第二部 第1話「さらば六畳一間、ようこそオートロック」
いよいよ第二部です。
『オタクと天使の歌』
第二部 第1話「さらば六畳一間、ようこそオートロック」
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配信から、数ヶ月が経った。
Lumière Angeの知名度は、右肩上がりだった。
社長から「そろそろ引っ越してください」と言われたのは、先月だった。
「理由は?」
「セキュリティです。あかりさんの住所、半分くらい特定されてます」
「半分!?」
「丁目まで出てます」
「丁目まで!?」
「番地まで出る前に動きましょう」
さすがだった。
怖かった。
そういうわけで、引越し当日を迎えた。
◆
六畳一間のアパートの前に、トラックが止まっていた。
事務所が手配した引越し業者だった。
私はダンボールの山を見た。
「……これ、全部新居に入るかな」
「入るよ!」とノエルが言った。「私、あかりのフィギュア飾る棚、もうポチっておいたから!」
「勝手に!?」
「いい棚だよ。透明ケース付きで、UV加工してあって、ライト内蔵で」
「……それは確かにいい棚だ」
「でしょ!」
「でも勝手にポチるな!! 私のれいちゃんの配置には黄金比があるんだぞ!」
「黄金比!?」
「左から三番目のフィギュアは必ずステージ衣装で、真ん中にサイン入りを置いて、右端は直近ツアーの限定グッズで揃える。これは法則だ。棚の寸法によって全部変わる」
「……奥が深い」
「深い。だから棚は事前に相談しろ」
「わかった。次から相談する」
「次から!? また買う気か!?」
引越し業者のお兄さんが、遠い目をしていた。
ダンボールに「れいちゃん グッズ 割れ物注意」と書いてあるのを見ていた。
(見ないでくれ)
私は作業に戻った。
◆
ダンボールの数を数えた。
三十二個あった。
三十二個のうち、二十九個がグッズ関係だった。
(九割だ)
(九割グッズのオタクが引越ししている)
(これが私の人生だ)
まったく後悔していなかった。
ノエルが「このダンボール、めちゃ重いんだけど」と持ち上げながら言った。
「そっちはBD BOXが入ってる」
「何枚入ってるの!?」
「三十枚くらい」
「三十枚!!」
「去年一年分の積みを一気に買い直した」
「積みって?」
「見てないやつ。買ったけど見てないの」
「見てないのに買ったの!?」
「買っておかないと廃盤になるから」
「……そういうもん?」
「そういうもん」
ノエルは「うーん」と言いながらダンボールを運んだ。
天使なので、三十枚のBD BOXが入ったダンボールも、わりと軽々と持っていた。
◆
六畳一間を、最後に一周した。
畳の跡がついていた。
本棚を置いていた場所。フィギュアケースを置いていた場所。ギターを立てかけていた角。
ここでノエルを拾ってきた。
ここでポエム帳を書いた。
ここで最初の動画を撮った。
全部、この部屋で起きたことだった。
「あかり」とノエルが呼んだ。
「うん」
「感慨深い?」
「……まあ」
「また悪くなかった系の返し」
「感慨深い。ちゃんと言った」
ノエルはにっこりした。
「行こう」
「うん」
電気を消した。
扉を閉めた。
鍵を返した。
さらば、六畳一間。
◆
コンビニのバイト最終日は、夜のシフトだった。
最後だからといって、特別なことは何もなかった。
レジを打って、品出しして、廃棄をチェックした。
いつも通りだった。
途中、客に「あかりさんですか?」と聞かれた。
森くんが「人違いですよ、彼女は看板娘なんで」と返した。
最後の最後まで、森くんは結界を張り続けた。
◆
閉店後の休憩室で、森くんが差し出してきた。
高価な栄養ドリンクだった。
コンビニに置いてある一番高いやつだった。
「……なんで」
「お疲れ様でした」
「森くんこそ、最後までありがとう」
「俺は何もしてないですよ」
「また言う」
「本当に何もしてないですよ。でも」
森くんは少し間を置いた。
「神崎さん。いや」
また少し間を置いた。
「akariさん」
私は止まった。
森くんがその名前で呼んだのは、初めてだった。
「……神崎でいいよ」
「そうですね」
森くんはにっこりした。
「ここでは神崎さんでした」
「そうだな」
「寂しくなりますけど」
「……うん」
「でもこれからはLINEで爆速実況しましょう。深夜アニメの覇権争い、俺は負けませんから」
私は少しだけ、笑った。
「受けて立つ」
「よし」
森くんは立ち上がった。
「神崎さん、かっこよかったです。ずっと」
「……ありがとう」
「ギターの子が歌い出した時、俺、泣きそうになりました」
「言わなくていい」
「でも本当のことなんで」
森くんは照れくさそうに笑った。
「また、ファンとして会いましょう」
私は栄養ドリンクを受け取った。
ちゃんと受け取った。
◆
新居は、オートロック完備の高級マンションだった。
事務所が用意してくれた物件だった。
外観を見た瞬間、足が止まった。
(ここに私が住むのか)
(本当に?)
(六畳一間から、オートロック付き高級マンションに?)
(人生、わからないものだ)
エントランスに近づいた。
カードキーをかざす場所があった。
かざした。
反応しなかった。
「……」
もう一回かざした。
反応しなかった。
「……」
角度を変えてかざした。
反応しなかった。
「……なんで」
近づけすぎかと思って、少し離した。
反応しなかった。
遠すぎかと思って、くっつけた。
反応しなかった。
警備員のお兄さんが、こちらを見ていた。
不審者を見る目だった。
(違います。住民です。でもカードキーが反応しないんです)
何も言えなかった。
そこにノエルが来た。
「あかりなにしてるの」
「カードキーが反応しない」
「こうするんだよ」
ノエルがカードキーをさっとかざした。
ピッと鳴って、扉が開いた。
「……なんで」
「コツがあるんだよ」
「コツって何」
「動画で見た」
動画で。
天使は動画で何でも解決する。
警備員のお兄さんが、安堵した顔をしていた。
(本当に住民でした、という顔だった)
(不審者じゃなかった)
私は深く反省した。
◆
部屋に入ると、ノエルがすでに自分の荷物を広げていた。
どうやって先に入ったのかは謎だった。
「あかり! どっちの部屋がいい?」
「……どっちでも」
「私はあかりの隣がいい!」
「いつも一緒なんだから、どっちでも同じだろ」
「でも隣がいい!」
「……好きにしろ」
「やった!」
ノエルは荷物を抱えて奥の部屋に走っていった。
私は入り口に立ったまま、部屋を見回した。
広かった。
六畳一間とは全然違った。
窓も大きかった。
東京の景色が、前よりずっとよく見えた。
ダンボールが三十二個、部屋の中に積まれていた。
九割はグッズだった。
どこから開けようか考えた。
当然、れいちゃんのグッズから開ける。
それ以外の順番はない。
スマホが震えた。
森くんからのLINEだった。
「無事着きました? ネット回線の設定、手伝いましょうか(笑)」
奥の部屋からノエルの鼻歌が聞こえてきた。
あの声が、この部屋に響いていた。
私はキーボードを叩いた。
「着いた。ネット回線は自分でやる。でもアニメの覇権争いはいつでも受けて立つ」
三秒で返信が来た。
「まってました!!!!」
私はスマホを置いた。
ダンボールを一つ引き寄せた。
「れいちゃん グッズ 割れ物注意」と書いてあるやつだ。
開けた。
きれいに梱包されたフィギュアが出てきた。
黄金比の配置を考えながら、新しい棚の位置を測り始めた。
ノエルの鼻歌が続いていた。
新しい部屋に、その声が広がっていた。
悪くなかった。




