第13話「翌朝、それぞれの画面の前で」
第13話「翌朝、それぞれの画面の前で」
◆
その朝、聖は一人だった。
広いリビング。カーテンを閉めたまま。
スマホの画面だけが光っていた。
Lumière Angeの緊急配信。
再生回数が、朝の時点ですでに八十万を超えていた。
聖はそれを、何回も再生していた。
何回目かは、もう数えていなかった。
◆
最初に見たのは、配信の終盤だった。
マネージャーから「見てください」と送られてきたURLを、面倒くさそうに開いた。
炎上への便乗だろうと思っていた。
思っていたのに。
ファーストコードが鳴った瞬間、手が止まった。
あかりが、歌っていた。
ギターを弾きながら、歌っていた。
聖は知らなかった。あかりに歌えることを。
知らなかったのに、声を聞いた瞬間に「ああ、そうか」と思った。
あかりらしい声だった。
うまいとか下手とかじゃなくて、あかりにしか出せない声だった。
◆
大サビで、聖は止まった。
守りたいのは夢じゃない
守りたいのは君なんだ
だから私はここで歌う
あなたと 二人で
この歌詞を書いたのは、あかりだ。
聖のことを書いたんじゃない。隣にいる天使のことを書いた。
わかっていた。
わかっていたのに、なぜか。
「……お前のせいじゃなかったな」
誰もいない部屋で、聖は言った。
あかりはずっと、自分のものを、自分のために作ってきた。
誰かに拝まれるためでも、誰かのためでもなく。
それを「お前のせい」と言ったのは、聖の側の話だった。
拝まれるのを拒否したあかりを、聖は初めて、本当の意味で、かっこいいと思った。
好きとは、また少し違う感情だった。
尊敬、に近かった。
(……厄介だ)
好きな相手を尊敬するというのは、厄介だった。
諦める理由が、また一つ消えた。
聖はため息をついて、もう一回、最初から再生した。
◆
同じ朝。
私はSNSを見ていた。
オタクなので。
「昨夜の配信、見た」
「泣いた」
「akariの声、何回でも聴ける」
「Lumière Ange、沼った。終わった」
「終わった」
「終わった」
終わったが三連続していた。
(沼らせてしまった……)
申し訳ない気持ちと、じわっとした嬉しさが、同時に来た。
オタクとして「沼る」の意味は知っている。
あの感覚を、自分が引き起こしてしまった。
(沼らせた側になった)
(なんで? どういう経緯? 昨日まで私がそっち側だったのに?)
不思議だった。
本当に不思議だった。
でも、悪くなかった。
「ノエル」
「なに」
「沼らせた」
「うん」
「私たちが沼らせた」
「うん」
「感慨深い」
「そう?」
「私もずっと沼ってきたから。今度は沼らせる側になったんだなって」
ノエルはふわっと笑った。
「あかりが書いた言葉だから、当然じゃん」
「……そういうもんかな」
「そういうもん」
私はスマホを置いた。
置いて、三秒後にまた拾った。
「あかり」
「わかってる」
「置きな」
「でも新しいコメントが」
「置きな」
「わかってる!!」
ノエルにスマホを取り上げられた。
没収だった。
オタクは推しの情報を追いかけるのをやめられない。自分が推される側になっても、それは変わらなかった。
(性質だから仕方ない)
◆
バイトの日だった。
コンビニに着いて、エプロンをつけた。
昨夜の配信のことを、バイト中は考えないようにしようと思っていた。
無理だった。
レジを打ちながら、ずっと頭の中でリプレイしていた。
(あそこで声が震えそうになったのは失敗だったか)
(でもノエルが歌い始めたから持ち直せた)
(Cメロの掛け合い、もう少し声量があった方がよかったか)
(次に歌うとしたら——)
「あの」
お客さんに声をかけられた。
「はい」
「あかりさん、ですよね」
私は固まった。
笑顔のまま固まった。
(きた)
(ついにきた)
(どうする? 否定する? 肯定する? 笑ってごまかす?)
お客さんは女の子だった。二十代くらい。スマホを持って、少し緊張した顔をしていた。
その顔に、見覚えがあった気がした。
いや、見覚えはないけど——なんか、わかった。
かつての自分みたいな顔だった。
好きなものを好きと言う時の、少し怖くて、でも言いたい、あの顔。
私が何か言う前に。
「人違いですよ」
森くんが割って入った。
「彼女はうちの看板娘なんで。ただのバイトです」
「え、でも」
「似てますよね、よく言われるんです。ほんとそっくりで。でも別人です」
「……そうなんですか」
「そうなんですよ。お会計よろしいですか」
森くんは完璧な笑顔でレジを引き取った。
お客さんが帰った後、私は森くんを見た。
「……ありがとう」
「なんですか突然」
「いや」
「俺は何もしてないですよ」
また嘘をついた。
にっこり笑いながら、また完璧な嘘をついた。
「森くん」
「なんですか」
「……昨夜の配信、見た?」
森くんは少し止まった。
「見ました」
「どうだった」
「……沼りました」
「ありがとう」
「神崎さんが歌うとは思ってなかったんで、最初ちょっとびっくりしました」
「私もびっくりした」
「自分でびっくりするんですか」
「本番になったら声が出た」
「……かっこいいっすね」
森くんは照れくさそうに言って、品出しに戻った。
私は一人でレジに立った。
なんか、じわっとした。
また鼻の奥がツーンとした。
(オタクの善意は予想外のところから飛んでくる)
(そして毎回ちゃんと刺さる)
◆
バイトが終わった。
家に帰った。
ノエルはソファで動画を見ていた。スマホを二台持っていた。一台は私のだった。
「それ私のだろ」
「没収してたから預かってた」
「返して」
「SNS見すぎないでね」
「わかってる」
「本当に?」
「……わかってる」
返してもらった。
見なかった。
えらかった。
代わりに、引き出しを開けた。
ポエム帳を出した。
それから、もう一冊、新しいノートを出した。
表紙に何も書いていない、真っ白なノートだった。
ポエム帳は、感情を書き留める場所だ。
誰にも見せないつもりで書く、自分だけの場所。
でも今夜開くのは、そっちじゃなかった。
ペンを持った。
新しいノートの最初のページを開いた。
何を書こうか、少し考えた。
考えて——書いた。
◆
私はずっと、推す側だった。
ステージの向こうに輝く誰かを見て、
胸がいっぱいになって、
それだけで十分だと思っていた。
でも今は、ステージに立っている。
怖い。
まだ全然、慣れない。
でも、隣にノエルがいる。
だから、もう少しだけ、続けてみようと思う。
次の曲は、もっとちゃんと歌う。
◆
書き終えて、ペンを置いた。
ポエム帳じゃない言葉が、そこにあった。
誰かに見せてもいい言葉が。
ノエルが覗き込んできた。
「また書いてる」
「見るな」
「見た」
「まだ見せる前だから!!」
「でもいい言葉だった」
「……ありがとう」
「次の曲、楽しみにしてる」
「まだ書いてない」
「書くでしょ」
「……書く」
ノエルはにっこりした。
私はノートを閉じた。
表紙に、ペンで小さく書いた。
「実戦用」と。
ポエム帳は感情の場所。
こっちは、音楽の場所。
両方が揃って、やっと、ちゃんと始まった気がした。
第一部・完
少し話が一区切りをさせました。すぐに第二部はできると思います。




