番外編「不審者と天使の、全肯定休日(ホリデイ)」
番外編「不審者と天使の、全肯定休日」
◆
社長から連絡が来たのは、配信の翌々日だった。
「三日間、完全にオフにします。休んでください」
完全オフ。
その四文字を見た瞬間、私の脳内でフラグが立った。
(積んでたアニメが見れる)
(三本どころか五本積んでた)
(ライブBDも二枚ある)
(星宮れいちゃんの最新グッズのレビュー動画もまだ見てない)
(ポエム帳じゃなくて実戦用ノートも開きたい)
(やること多すぎる)
(三日間じゃ足りないかもしれない)
私は気合を入れて、カーテンを閉めた。
「あかり何してるの」
「引きこもる準備」
「え?」
「三日間、部屋から出ない」
「え!?」
「積んでたアニメが五本ある」
「それ全部今見るの?」
「見る。これはもはや義務だ」
ノエルは首をかしげた。
「外に出なくていいの?」
「出なくていい。むしろ出たくない。人間はたまに外部と遮断しないと死ぬ」
「逆じゃない? 外に出なきゃ死んじゃうんだよ」
「それは植物の話だ」
「人間も一緒だよ!」
ノエルはカーテンを開けた。
光が入ってきた。
まぶしかった。
「外、いい天気だよ」
「知ってる」
「アキバ、行こうよ」
「……え」
「アキバ! 行ったことないんだよね、私」
私は少し止まった。
アキバ。
秋葉原。
私のホームグラウンド。
(ノエルをアキバに連れて行く)
(天使をオタクの聖地に連れて行く)
(それはそれで……)
「……行くか」
「やった!!」
引きこもり計画は、あっさり崩壊した。
◆
秋葉原に着いた瞬間、ノエルが走り出した。
「待て」
「見てあかり!! あっちの看板!!」
「走るな」
「あの青い看板、あかりのギターと同じ色だよ!!」
「それはメーカーのロゴで——ノエル、走るな!!」
間に合わなかった。
ノエルは看板の前で立ち止まって、スマホで写真を撮っていた。
通行人が振り返っていた。
当然だ。金髪ギャルが目を輝かせながら楽器メーカーのロゴを撮影しているのだから。
「……ここはそういう場所じゃない」
「どういう場所なの?」
「歩きながら説明する」
私はノエルの手を引いて歩き始めた。
◆
アキバの歩き方には流儀がある。
まず、目的を決める。
次に、寄り道を許容する。
最後に、戦利品の重さで今日の充実度を測る。
これが正しいオタクの休日だ。
私はノエルに説明しながら歩いた。
「あのビルが同人誌とグッズのメッカで、こっちは電子部品、あっちはゲームと——」
「多い!!」
「多い」
「全部見たい!!」
「全部は無理」
「なんで!?」
「三日間かけても終わらないから」
「三日間いようよ!」
「社長に怒られる」
ノエルはぐるぐると周囲を見回していた。
目がキラキラしていた。いつもキラキラしているけど、今日は特別にキラキラしていた。
私はその横を歩きながら、少しだけ、こそばゆい気持ちになった。
私にとっては「いつものアキバ」だ。
でもノエルには、全部が新しかった。
新しい目で見ると、確かに、アキバはすごい場所だった。
◆
まず向かったのは、馴染みのショップだった。
「ここ、星宮れいちゃんのグッズがあるから」
「れいちゃんのお店!?」
「お店じゃなくて、置いてるだけ。でも品揃えがいい」
扉を開けた。
いつもの匂いがした。
ビニールのケースと、印刷インクと、なんかコレクターの聖地特有の空気。
私はまっすぐ星宮れいのコーナーに向かった。
(新作グッズ……ある!!)
缶バッジの新シリーズが入荷していた。
全十二種。コンプリートするかどうか、一秒で悩んで、一秒で「する」と決めた。
一個一個、手に取って確認した。
「あかり、すごい集中してる」
「静かにして」
「なんで?」
「傷チェックしてるから」
缶バッジは、傷があると価値が下がる。
印刷のズレ、バッジ部分の凹み、表面のわずかな擦れ。
全部確認してから買う。これが正しいグッズの買い方だ。
一個を手に取った。
光に透かした。
「……これ、傷ある」
「え!? どこ!?」
「ここ。0.1ミリくらい」
「どこ!? 見えない!!」
「ここだよ、ここ」
「あかり、天使の目よりすごいよ!!」
「何年やってると思ってるんだ」
傷のない個体を選んで、十二種全部確保した。
レジに持って行く途中、ノエルが言った。
「ねえ、あかりって、グッズ買う時すごく真剣な顔するんだね」
「そりゃそうだ」
「ステージに立つ時より真剣かもしれない」
「……それは言わないでくれ」
「でも好きなんだね、れいちゃんのこと」
「好きだよ」
「ずっと好きなの?」
「ずっと。これからもずっと好きだよ」
ノエルは少しだけ、黙った。
「……そういう好きって、どんな感じ?」
「どんな感じ、って」
「遠くにいる誰かを、ずっと好きでいるのって」
私はレジにグッズを置きながら、少し考えた。
「……光みたいな感じかな」
「光?」
「届かないけど、あるだけで明るくなる。それだけで十分な感じ」
ノエルはそれを聞いて、また少し黙った。
何かを考えているみたいだった。
私はレジを済ませた。
戦利品が増えた。
今日はいいスタートだった。
◆
次はノエルの番だった。
「プリクラ!!」
「……プリクラ」
「あるじゃん! やりたい!!」
「やったことないの?」
「ないよ! 天使だもん」
そうだった。天使だった。
プリクラというのはある種の文化で、ギャルにとっては生命活動に近い。ノエルはギャルなので、プリクラは義務なのかもしれない。
「……やるか」
「やった!!」
機械の前に立った。
画面に二人が映った。
「あかり! ポーズして!!」
「……こうか」
「もっと顔寄せて!!」
「こうか」
「目を大きくして!!」
「これ以上は物理的に無理」
「あかりの目、もともと大きいよ!」
「加工してるだろ!! 別人になってるぞ!!」
「かわいいじゃん!!」
シャッターが切れた。
◆
仕上がったプリクラを見た。
ノエルは完璧なギャルピースだった。
私は不自然なピースだった。
「……なんか私だけ挙動不審じゃないか」
「かわいいよ」
「かわいくない。緊張してる顔してる」
「緊張してたじゃん」
「プリクラで緊張するなんて思わなかった」
「ステージより緊張するんだ?」
「ステージは暗いから顔が見えない。プリクラは顔がでかく映る」
「……なるほど」
ノエルはプリクラをスマホで撮った。
「待って! SNSには上げないでよ!!」
「上げないよ」
「本当に?」
「上げない。これは私とあかりのだから」
私は少し止まった。
「……そっか」
「うん」
二人のプリクラを、ノエルはスマホのカメラロールにしまった。
私もポケットにしまった。
◆
歩き回って、ガチャを回して、限定カフェに寄って。
気づいたら夕方になっていた。
ビルの屋上庭園に出た。
東京の夕焼けが、オレンジと紫が混ざったきれいな色をしていた。
ベンチに座った。
戦利品の袋が、足元に三つあった。
「重い」
「買いすぎ」
「必要なものしか買ってない」
「十二種全コンプは必要なの?」
「必要だ。コレクションというのはコンプリートすることに意味がある」
「でも全部同じキャラでしょ」
「ポーズが違う。表情が違う。全部違う」
「……オタクって、細かいんだね」
「好きなものへの解像度が高いんだ」
ノエルはくすっと笑った。
風が吹いた。
夕焼けが、少し色を変えた。
「ねえ、あかり」
「なに」
「今日、楽しかった?」
私は少し止まった。
戦利品の袋を抱えた。
「……まあ」
「まあ?」
「悪くなかった。推しの供給もあったし」
「それだけ?」
「……それだけじゃないけど」
「どういう意味?」
私は夕焼けを見た。
(一人でアキバに来るより、少しだけ、景色が明るく見えた)
それだけのことだ。
特別なことじゃない。
誰かと一緒だと、知ってる景色が違って見える。それだけ。
「……まあ、悪くなかった」
「また悪くなかった」
「悪くなかったは褒め言葉だ」
「もっとちゃんと言えないの?」
「言えない」
「なんで」
「……照れるから」
ノエルはまた笑った。
今度は声に出して笑った。
「あかりってさ」
「なに」
「絶対言わないよね。ちゃんとした言葉」
「言ってる」
「言わない。いつも『まあ』とか『悪くなかった』とか、一歩引いたところで言う」
「……そういう性格だ」
「でも歌詞には書くじゃん」
「……歌詞は別だ」
「なんで?」
「……歌詞は、音楽になるから。音楽になったら、私じゃなくなるから」
ノエルは少し黙った。
「……それ、すごいね」
「何が」
「自分の言葉を、自分じゃなくする方法を知ってる」
「……天使みたいなこと言うな」
「天使だから」
そうだった。天使だった。
私は実戦用ノートを出した。
バッグの中に入れていた。なんとなく。
ペンを持った。
最後のページを開いた。
何を書こうか、少し考えた。
考えて、書いた。
◆
今日、ノエルとアキバに行った。
プリクラを撮った。
れいちゃんのグッズを全コンプした。
夕焼けを見た。
一人でアキバに来るより、
少しだけ、景色が明るかった。
◆
「また書いてる」とノエルが言った。
「見るな」
「見た」
「まだ見せる前だって言ってるのに!!!!」
「でもいい文章だった」
「……ありがとう」
「今日のこと書いてくれたんだ」
「……まあ」
「まあ、また言った」
「……うん」
夕焼けが、もう少し暗くなった。
帰る時間だった。
戦利品の袋を持って立ち上がった。
ノエルも立ち上がった。
「帰ろうか」
「うん」
「また来る?」
「……来る」
「今度はガチャもっとやりたい」
「やりすぎだ」
「あかりが全コンプするから私も全部やりたくなった」
「影響されるな」
「いい影響だよ」
並んで歩き始めた。
夕暮れのアキバは、ネオンが灯り始めていた。
いつもの景色だった。
でも、少しだけ、違って見えた。
それだけだった。
それだけで、十分だった。




