第3話「天使はバズって大喜び、私はバイトに行く」
第3話「天使はバズって大喜び、私はバイトに行く」
◆
動画が、止まらなかった。
翌朝十三万だった再生数は、昼には四十万になっていた。夕方には百万を超えた。私がバイトから帰ってきた夜には、二百万になっていた。
ノエルはリビングのど真ん中でスマホを抱えて、ひとりで大騒ぎしていた。
「あかりあかり! 二百万!!」
「知ってる」
「すごくない!?」
「すごい」
「バズってる! バズってるってこういうことだよね!? 動画で覚えた!」
「そう、バズってる」
「やったー!!」
ノエルはソファの上でぴょんぴょん跳ねた。羽根がばさばさした。しまえと言いたかったけど、テンションが高すぎて言えなかった。
「あかりも喜んでよー!」
「喜んでる」
「顔が喜んでない」
「これが喜んでる顔だ」
私はエプロンをつけながら言った。
「どこ行くの?」
「バイト」
「バイト!? 今日も!?」
「毎日あるから」
「でも二百万だよ?」
「二百万再生されても家賃は下がらないから」
ノエルは「うーん」と考えた。
「それはそうか」
「そういうもんだ」
私は鍵を持って玄関に向かった。
「帰ってきたら絶対話しかけるからね!」
「どうせ起きてるだろうしな」
「起きてる!」
扉を閉めた。
マンションの廊下に出ると、夜の空気が冷たかった。スマホの通知がまた来た。見なかった。
コンビニまでの道を歩きながら、私はため息をひとつついた。
二百万か。
私のポエムが、二百万人に届いたのか。
……考えるな。恥ずかしくなる。
◆
バイト先のコンビニは、駅から五分のやつだった。
深夜シフトの常連メンバーは三人。店長と、社会人の田中さんと、あと大学生の森くんだ。
森くんはオタクだった。
というか森くんと私がオタク仲間だった。バイトの休憩時間にいつも推しの話をしていた。
「神崎さん、ちょっと聞いてもいいすか」
品出しをしていたら声をかけられた。
「なに」
「あの動画、神崎さんじゃないすよね」
私は一瞬止まった。
「なんの話」
「いや、バズってる歌ってみた。歌詞が神崎さんっぽいなと思って」
「全然違う」
「そうっすか」
「全然違う人」
「ですよねー。あんな歌声の人が深夜コンビニでバイトしてるわけないか」
失礼なことを言われた気がしたけど、否定もできなかった。
「それより森くん」
「はい」
「来月の星宮れいのライブ、チケット取れそう?」
森くんの目が輝いた。
オタクの目だった。
「取れます!! 神崎さんも行くんすか!?」
「行きたい。頼む」
「まかせてください!! 一般でもFC先行でも全部申し込みます!!」
「ありがとう」
「神崎さんが星宮れいのオタクだったとは思わなかったなあ。意外」
「オタクです」
「何のオタクって感じじゃないですもんね、神崎さん」
「全部のオタクです」
「それはそれで意外」
「ライブ歴五年です。グッズ収納に部屋の収納の三分の一使ってます。誕生日は毎年お祝いツイートしてます」
「神崎さんのそういうとこ好きっすよ」
「ありがとう」
「FC入ってます?」
「もちろん」
「じゃあFC先行と一般両方申し込みます。倍率えぐいんで」
「頼んだ」
品出しを再開しながら、私は少しだけテンションが上がっていた。
星宮れい。私が高校のころからずっと推してきたアイドルだ。地下アイドルから始まって、今では武道館も埋める。グッズは全部持ってる。サイン会は三回並んだ。ライブのセトリは全部覚えてる。
その人と、いつかステージに立てたら——
なんて、これも馬鹿なことを考えた。
馬鹿なことばっかり考えるようになった気がする。最近。
◆
帰宅したのは朝の六時だった。
鍵を開けると、リビングの電気がついていた。
「おかえりー!」
ノエルは起きていた。約束通り。
ソファに座って何かを抱えていた。
見たことのある形だった。
「……それ、どこで見つけた」
「クローゼットの奥! すごいね、いっぱいあった」
ノエルが抱えていたのは、私のギターだった。その横に、キーボードも並んでいる。全部クローゼットの奥に眠っていたやつだ。
私は固まった。
封印していたものが掘り起こされた気分だった。
あのギターは高校二年の冬に買ったやつだ。ハマっていたアニメの主人公が弾いていたのと同じモデル。バイト代を三ヶ月貯めて買った。部屋に届いた日、一人で「やったー!!」と叫んだ。
キーボードは高校三年の誕生日に親に買ってもらったやつだ。「将来のために」と言われたが将来には使っていない。
全部、誰にも見せたことがなかった。
「触った?」
「触ってない。あかりが弾くんでしょ?」
「弾かない。昔弾いてただけ」
「昔っていつ?」
「高校のころ。音楽系のアニメにハマって、ちょっとやってみたくなって」
「今は弾かないの?」
「弾く機会がないから」
「今がそれだよ」
ノエルはギターを差し出した。
「弾いて」
「嫌だ」
「弾いてよ」
「人に聞かせるレベルじゃないし」
「私しかいないじゃん」
「それでも嫌だ」
「お願い!!」
ノエルは両手を合わせた。
天使が拝んでいた。
シュールだった。
私はため息をついた。
「……一曲だけ」
「やった!!」
「録音するなよ」
「しない!」
わかってなさそうだった。
◆
ギターを受け取った。
弦を一本ずつ確認した。チューニングが狂っていた。チューニングアプリで直した。
コードを一個押さえた。
指が、覚えていた。
高校のころ、毎日弾いていたやつだ。ハマっていたアニメの主題歌とか、好きな曲とか。誰かに聴かせたくて弾いていたわけじゃなかったけど、弾いているだけで楽しかった。
簡単なコード進行を、ゆっくり弾いた。
ノエルが黙って聴いていた。
珍しかった。ノエルが黙っているのは珍しかった。
弾き終わって、顔を上げたら、ノエルが真剣な顔をしていた。
「ねえ」
「なに」
「私の歌に合わせて弾けるの?」
「……合わせたことないから、わからない」
「やってみよう」
「は? 今から?」
「今から!」
私はまたため息をついた。
バイト明けで眠かった。
でもなぜか、断れなかった。
「……何を歌うの」
「この前の」
「光の先へ?」
「うん」
ノエルが歌い始めた。
私はコードを探した。
最初はバラバラだった。ノエルのメロディーと私のギターが、全然合わなかった。
でも、少しずつ、合い始めた。
ノエルが私のギターに合わせた。私がノエルの歌に合わせた。
お互いに、どちらともなく。
気づいたら、ちゃんとした音楽になっていた。
部屋の中で、朝の六時に、天使と二人で音楽をやっていた。
ノエルが歌い終わった。
しばらく、どちらも何も言わなかった。
「……ギター、上手いじゃん」
「下手だよ」
「上手い。あかりが弾くの、ずっと聴いてたい感じがした」
なんか、すごく真剣な顔で言うから、また言い返せなかった。
「次の動画、これでやりたい」
「やっぱり録音してたのか」
「してない! でもやりたい!」
「……考える」
「考えてる間に動画撮ろう」
「考えさせろ」
「いや今撮ろう」
ノエルはスマホを構えた。
私はギターを持ったままだった。
朝日が窓から差し込んできた。
私は諦めた。
「……一曲だけな」
「やった!!」
天使はいつも、最高の笑顔で押し切ってくる。
それが、ちょっとだけ、嫌いじゃなかった。




