というか」
「というか?」
「……れいちゃんの前座として、れいちゃんのファンの前に立つんですよね」
「そうです」
「れいちゃんのファンって、私みたいなやつらなんですよ」
「そうです」
「五年間ずっと推してきたオタクが、客席にいるんですよ」
「そうです」
「……死んでいいですか」
「ダメです」
私はため息をついた。
ノエルは隣でにこにこしていた。なぜこいつはいつもこんなに楽しそうなんだ。
「ノエルは怖くないの」
「怖いって何が?」
「ステージ」
「楽しそうじゃん」
「楽しそう、って」
「だって大勢の人に歌が届くんでしょ。最高じゃん」
天使はどこまでも陽キャだった。
「……わかりました。やります」
社長は少し笑った。
「準備を始めましょう」
◆
一ヶ月は、嵐だった。
◆
最初の合わせは、最悪だった。
ノエルの歌が先に行く。私の指が追いつかない。
コードを一つ間違えただけで、曲が全部崩れた。
「……ごめん」
スタジオの空気が止まった。
私はギターを膝に置いた。情けなかった。動画で二人で弾いたときは、もっとちゃんとできていた気がした。でもあのときは誰も見ていなかった。プロのスタジオで、ちゃんとした機材に囲まれて、一ヶ月後にステージに立つという事実を頭に入れたら、指が別の生き物みたいに動かなくなった。
「もう一回」とノエルが言った。
「……うまくなる気がしない」
「なるよ」
「根拠は?」
「私が言ってるから」
根拠になっていなかった。
でも「もう一回」と言って、ノエルはまた歌い始めた。
私はピックを持ち直した。
◆
最初にぶつかったのは、メイクだった。
「似合ってますよ」とメイクさんが言った。
鏡の中の自分を見た。
知らない人がいた。
同じ顔のはずなのに、知らない人だった。
目が大きく見えた。肌がきれいに見えた。なんか、全体的に——
「……誰ですか、これ」
「あかりさんですよ」
「嘘では?」
「本当です」
ノエルが横から覗き込んだ。
「かわいい!!」
「うるさい」
「本当にかわいいって! もともとかわいいのに!」
「もともとはかわいくない」
「かわいいよ!!」
メイクさんが「仲いいですね」と言った。
私は鏡をもう一度見た。
かわいい、かどうかはわからなかった。
でも——ステージに立てる顔に見えた。
それは、少しだけ、悪くなかった。
◆
次にぶつかったのは、立ち方だった。
「もっと顔を上げて」とレッスンの先生が言った。
「上げてます」
「下向いてます」
「……上げます」
顔を上げた。
正面に鏡があった。
またびっくりした。
「怖い?」と先生が言った。
「怖い、というか」
「というか?」
「自分の顔を正面から見る機会がないので」
先生は少し笑った。
「ステージでは客席を見なくていいです。最初は。正面の一点を見てください」
「一点」
「そこに大切な人がいると思って」
大切な人。
私は鏡の中の、正面の一点を見た。
なぜかノエルの顔が浮かんだ。
足が、少しだけ、止まった。
「神崎さん?」
「……なんでもないです。続けます」
◆
デビュー曲は「光の先へ」だった。
ギター版のアレンジを、スタジオで何十回も合わせた。
最初は全然ダメだった。ノエルの歌は完璧なのに、私のギターが追いつかなかった。
「ごめん、もう一回」
「いいよ」
何回やっても、ノエルは「いいよ」と言った。
嫌な顔をしなかった。疲れた顔もしなかった。
ただ、毎回、全力で歌った。
三週間目の夜、スタジオを出たあとで、ノエルが言った。
「あかり、今日うまかった」
「まだ全然」
「全然じゃないよ。ちゃんと合ってた」
「……そう?」
「うん。あかりが弾くと、私の声がもっとよくなる気がする」
なんか、すごく真剣な顔で言うから、また言い返せなかった。
◆
バイトのシフトは、ライブ前日まで入っていた。
森くんに話しかけられたのは、ライブ三日前だった。
「神崎さん、明後日、星宮れいのライブじゃないですか」
「そうだね」
「俺、チケット取れたんですよ」
「おめでとう」
「神崎さんは?」
私は少し止まった。
「……行けなくなった」
「え、なんで!?」
「用事ができて」
「え、星宮れいですよ!? 用事って何ですか!?」
「まあ、いろいろ」
「いろいろって何ですか!! 俺は神崎さんのために二枚取ったのに!!」
「ごめん。一枚は使ってよ」
「残念すぎる……」森くんは心底残念そうな顔をした。「神崎さん、もったいなさすぎる。れいちゃんのライブ最高なのに」
「……知ってる」
「知ってて行かないんですか」
「行けないんだよ」
森くんはしばらく考えた。
「……まあ、神崎さんがそう言うなら。でも本当に残念っすよ」
「うん」
私はレジを打ちながら、少しだけ笑った。
森くん。
明後日、ちゃんと来てね。
◆
ライブ当日。
楽屋の鏡の前に座っていた。
メイクさんが仕上げをしていた。
壁の向こうから、音が聞こえた。
客が入り始めている音。ざわめき。笑い声。
二千人。
二千人が、向こうにいる。
私はポエム帳を膝の上に置いていた。
持ってきていた。お守りみたいなものだ。
「緊張してる?」とノエルが言った。
隣に座っていた。
「してる」
「顔に出てる」
「知ってる」
「大丈夫だよ」
「……なんで」
「だってあかりの言葉が、もう何百万人に届いてるじゃん」
私は少し止まった。
「あれは動画だから」
「一緒だよ。生でも動画でも、あかりの言葉はあかりの言葉じゃん」
ノエルはにっこりした。
「ここにいる人たちも、絶対好きになるよ」
また言い返せなかった。
「……ノエル」
「なに?」
「あんた、天界に帰りたくなったりする?」
ノエルは少しだけ、考えた。
「……たまに思う。懐かしいなって」
「そうか」
「でも」
「でも?」
「ここの方が楽しいから」
にっこり、ではなかった。
今度は、もう少し違う顔で、笑った。
「行こう」とノエルが言った。
「……うん」
私は立ち上がった。
ポエム帳をバッグにしまった。
ギターを持った。
◆
ステージの袖に立ったとき、客席の熱気が肌に伝わってきた。
暗転している。まだ私たちは見えていない。
BGMが流れていた。
私はギターのネックを握った。
チューニングは完璧だ。練習は積んだ。
でも膝が少し笑っていた。
「あかり」
ノエルが、私の手を一瞬だけ握った。
一瞬だけ。
「行くよ」
照明が入った。
その前に——袖から客席を覗いた。
ペンライトの色が、全部同じだった。
れいちゃんのイメージカラー、桜色。
二千本の桜色が、暗い会場にゆらゆら揺れていた。
当然だ。ここはれいちゃんのライブだ。誰もLumière Angeを目当てに来ていない。前座なんて知らずに来た人もいるかもしれない。
私はここにいる全員が、かつての自分だと思った。
推しのライブが始まる前の、あのざわざわした高揚感。早く来い、という気持ち。前座が長いと少しだけ焦れる気持ち。
全部、知っている。
全員に、知っている。
(……そうか。私は今、あの子たちを全員敵に回すか、全員を味方にするかの場所に立ってるんだ)
足が震えた。
でも——
「あかり」
ノエルが、私の手を一瞬だけ握った。
一瞬だけ。
「行くよ」
照明が入った。
◆
光の中に、出た。
歓声が来た。
知らない人たちの、でも確かに温かい声が、どっと来た。
私はマイクスタンドの前に立った。
ギターを構えた。
正面を見た。
二千人が、こちらを見ていた。
怖かった。
ピックを構えた。
でも、振り下ろせなかった。
二千人が、待っていた。
桜色のペンライトが、静止した。
私の指が、弦の上で止まっていた。
ノエルが、小さく頷いた。
——弾いた。
「こんにちは。Lumière Angeです」
マイクを通した自分の声が、会場に響いた。
私はノエルを見た。
ノエルが笑った。
私は前を向いた。
届かない声を出し続けて
それでも走ってた、あの夜の私は
きっと正しかったと、今なら言える
ノエルの声が、会場に広がった。
私のギターが、その声を追いかけた。
二千人が、息を呑んだのがわかった。
そのとき。
ノエルの背中から、白い羽根が出た。
出た。
羽根が、出た。
(出た!?)
(しまえ!!)
(ステージの上で出すな!!)
でも止められなかった。
演奏中だった。
ギターを止めるわけにいかなかった。
ノエルは気づいていなかった。
歌いながら、無意識に羽根を広げていた。
白くて、大きくて、照明に当たって光っていた。
会場が、ざわっとした。
ざわっとしたけど——
静かになった。
羽根から、光の粒子が零れ始めた。
ふわふわと、ステージに降り積もるように。
客席のあちこちで、スマホが上がった。
桜色のペンライトが、静止した。
全員が、見ていた。
ノエルを。
天使を。
◆
客席のどこかに、森くんがいるはずだった。
今頃どんな顔をしているだろう。
「神崎さんじゃないすよね」って言ったあいつが、今、ステージの上の私を見ている。
少しだけ、笑えた。
笑えたけど。
(羽根、どう誤魔化す)
(ライブ終わったらスタッフさんに絶対聞かれる)
(「あの羽根、どこの業者ですか?」って絶対聞かれる)
(なんて言おう)
(特注です、って言うか)
(新しい演出です、って言うか)
(考えながら弾いた)
(弾きながら考えた)
(マルチタスクが過ぎる)
◆
歌い終わった瞬間、静寂があった。
一秒くらいの、完璧な静寂。
そのあとで、歓声が来た。
どこかで誰かが泣いていた。
私のポエムが、二千人のいる場所で、ちゃんと声になった。
ノエルが振り返って、私を見た。
最高の笑顔だった。
「ね、楽しいでしょ」
楽しいかどうかは、まだわからなかった。
でも。
「……もう一曲、やろう」
ノエルはまた笑った。
今度は、声に出して笑った。
羽根がばさっと揺れた。
(しまえ)
(頼む)
(しまえ)
◆
ライブが終わって、袖に戻った瞬間。
照明スタッフさんが飛んできた。
「あの! あの羽根の演出! どこの業者ですか!? 仕込んでないですよね!? どうやったんですか!?」
私は即座に言った。
「特注です」
「え?」
「特注の、えっと、特殊繊維で出来た、軽量コスチュームです」
「あの光の粒子は?」
「内蔵型の、LEDです」
「あんなに自然に光りますか!?」
「最新技術です」
「どこのメーカーですか!?」
「……輸入品です」
「どこの国の!?」
「……天界です」
「え?」
「……遠い国です」
スタッフさんは「すごい時代ですね……」と言いながら去っていった。
私はため息をついた。
ノエルが隣に来た。
「どうしたの?」
「……次から羽根はしまっておいてくれ」
「あ、出てた?」
「出てた」
「無意識だった」
「わかってる。でも頼む」
「……努力する」
「努力じゃなくて確約してくれ」
「……努力する」
確約はもらえなかった。




