第2話「ポエム帳と天使の声、あるいは私の黒歴史が世界に放たれた件」
第2話「ポエム帳と天使の声、あるいは私の黒歴史が世界に放たれた件」
◆
ノエルが家に来て、三日が経った。
状況をまとめると、こうだ。
天使が居座っている。
帰る気がない。
毎朝動画で何かを勉強している。
三日目にはすでに、ひらがなとカタカナを読めるようになっていた。
「漢字むずかしいね」
「そりゃそうだ」
「でも読める気がする。なんか頭に入ってくる」
「天使の頭おかしいな」
「天才だから」
自信満々だった。
◆
問題が発生したのは、四日目の夜だった。
私がバイトから帰ると、ノエルがリビングのど真ん中に座って、何かを読んでいた。
ポエム帳だった。
「なんで持ってんの!?」
「引き出し開いてた」
「開いてなかった!」
「ちょっと開いてた」
「ちょっとも開いてない!」
ノエルは顔を上げた。目がキラキラしていた。いつもキラキラしてるけど、今日は特別にキラキラしていた。
そしてノエルが開いていたページが見えた。
高校一年の春に書いたやつだった。
タイトルが「星に届け、私の叫び」だった。
私は膝から崩れ落ちた。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
「なんで崩れてるの」
「見ないでくれ頼む」
「もう見た」
「忘れてくれ」
「忘れられない。すごく好き」
好きって言うな。余計つらい。
私は両手で顔を覆った。中学のころから積み重ねてきた黒歴史が、走馬灯のように脳裏をよぎった。「星に届け、私の叫び」「あの日の涙は嘘じゃない」「永遠を君に捧ぐ」——タイトルだけで死ねる。
「ねえ、これ」
「返して」
「すごいよ」
「返してって言ってる」
「本当にすごい」
手を伸ばしたら、ノエルはひょいとよけた。天使なので身軽だった。
「これ、歌にしたい」
私は止まった。
「……は?」
「歌にしたい。ここの部分、あとここと、あとこっちも」
ノエルはページをめくりながら指さした。全部、私が特に人に見せたくないやつだった。
「絶対ダメ」
「なんで」
「黒歴史だから」
「黒歴史ってなに?」
「恥ずかしい過去のこと」
「全然恥ずかしくないよ。ちゃんと本物の言葉が書いてある」
ノエルはまっすぐ言った。
本物の言葉、という言い方が、少し刺さった。
「……歌にしてどうするの」
「歌う」
「だから、歌ってどうするの」
「動画に撮る。投稿する」
「する気満々なんだ」
「だってせっかくの言葉、もったいないじゃん」
ノエルはポエム帳を胸に抱えた。返す気がまったくなかった。
「……一曲だけ」
「やった」
「一曲だけだからな」
「わかったわかった」
わかってなさそうだった。
◆
ノエルが選んだのは、三年前に書いたやつだった。
最悪だった。
タイトルは「光の先へ」。内容は、推しのライブに行った帰りに興奮して書いたポエムだった。自分で読み返すたびに悶絶するやつだった。
具体的に言うと、ライブ終わりの電車の中で、テンションが最高潮のまま、スマホのメモに一気に書いたやつだった。推しのあの曲のあのシーンが最高すぎて、感情の行き場がなくて、気づいたら書いていた。
当時の私は「これは詩だ」と思っていた。
今の私は「これは犯罪だ」と思っている。
「これがいい」
「なんでよりによってこれなの」
「一番好きだから」
「私が一番嫌いなやつだから」
「それって本当は一番大事なやつじゃないの」
ノエルに哲学を言われた。
なぜか言い返せなかった。
◆
録音はスマホでやった。
私のスマホをテーブルに立てかけて、ノエルが歌う。それだけ。
伴奏もなし。
マイクもなし。
ただの部屋での鼻歌みたいな録音環境だった。
でも、だめだった。
ノエルが歌い始めた瞬間、だめだった。
三年前に私が書いた、恥ずかしいポエムが、歌詞になった瞬間——なんか、違うものになった。
ちゃんと言葉になった、という感じがした。
私の頭の中にずっとあったやつが、ちゃんと空気に乗った感じ。
目の奥がじわっとした。
絶対悟られたくなかったので、ノエルから顔を背けた。
歌が終わった。
「どうだった?」
「……まあ」
「泣いてた」
「泣いてない」
「目が赤い」
「もともとだ」
ノエルはにっこりした。
「投稿する」
「ちょっと待って、確認させて」
「いいじゃん」
「ダメって言ったら消してよ」
「わかった」
わかってなさそうだった。
◆
動画を投稿したのは夜の十二時だった。
タイトルは「歌ってみた」。サムネは真っ暗な部屋の写真。概要欄は何も書いていない。これで再生数なんてゼロだろうと思っていた。
私は布団に入って寝た。
◆
翌朝、スマホが鳴っていた。
通知が、鳴り止まなかった。
「……え」
動画の再生数を見た。
寝る前はゼロだった。
今は、十三万だった。
「ノエル」
「ん?」
「十三万」
「何が?」
「再生数が」
ノエルは覗き込んだ。
「少ない?」
「少なくない!!」
コメント欄を開いた。コメントが何千件もあった。
「声が人間じゃない」「この歌詞誰が書いたの」「何回リピートしてる」「泣いた」「泣いた」「泣いた」——
泣いたが多かった。
「みんな泣いてるじゃないか」
「よかった」
「よくない! いや、よいけど、でも!」
私はスマホを握りしめた。
コメントをスクロールした。
歌詞のことを書いているコメントが、何個もあった。
「光の先へ」という私のポエムの一節を引用して、「ずっと探してた言葉だった」と書いているコメントがあった。
目の奥がまたじわっとした。
今度はノエルが横にいたので、顔を背けた。
「泣いてる」
「泣いてない」
「また目が赤い」
「もともとだって言ってる」
ノエルはくすっと笑った。
「ね、もう一曲やろうよ」
「まだ言うか」
「まだ言う」
「……ポエム帳返して。自分で選ぶ」
ノエルはぱっと顔を輝かせた。
私はポエム帳を受け取った。
ぱらぱらとページをめくった。
三年分の、人に見せたことのない言葉たちが並んでいた。
これが全部、あの声に乗るのか。
馬鹿なことを考えている自覚はあった。
でも、悪くない馬鹿だと思った。




